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第5話 苦言



 学園の敷地内にある男子寮。


 王族の専用の居室で、第二王子クリストファーは、オイラー伯爵家のエリオットが戻ってくるのを、いまかいまかと待っていた。


 子爵令嬢ミラを女子寮に送り届け、自室に戻ってからも、クリストファーはひとつも落ち着けなかった。


 今日、婚約者イザベラの態度が急変した。


 第二王子であるクリストファーとギルガルド侯爵家の令嬢イザベラが婚約したのは、学園に入学する少し前のことだった。


 クリストファーと婚約する前、イザベラは、ガルディア公爵家のロザリンデ嬢とともに、兄である第一王子の婚約者候補として妃教育を受けるため、王城で私室を与えられていた。


 爵位こそ、公爵家のロザリンデにお及ばないものの、王太子妃としての能力は誰しもが認めていた。


 しかし、その後、いよいよどちらかが選ばれるという段階で、降って湧いたような隣国の姫との縁談が持ち上がる。


 瞬く間に婚姻は成立。婚約者候補を外れたロザリンデ公爵令嬢は、東方の皇子との婚約が決まり、イザベラは、第二王子である自分の婚約者となった。


 ロマリア王国一の才女と名高い彼女が、ゆくゆくは王妃となれる第一王子との婚約を望んでいたのは間違いない。


 その座が、政略によって隣国の王女に奪われたあとも、イザベラを王家にとどめておきたい者たちによって、今度は第二王子の婚約者へと鞍替えされたのだった。


 それを聞いたとき、彼女はどう思っただろうか。


 賢い彼女のことだ。おそらく、自分の婚約者となるよりも、第一王子である兄の側妃になった方がマシだと思ったかもしれない。


 クリストファーとて、義姉になるかもしれないと思っていた令嬢が、いきなり自分の婚約者となったのだから、動揺がなかったわけではない。


 聡明なイザベラ嬢とはいえ、たぶん、戸惑っているだろうな。


 互いに、多少のぎこちなさが残るのは仕方がない。


 彼女の心が癒えるのを待ちながら、ゆっくりと歩み寄っていけたら。


 婚約が決まった当初、クリストファーはそう考えていたのだが――王城で顔合わせをしたイザベラは、ぎこちなさの欠片もなく、


「クリストファー殿下、なにとぞ、よろしくお願いいたします」


 短い挨拶を交わすだけで、自身の感情をなにひとつ見せようとしなかった。


 あれこれ考え悩んでいた自分が、ひどく滑稽に思えた。

 厳しい王太子妃教育を経ている彼女は、自分の感情をコントロールすることなど容易いだろう。


 兄である王太子が優秀だったせいで、比較的のびのび育ったクリストファーは、このときチクリと胸を刺す痛みを感じた。これが、兄と同じく自分よりも優秀な貴族令嬢に対する劣等感だと気づくのは、そのあとだった。


 この胸のチクリは、だんだんと大きくなっていき、いつしかそれを感じさせる彼女に、ひどく腹が立つようになった。


 手前勝手なこととわかっているのに、顔を合わせるたびに嫌悪感がつのっていくのを、自分でもどうすることできずにいた。


 学園に入ったことで、自分にあれこれ言えるのはエリオットだけになり、聞き流しているうちに、気づけば、イザベラに冷たい態度で接するのが常となった。


 それでもイザベラは、何一つ文句を言わない。クリストファーの冷たい態度など、痛くも痒くもないとばかりに振舞い、それがまた癪に触った。

 本当に彼女は、自分などいなくても平気そうだった。


 ちょうどそのころ、学園に入学してきたミラ・ミラーラ子爵令嬢が「殿下、殿下」と、うしろを付いて回るようになる。


 貴族階級の上下関係を無視しがちなミラだったが、まあ、子爵家ならこんなものかと、そのままにしておいたら「殿下」とここで思いがけず、イザベラが苦言を呈してきた。


 それも、一度ならず、二度、三度と。


 歯車が完全に狂ったとすれば、あのときだった。


 文句を言ってくるイザベラに、わざとそっけない態度をとることで、優越感に浸れていた自分は、かなりひねくれていた。


 それが段々とエスカレートしていって、いつしかパーティーでイザベラではなくミラをエスコートするようになり、誕生日には花すら贈らない婚約者になった。


 また文句を言ってくればいい、と思っていたら、イザベラが四度目の苦言を呈しにくる日はなかった。


 それ以来、学園内では目も合わさなくなり、その反動からか、ミラをこれまで以上に特別扱いするようになっていた。


「クリス様」と愛称で呼ぶことを許し、自分も「ミラ」と名前で呼ぶようになって、一年が過ぎた今日、それは起きた。


 苦言ではなく、イザベラはあきらかに敵意を向けてきた。


『わたしに対する、殿下とミラーラ子爵令嬢の宣戦布告と捉えて……』


 微笑みをたたえながら告げてきたイザベラに、背筋がゾクリとした。


 ミラをそばにおくことについて文句を言われたときのような、優越感などひとつも湧かなかった。


 そこで、扉がノックされた。


 真っ青な顔で現れたのは、クリストファーがいまか、いまかと戻るのを待っていたエリオットだった。





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