街のレストランで夕食をしたあと。
夜風に吹かれながら、運河沿いを散歩する。
「それと、あとはなんだったかな。俺は、厚顔不遜で、なんでもありで、悪名が高くて……言いたい放題だったな」
「あながち嘘ではないところが、残念ですね」
「……くそ」
ジークバルドの食事は楽しかった。
一時的であれ、イザベラの頭から婚約者の存在を忘れさせてくれたから。
しかし――イザベラは、今日のことで完全に巻き込んでしまったジークバルドの顔を見上げた。
「面倒な争いごとに、自分から顔を突っ込むタイプだとは予想外でした。ただでさえお忙しいのに、こんなことに時間を割かせてまっていることに、わたしにしてはめずらしく、良心の呵責を感じます」
自然とため息が漏れでたイザベラに、ジークバルトは満足そうだった。
「良心の呵責は、おおいに感じてくれていいぞ。それで俺になびいてくれるなら、竜を駆って首を突っ込みにきた甲斐があったな」
「つくづく……ジークバルト様は、もの好きですね。貴方なら、どこかの国の美しい王女でも、裕福な高位貴族の子女でも、選び放題でしょうに」
「それなら、イザベラ・ギルガルドを妻にと望んでもいいだろう」
「正気ですか?」
「俺は、ずっと正気だ。イザベラが王太子の婚約者候補になったとき、王城から攫おうとして、木っ端微塵にフラレたときからずっとだ。いまだからいうけどな。あれからしばらく、ドン底だった」
懐かしい話をするジークバルトが、イザベラの手をとる。
「王太子のときは、泣く泣くあきらめた。第二王子のときは出し抜かれた。もういい加減、うんざりなんだよ。正攻法でやってダメなら、奇襲するのが定石だろう」
「リスクは高いですよ」
「安心しろ、折り込み済みだ」
不敵な笑みをたたえる大公子は、数年前よりもずっと、自信に満ち溢れていた。
このあたりで、覚悟を決めた方がいいだろう。
イザベラが、ツンと顎先をあげた。
「仕方がありませんね。その奇襲作戦に、わたしも乗っかってさしあげましょう。いいでしょう、ジークバルト様は、わたしの夫候補とういうことで」
瞬間的にフリーズしたジークバルトが、「……え」と動き出すまでに、ある程度の時間が必要だった。
「……えっ、あっ……お、夫って、本気かっ!? イ、イザベラ、そっちこそ、正気だろうなっ!?」
自信満々に言っていたくせに、いざ乗っかると慌てふためく大公子というのも、なかなか見ていて面白いと思う。
「いいか、この作戦に関してだけは、冗談はナシだ! 俺を、ぬか喜びさせるなっ! 本気なんだぞ。いますぐ、オルフェスに連れていく準備だってしているんだ」
「知っていますよ」
イザベラにとっては心地よい夜風が吹いている。
ロマリア王国一の才媛であり、策略家でもあるイザベラは、とうに第二王子クリストファーを見限っていた。
学園に入ってから、子爵令嬢と懇意にするクリストファーの様子を観察し、耐え忍ぶふりをして、婚約解消に相当する婚約者の不実な行為を集めていた。
ただ、どんなにイザベラを軽んじろうとも、クリストファーは、ミラとの一線だけは越えようとしなかった。
婚約を解消するための決定力に欠ける日々がつづき、さきに痺れを切らしたのは、何を隠そうイザベラの方だった。
「作戦変更で『悪役令嬢』となり、悪評をとどろかせて、クリストファー殿下からの婚約破棄を告げてもらう策に、舵を切ったばかりだったのですが……まさかジークバルト様が、飛んで火に入る夏の虫だったとは、わたしも予想外でした」
まさか、作戦変更の翌日に乗り込んでくるとは思っていなかったので、イザベラとしても慌てたのだが、この二年間、ジークバルトもまた、自分のためにあれこれと根回しをしていることは、ギルガルド家お抱えの優秀な諜報員からの報告で、耳に入っていた。
「ご存知でしょうけれど、奇襲作戦においては、いかに不測の事態に備えるかが、作戦成功の鍵となります」
ジークバルトにとっては、まさに寝耳に水の話で、自分よりも一枚も二枚も上手な侯爵令嬢の話に、耳を傾けるよりほかない。
「大変だったのは、ロザリンデです。さっそく王都に向かって、御父上の宰相閣下に話を通し、婚約解消への布石を打っておりましたのに……ジークバルト様が学園に現れてから、わたしが向かわせました諜報員の連絡を受けて、軌道修正に奔走したにちがいありません」
文句を言いながらも、王都を駆けまわる大親友の姿が思い浮かぶ。
「まあ、もちろん、その可能性もあると思い、ロザリンデとは事前に、計画が変更になった際のプランも立ておりました。ほら、きましたよ」
イザベラとジークバルトが眺めていた運河に、運搬用の船が一艘、闇に紛れて近づき、静かに接岸した。
船首に仁王立ちしているのは、暗闇のなかでも光輝く黄金の巻き毛を持つ令嬢。
「こんばんは、突然あらわれて引っ掻き回してくれた大公子殿下。まったく、とんでもない目に合ったわ」
「おかえりなさい、ロザリンデ。すっかり、迷惑をかけてしまったわね」
「ただいま、イザベラ。いいのよ、迷惑だなんてこれっぽっちも思っていないから」
船から上がってきた公爵令嬢ロザリンデから「はい、これ」と渡された書状に、イザベラが目を通す。
「完璧よ。ロザリンデ」
「当たり前よ。イザベラ」
となりでポカンとなっているジークバルトに、その書状をみせる。
あまりの展開のはやさに、いまだ状況がのみ込めていない大公子の目が、書状の文言を追う。
「……任命? 本日付けで、イザベラ・ギルガルド侯爵令嬢と第二王子クリストファー・ロマリアの婚約を一時保留とし、オルフェス大公家の政務官として臨時派遣……する、だって!?」
ロザリンデは、どうだといわんばかりに胸をそらした。
「王令すら捻じ曲げるガルディア家の権威に、ひれ伏してもよくてよ」
残念ながらそれは、書状を見つめるジークバルトの耳には届いてなかった。
「つまり、これでイザベラを、オルフェスに連れていける大義名分が得られたということか」
「そのとおりよ、オルフェス大公子殿下。貴方が大慌てでやってこなければ、一時保留などではなく、正式に婚約解消まで持っていけたのに」
「イザベラとようやく……ずっといっしょにいられる」
「オルフェス大公子殿下は、文字が読めなくなったようね。臨時派遣よ。その間に、イザベラが自分の夫になるにふさわしいか見極めることでしょう」
「俺が、イザベラの夫に……」
まったく耳に入っていない様子の大公子と話すのをあきらめたロザリンデは、イザベラに手紙を渡す。
「侯爵からよ」
「お父様……突然のことで心配したかしら」
「大丈夫よ。少々、驚かれてはいたけれど、イザベラの御父上ですもの。すべて把握していらしたわ。それから、こちらは侯爵夫人から」
イザベラの手に渡されたのは、菓子の箱。
「さすがはエミリア様よ。一切、動じていらっしゃらなかったわ。オルフェスに向かう途中で、大公子殿下と召し上がれ、ですって。わたくしも頂いたのよ。ああ、憧れの剣士エミリア様から手製の菓子を頂けるなんて……王都を駆けずり回った甲斐があるというものよ」
結婚前、イザベラの母エミリアは、ロマリア王国初となる近衛騎士団長に任ぜられた女性だった。
王都ではいまでも、絶大な人気を誇り、剣士としてはいまだに現役。
ロマリア王国の剣術大会で10連覇中という、ロザリンデが敬愛してやまない憧れの剣士なのだ。
接岸した船には、イザベラに必要な荷物一式が積み込まれていた。
「さあ、行くわよ」
ふたたび船首に立ったロザリンデの合図で、イザベラとジークバルトが乗り込んだ船は、ゆっくりと動き出した。