新たにスライムの信玄を仲間に入れて、虎之助の目標はグッと近付いた。
これに大いに貢献しているのが兎偵察部隊だった。
オーガの結界アクセサリーを装着した兎偵察部隊は全部で五部隊。偶然にもオーガの魔石は五色あり、その色で呼ぶようにしている。
今日は赤兎部隊と黄兎部隊が目標の湖を探して少しずつ行動範囲を広げている。白地図だったマップにも少しずつ安全圏と思われる兎部隊の足跡が増えてきた。
兎部隊が辿っていく道を、虎之助とクリームが辿って確認し、目印を付けている。何でもないリボンをピンで打ち付けたものだが、このリボンには魔物が嫌がる匂いがついているらしく、設置すると少しの間魔物避けができる。
そしてピンには目印の魔法があり、後日でも辿れるのだ。
「随分倒木なんかもあるな」
拠点となる屋敷を離れて一キロ程度きたか。陽光を隠す分厚い木々の葉で森の中は常に薄暗くジメッとしている。苔むした倒木などは足元を取られる。
「うむ。それに、Aクラスの魔物の気配も濃い。この辺りは特に多いのだろう」
警戒を強めるクリームの言葉に虎之助も緊張する。
Bクラスは余裕で倒せるくらいになっているが、Aクラスはまだ数える程。どれも厄介な能力があった。
基本、Bクラスはもの凄く強く頑丈だが強力な魔法や状態異常攻撃はしてこなかった。
だがAクラスはこれがある。勿論頑丈さと物理攻撃の強さもエグい。
その時、不意にゾワリとした寒気を覚えて虎之助は身構えた。クリームも気づいたのだろう。僅かに息を潜め虎之助の側へと近づいた。
「これは不味いな。Sクラスの気配だ」
その言葉だけで口の中が乾く。剣を握りしめ、軽く身体強化を行っておく。戦うにしても逃げるにしても初手でしくじれば終わりだ。
「逃げられるか?」
「いや、無理だ。相手も気づいている」
「分かった。クリーム、相手の動きを鈍らせつつ遠距離から補助を頼む」
「了解した。主、無理をするな」
「あぁ」
短く確認を終えて身構える。どこからどうくる? そもそもどんな魔物だ?
そんな事を考えていると不意に、隠れている巨木の両脇を何か細長いものが猛スピードで通り過ぎた。
「主!」
「っ!」
それは真っ黒い外皮に覆われた長大な蛇だった。爛々とした金の瞳がこちらを睨み鋭い牙を見せて威嚇する。その牙からは透明な液体が垂れ、地に付くとジュワァァと白い煙を上げて溶け、その後に紫色の花が一輪咲いた。
「こいつ、ケルベロスか!」
ケルベロスの唾液からはトリカブトが咲くという伝説がある。オタク虎之助も記憶の片隅程度のものだったが覚えていた。
蛇は直ぐさまこちらへ向かって襲いかかってくる。これに剣を抜いた虎之助。その側でクリームが叫んだ。
『アイスブレス!』
口元に手を添えフゥゥゥと息を吐き出す。するとそれは真っ白く凍り付き地上も空気も凍てつかせていく。
このブレスを正面から食らった蛇は明らかに動きが鈍った。この瞬間を逃すつもりはない。走り寄った虎之助が蛇の頭を落とすとそこからは紫色の血が流れ落ち、尻尾だろう蛇は一気に引っ込んでいく。
だがこれで終わりではない。寧ろ始まってもいない。尾があるなら本体が控えている。
直ぐさま隠れていた木から離れた虎之助。その直後、青い斬撃が飛んできて巨木を真っ二つに袈裟切りにした。
ズズッとずれ落ちていく巨木の向こう、爛々と光る六つの赤い瞳を見てすくみ上がる思いがする。
艶の良い漆黒の毛皮を纏う三つ首の犬、ケルベロス。地獄の門を守る番犬とも言われるこの魔物はとてつもなく強いイメージだ。
グルルと唸り前を低くする。飛びかかってくるのかと思いきや、うち一頭の口元が黄色くバリバリと音を立てた。
「雷撃がくる!」
クリームの警戒に虎之助は直ぐさま反応し、身体強化で直線上から横へと飛んだ。そこへ、真っ直ぐに放たれた雷撃は巨木を数十本は薙ぎ倒していく。メキメキ、バリバリという音が後ろの方でしている恐怖だ。
だが怖がるばかりでは切り抜けられない。何よりもこの毛皮がどうしても欲しくなっていた。
辛い思いを秘めたまま頑張っている、我が家の執事の為に!
「毛皮置いてけ!」
「うむ、主であるな」
本心を叫び、横に飛んだ反動を生かして前へ。雷撃が再び用意されているが怯む事はない。直線上にいなければいい。攪乱するように左右に大きくステップを踏む事で首は狙いを定められない。
「ふん!」
巨大な足が踏み潰さんと振り下ろされる。それをバックステップで回避するばかりか、足がかりにして跳躍した虎之助が剣を一閃させる。
それは見事にケルベロスの首を捉えたが、僅かに毛が舞うだけだ。
「硬い!」
重力により落下する。そこを首が目の前だ。牙の一本が虎之助と同じだけ大きい。それを間近で見る恐怖は諦めにも近い。
だが……。
「死ねねぇよ」
カフィが悲しむ。あいつはもう、主を失いたくないと言っていたんだ。その願いを叶えてやれない主では駄目だ!
『アイスニードル!』
無数の氷の刃がケルベロスの目を狙って放たれる。それらを邪魔にしたケルベロスの注意が虎之助からクリームへと移った。
何を逃れた。だが今度はクリームが危ない。
この巨体と圧倒的な力。だが必ず弱点はあるはずだ。それを看破できれば……!
『鑑定眼!』
咄嗟に虎之助は鑑定眼でケルベロスを見た。あれからそれなりに使ってスキルレベルが一つは上がっている。それにより、生体の観察が上がっていた。
巨大な体の大半を覆う強い毛皮。この体のどこに弱点があるのか。
「……あぁ?」
信じがたい情報に虎之助は唸る。だが……いや、信じるしかない。
マジックバッグに手を突っ込み、取り出したのは保存用に作っておいたパン。外歩きで昼も戻れなくなってきた虎之助へとカフィが持たせてくれたものだ。
これにもう一つ。森の中で度々見つける凶悪な蜂達と戦い、勝ち得た蜂蜜。パンをこれにどっぷりとつけた。
「犬公ぉぉぉ!」
腹の底からの声に首の一つがこちらを向いた。そこへ向かい、虎之助は球児よろしく甘ったるくびちょびちょになったパンを構えてぶん投げた。メジャーリーガーを越える身体強化された剛速球は射貫く球速でケルベロスへと迫り、見事に口へと入った。
「っっ!」
瞬間、食ったケルエベロスの首が目を見開くと同時に明らかにデレた。そしてこの変化に他の首三つも反応した。
「ははっ、いいぜお前等。食わせてやる!」
蜂蜜に浸した甘過ぎパンを更に二つ用意して、残る首にもぶん投げる。それを美味そうに咀嚼するケルベロスは完全に意識が削がれ隙を見せた。
「クリーム!」
『アイス・ジャックル!』
クリームの目が一瞬青く揺らめき、地上か瞬時に冷やされ白い冷気を纏う。危険を感じた虎之助は跳躍で一気に上空へと逃れ、そのまま高い木の上へと着地したが、その眼下ではケルベロスが暴れていた。
白く凍結する冷気から青白く輝く無骨な鎖が現れ、ケルベロスの足を全て繋いでしまう。更には体を這った鎖が首へも巻き付き締め上げ、動きを完全に封じてしまった。
「主、トドメを!」
クリームの声に応じ、虎之助は最大まで身体強化を上げる。肌がほんのりと赤味を帯び、熱が蜃気楼のように虎之助の周囲を揺らめかせている。感覚は鋭く、鑑定眼は確実に目の前の魔物の弱点を伝えた。
「はぁぁ!」
木を蹴って飛び出す虎之助は一点を狙い剣を振り下ろす。中央にある首の、その根元。だが相手も気づいている。動けないまでもどうにか顔を上向かせた口元が赤い光を内包し、それを虎之助へと放った。
「くっ!」
全身を高温のブレスが撫でていく。耐えきれない服は消し炭となっていく。本来であれば一瞬で人間も消し炭だろう中、虎之助は生き延びた。
何故ならその首には結界魔法を封じたお守りがあったからだ。
「うおぉぉぉ!」
「!」
ブレスが消える。そして斬るべき弱点はもう、目の前だ。
限界まで上げた身体強化。そこから振り下ろされた剣がケルベロスの強靱な首へと吸い込まれていく。これでも楽ではない。力は抜けない! ギチギチと剣を押し込むように下へ。更に魔力をこめて。
「観念しろやぁぁ!」
気合いとダメ押しの雄叫びと共にケルベロスの首が切れ、その衝撃で地面まで深く亀裂が走る。転げた首を、他の二つも驚愕の目で見たが、それが最後だ。
ドサリと倒れるように落ちた虎之助。その側で気の抜けるポンッ! という音がして、ケルベロスは見事にドロップ品になった。
同時に胸元で防御魔法を封じていた魔石のペンダントが砕ける。一瞬で全てを使い果たしたのだろう。
「それにしても、この気の抜けるポンって音やめろや。こっち死にかけで痛ぇってのに」
正直、限界まで高めた身体強化の反動は半端ない。指一つ動かすだけで全身に痛みが走る。頭も痛い。肺が酸素を上手く取り込めていない感じもする。
そこにクリームが慌てて近付いてきた。そして、全身がゆっくりと冷たくなるのを感じた。
「主、酷い火傷だ。大丈夫か、生きているか!」
「あぁ、生きてる。多分表皮だけだ」
「だとしても酷い!」
泣きそうな声で訴えているクリーム。だがそんなクリームのリュックが突如グニュグニュッと動いたかと思えば、そこから透明なスライムが出てきた。
「信玄?」
連れてきた覚えはないが、時々しれっと同行している事はあった。大抵クリームに持たせたリュックに入っている。ただ可愛くて背負わせてみたやつだ。
どうもスライムというのは小さくなったり大きくなったり出来るようなのだ。
その信玄が近付いてきた、突然大きくなって虎之助に触手を伸ばす。
「信玄、何をする!」
焦るクリーム。虎之助も何が起こるのかわからなかった。
だが持ち上げられた直後、全身をひんやりとした液体につけられて驚いた。
「信玄の、中か?」
世界が透明な壁一つを隔てているのが感じられる。同時に、触れている液体が火傷した体を優しく包み込んで気持ちいい。
「……あ?」
ヒリヒリと痛んだ表皮を見ていると、赤黒くめくれていた腕の色が薄くなり、ゆっくりと元の色に戻っていく。更には痛みが引いた。
それだけじゃない、身体強化の反動もだ。液体の中なのに息が出来る。この中に身を預けていると全員の痛みもゆっくりと遠のいていく。
信玄はそのまま十分ほど虎之助を自分の体に取り込んだ後、優しく触手で地面へと座らせて元の大きさへと戻った。
「主、無事か! 体は!」
「あぁ……楽になった」
もの凄く驚きながら体を見つめ、次に側に擦り寄る信玄を見る。本当に、信じられない事だ。
「お前、癒やしの魔法でも使えるのか?」
表面を撫でると嬉しそうなピンク色になっていく。それに微笑み、虎之助は心ゆくまで撫で回してやった。