それから一時間ほど、西の庭園で過ごしたイザベラとジークバルト。
クリストファーとのことを、知りたがりの大公子に、「いいから、教えろ」とせがまれ、
「それなら、オルフェス家の間諜がつかんでいる東方帝国の情報をいただけませんか」
取引を持ちかける。
「オルフェスの大公子相手に取引を持ちかけるのは、イザベラぐらいだろうな」
嫌そうに顔をゆがめたジークバルトに、にっこりと微笑む。
「誉め言葉として受け取りましょう」
「ロザリンデ公爵令嬢が婚約している第二皇子のことなら、問題ないぞ。あれほど叩いて埃のでない皇子もめずらしい」
こちらの知りたいことを把握しているので、ジークバルトとの話は早い。
「そうですか。安心しました。ちなみに、ジークバルト様は叩けば埃がでるのでしょうか」
「あのなあ。いっとくけど、俺からは塵ひとつでないからな」
金色の瞳が、細められる。
「疑っているな」
「ええ、まあ……」
「賢いイザベラが知らないことを教えてやる。俺ほど一途で純情な男はいない。ちなみに、いまならちょうど狙い目だぞ」
「ジークバルト様」
「なんだ」
「わたしはいま、王城に出入りしているわけではありませんから、ジークバルト様が取引を持ち掛ける相手としては、あまり有益とはいえませんよ」
「……もういい」
「あら、また拗ねましたね」
こんな感じで一時間。
結局イザベラは、東方帝国のさらなる情報と引き換えに、クリストファーとのことを根掘り葉掘り白状させられた。
陽が落ちて、そろそろ竜で大公国に帰還するのかと思ったら、
「腹が減った。食事に付き合ってくれ」
夕食も食べていくらしい。
今日はロザリンデが、朝から王都に出かけて不在にしているので、ちょうどいいといえば、ちょうどいい。
「そうですか。では、食堂に――」
「いや、外に行こう。門限は十時だったよな。あとで女子寮まで迎えにいく。ああ、そうだ、あとアレだ……ちょっと遅くなったが、17歳、おめでとう、イザベラ。祝いに食事でもおごらせてくれ」
「ありがとうございます」
断る理由はない。
外出することになり、自室で着替え、エントランスに降りていくと、そこで待っていたのは、ジークバルトではなく、第二王子クリストファーだった。
わざとらしく周囲を見回していると、
「イザベラ……」
不機嫌な顔で呼んでくるのは、相変わらずだった。
本当に、残念だ。
「イザベラ、なぜ返事をしない」
いちいち苛立ちをみせられても、相手をする気はない。
「なんでしょうか。クリストファー殿下。ミラーラ子爵令嬢をお待ちなのであれば、まだいらしていないようですが」
「ミラを迎えに来たわけではない。今日は……夕食でもどうかと、イザベラを誘いに……出かけるのか?」
ようやく外出着であることに気づいたようだった。
「ええ。そうですが」
「……話がある。外出はまたにしてもらえないか」
「無理ですね。約束をしておりますので」
にべもなく断れば、クリストファーの顔色がサッと変わる。
「約束? ロザリンデ嬢は王都に出かけていて不在だろう。いったい、だれと――」
「俺だ」
背中からの声に振り返ったクリストファーが、予想外の人物の登場に驚いているのがわかる。
まあ、そうなるのもわからなくはない。
それにしても、また随分と絶妙なタイミングで登場してきたものだ。
オルフェス家の息のかかった間諜が、女子寮にもまぎれているのかもしれない――などと考えているうちに「イザベラ嬢」と差し出された手。
約束どおり、人前では敬称をつけてくれるジークバルトに微笑みながら、イザベラはその手に、自分の手を重ねた。
この光景に、はじめこそ虚を衝かれた様子のクリストファーだったが、
「オルフェスの大公子が、どうしてここに?」
このあたりはさすがというか、すぐに表情を整えて相対する。
「忘れたか。俺もこの学園に在籍しているんだが」
「忘れていたな。で、国境沿いで演習中の大公子が、イザベラ嬢にどんな用がある?」
「わざわざ教えてやる必要があるか?」
「そっちこそ、忘れているらしいな。彼女は、僕の婚約者だ。手を離せ」
「面白いな、それ」
軽く笑ったジークバルトだが、その目は一切笑っていない。
イザベラの手を取りながら、もう片方で腰を引き寄せる。
「離さない――って言ったら、どうする?」
「それこそ、面白いな。オルフェス大公子には、他人の婚約者を欲しがる悪癖があるようだ。王城で報告しておいた方がいいだろうな」
クリストファーの声が低くなり、全身から怒気がはなたれる――が、その程度では、オルフェスの死神はたじろがない。
「好きにすればいい。そうだ、それなら俺もひとつ、うちの者が仕入れた情報を王城に寄って、陛下に伝えよう。婚約者のいるどこかの王子が、婚約者以外の女に髪飾りを贈っているようですよ、と」
張りつめた空気に、まわりの視線が集まりだしたころ。
「行きましょう、ジークバルト様」
イザベラが逆に、ジークバルトの手を引いた。
その行為に、眉間のしわを深くしたクリストファーの前で優雅に一礼する。
「殿下、どういう風の吹き回しかは存じ上げませんが、これまで、ただの一度も夕食に誘われていませんでしたので、今夜、急にいわれましても、こちらにも予定がございます。お話はいずれまた。殿下はいつものように、ミラーラ子爵令嬢とお食事をお取りくださいませ」
悪役令嬢たるもの――相手が少々反省して歩み寄ってきたからといって、手を緩めたりはしない。
完膚なきまでに――それが悪役令嬢イザベラである。
ジークバルトに対していたときの険しさとは打ってかわり、イザベラの言葉に傷ついた顔をみせるクリストファーに、追い打ちをかける。
「ああ、それから。ジークバルト様のことを王城であれこれいっても、あまり意味がございませんよ。この方は元々、厚顔不遜でなんでもありの悪名高き大公子様ですから。いまさら、悪癖のひとつやふたつ出たところで、痛くも痒くもないでしょう。それに今夜は、三か月前、婚約者に誕生日を祝ってもらえなかった憐れなわたしのために、ジークバルト様が食事にお誘いくださった――ただ、それだけのことにございます」
ジークバルトと連れ立って、
「では、失礼いたします」
呆然とするクリストファーの横を、イザベラは微笑みながら通り過ぎた。