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第2話 異変



 翌日の放課後。


 学園内にいくつかある庭園では、今が見ごろの花々を鑑賞できるようにと、大きめのパラソルで日陰が作られたテーブル席が並んでいる。


 そのひとつで、いつものように婚約者クリストファーと子爵令嬢ミラ・ミラーラが、御茶とお喋りを楽しんでいた。


 いつもとちがうのは、その斜め前にあるテーブル席に、優雅に腰をおろしているのが、イザベラ侯爵令嬢であるということ。


 あろうことかイザベラは観賞用の花々に背を向けていた。


 必然的に、テーブルは違えども、かなりの至近距離から、クリストファーとミラの逢瀬を目の当たりにしていることになる。


 テーブルに頬杖をついたイザベラは、ふたりに話しかけるでもなく、ただただ眺めているだけ。


 薄ら笑いさえ浮かべて、婚約者が別の令嬢と親しげに話す様子をみている。


 この展開に、周囲の子息令嬢たちは青ざめた。


 庭園のテーブル席からは次々と人がいなくなり、数分も経たないうちにその場に残っているのは、クリストファーとミラ、イザベラの三人だけとなる。


 ここ最近は、イザベラと目も合わせないクリストファーだったが、さすがに居心地が悪くなったのか、数カ月ぶりに口を開いた。


「何か、用があるのか」


 煩わしそうな表情と横柄な口調の裏にある、わずかな動揺を見逃すイザベラではない。


 何も答えずに、そのまま見つめつづけていると、しびれを切らしたクリストファーが、目を吊り上げる。


「おい。僕が、聞いているんだぞ。一貴族が王族に応えない気か? 答えろ、イザベラ嬢」


 その王族にあるまじき素行をつづけているくせに、何かというと「王族だ」と口にするクリストファーを、冷めた目のイザベラが見つめていた。


 トン、トン、トン――


 人差し指でテーブルを叩き、間をとったイザベラが、うすら笑いをそのままに答えた。


「べつに、クリストファー殿下に、これといった用などありませんが」


 何の気負いもなく、サラリと告げられた言葉。


 普段のイザベラなら決してしない王族を軽視するような発言だった。


 クリストファーからすれば「不敬だ」と怒りをあらわしても良い場面だったにもかかわず、それができずにいた。なぜなら、驚きの方が大きかったから。


 これまでの「クリストファー様」から「殿下」にと、呼び方が変わっていることに即座に気づき、たったそれだけの変化に妙な胸騒ぎを覚えた。


 イザベラからは、こちらを敬う態度がキレイに消え去っている。


 昨日までは、変わらなかった。いったい、何があったのか。


 異変を察知しつつも、クリストファーはあえて強気な態度を崩さず訊いた。


「つまり、用もないのに不躾にこちらを見ているのか。侯爵令嬢ともあろう者が、ずいぶんと品のないことをする」


「あら、美しい花々に囲まれた場所で、婚約者を見つめるのは、不躾なのでしょうか。わたしはそうは思いませんね。それとも殿下、何か見られては困ることでもおありでしょうか」


「なんだと?」


 はじめてだった。


 この学園で過ごすなか。婚約者イザベラに会話で押されていた。


 ひとつもひるむ様子のないイザベラは、さらに――


「殿下、そういえば今――侯爵令嬢ともあろう者が、とおっしゃいましたか。それは、いささか理解に苦しみますね。殿下はご自分のことを顧みたことがない、ということでしょうか」


 つづけざまに、自分の言葉が諸刃となって返されてきたクリストファーは、たじろいだ。


 あきらかに態度を変えてきた格上の侯爵令嬢イザベラを前にして、子爵令嬢のミラは、ガタガタと震えはじめていた。


 不穏な状況のなか、返す言葉なかなか見つからないクリストファーは、眉間のシワを深くした。しかし、いくら睨みつけても、イザベラの表情は一切崩れない。


 それどころか、不敵な笑みを深めてみせた。


「さあ、どうぞ。わたしを気にせず、おふたりでお話をおつづけになって。婚約者がいながら、よその令嬢と仲睦まじくしていらっしゃる殿下。それから、わたしという婚約者がいると知りながら、殿下とふたりきりの時間を楽しむ子爵令嬢が、いったいどんな会話をなさるのか、わたしの興味はそこですから」


「――なっ!」


 歯に衣着せぬ物言いとなってきたイザベラに、クリストファーの顔色が変わった。


 それを楽しむかのように、イザベラは微笑みをたたえつづける。


「わたしにとって、殿下の御心を理解することは、たいへん難しいことのようです。これまでの行動が、殿下のいかなる真意に基づくものなのか……この二年ほど、観察をさせていただいて分かったことを申し上げましょうか」


 トン、トン、トン――


 イザベラの指先がテーブルを叩く音が、どんどん恐ろしくなっていくのを、クリストファーは感じていた。


「わたしに対して、うしろめたいことをしていると分かっていながら、わざとそれを見せつけるように、おふたりそろって悪意をさらす。これはつまるところ、わたしに対する、殿下とミラーラ子爵令嬢の宣戦布告と捉えてよろしいか」


 まっすぐな金色の瞳が、クリストファーに突き刺さった。


「まて、イザベラ……」


「待ちませんよ。どうか大目にみてください。わたしもこれまで、おふたりのことをだいぶ大目にみてきましたのでね。このあたりでそろそろ、殿下とそちらの御令嬢のことを、公にするのもありかと」


 ゾクリと、クリストファーの背筋に冷たいものが走った。







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