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第7話 大公子



 翌日、授業が終わった午後のことだった。


「よう、久しぶり」


 めったに学園にこない、北の大公国・オルフェス大公家の後継者ジークバルト・オルフェスが、イザベラの前に座った。


 場所は、校舎からも寮からも遠いことから、不人気でひとけない西の庭園。


 休憩用のガゼボに用意されている石造りのベンチに、イザベラが腰掛けようとしたちょうどそのとき。


 狙いすましたかのように、ジークバルトは現れた。


 原則、寮生活が義務付けられる学園において、唯一の特例者といっていい大公子である。


 理由は、彼が大陸最年少のソードマスターであり、竜騎士であり、ジークバルト率いる竜騎士団が、大公国の主戦力であるから。


 同い年とは思えないほど肩書の多い大公子は、同席する許可を求めることなく、テーブル越しのベンチに対面する形で、長い脚を組んで座った。


 北の大公国の君主であるジークバルトの父、現オルフェス大公は、元ロマリア王家の血筋で、二世代前に臣籍降下している。


 国境沿いに広がる北の領地で統治権を得たオルフェス家は、ロマリア王国にとって、好戦的な民族の多い北側諸国の脅威を退けるのに重要な軍事的役割を果たしていた。


 第一王子の婚約者候補だったころ、王城では何度か顔を合わせていたけれど、第二王子クリストファーの婚約者となって、学園に入学してからは、ほとんど顔を見せない大公子とは、すっかり疎遠になっていた。


 当然、手紙のやり取りなどもなく、およそ二年ぶりに声をかけられたわけだが、その精悍な顔をジッと見つめたイザベラは、この王太子がわざわざ話しかけてきた理由を考えていた。


 互いに顔を突き合わせ、腹の探りあいすることに飽きたジークバルトの片眉が、、器用にあがる。


「久しぶりに会った、っていうのに、目のまえの侯爵令嬢は口も利かない気か? いつからそんなに冷たくなった?」


「久しぶりすぎて、無闇に口をひらくのをためらっています。戦略家にして戦闘狂の大公子殿下に、いったいどのような意図があるのかと考え中なのですが、いまいちピンときませんね。それから、わたしが冷たいのは、いつものことです」


「たしかに、相変わらずだな。久しぶりだろうと、なんだろうと。俺が話しかけてニコリともしない貴族令嬢は、今もむかしも、イザベラぐらいなものだ」


「二年ほど見かけないうちに、大公子殿下におかれましては、自意識過剰ぶりに拍車がかかったようですね。それから、ほかの者がいるときは、家名か敬称をつけて呼んでください」


 しっかりと釘を刺されて、「はいはい」と不貞腐れた顔をしてみせるジークバルトに、用向きを訊ねる。


「それで、落ち着きませんので、二年ぶりに話しかけてこられた理由から、まずはお聞かせ願いますか」


「あのなあ。少しは『元気でしたか』とか。社交辞令的な会話があってもいいんだぞ」


「無用です。大公子殿下が元気なのは見ればわかりますので。それに、また近隣諸国を脅されて領地を拡大なされたとか。色々とお忙し時期ではありませんか? 時間を無駄になさらずに、ご用件をどうぞ」


 ここまでくると、ジークバルトも溜息しか吐けない。


「脅してねえし……オルフェス大公国に併合されたい小国が多いだけだ」


「まあ、いいでしょう。そういうことにしておきます。それで?」


「たしかに、イザベラが言うように、俺はいま軍部の指揮をとっているから、めちゃくちゃ忙しい。それでも、この学園に足を運ばせるような情報が、つい昨日、届いてな」


 今度は、イザベラが溜息を吐いた。


「大公子殿下、前にもご忠告いたしましたが、学園内に間諜を紛れ込ませるのは、やり過ぎではありませんか?」


「どこかだ?」


 フンと鼻を鳴らしたジークバルトは、ようやく「ところで」と本題へと入る。


「その間諜から、第二王子の婚約者に動きがあったと聞いてな」


 イザベラの顔が、ここではじめて険しくなった。


 テーブルの反対側に身を乗りだして、斜に構えるジークバルトの顔を覗き込んだ。


「なんだよ。怒るなよ。ちょっと気になって……」


 ジークバルトの目は、うっすら充血している。


「睡眠をとられていないようですが。領地の拡大もそうでしたが、たしかこの時期は、国境線上での軍事演習が行われていますよね。もしかして、間諜から得たその程度の情報で、演習後に竜で駆け付けたのですか」


「その程度って……おまえなあ」


 以前から、イザベラに対する第二王子クリストファーの態度を不快に思っていたと、ジークバルトは口を尖らせる。

 戦場で『死神』の異名を持つ大公子が、こんな子どもじみた顔をすると知ったら、周囲はどれほど驚くだろうか。


「殿下……」


「さっきから――その呼び方はやめてくれ。ジークでいい」


「それはできません」


「どうしてだ? あいつ……クリストファーだって、ミラって女に愛称で呼ばせているんだろ」


 いったいこの大公子は、どこまで情報を知っているのかと、イザベラの頭は痛くなる。


「では、ジークバルト様、わたしからひとつ。情報の取捨選択に、問題があるのではありませんか? わたしとクリストファー殿下の動向も、間諜より押さえていらっしゃるのでしょうけれど、今回は、わたしが一方的に仕掛けただけですから、まだ政治的な動きはありませんよ」


「政治的とか……そういうことじゃない。ただ、俺が、イザベラのことを心配してきただけだ。他意はない」

「心配……ですか」


 すぐに言葉の裏を読もうとする侯爵令嬢にがっかりしつつ、ジークバルトは、ボソリとつぶやいた。


「ああ、めんどくせえ。いっとくけどな、男ってのは、オマエが考えている以上に純情だからな」


「いったい、どうされたのですか? 周辺諸国から『死神』と呼ばれるような御方が、そんな普通の男性みたいなことをおっしゃって、わたしの方が心配になります」


「もういい」


「拗ねたのですか?! 驚きました。 ジークバルト様も人並みに血が通っていらっしゃったのですね」


「…………」


 今度こそ、オルフェス大公国の大公子ジークバルトは閉口した。





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