暫く休んだ事で帰るくらいの体力が戻り、虎之助はゆっくりと家路についた。
片手をクリームが、もう片方の手を信玄が触手で掴んで引いていく。更に先頭には赤兎隊がいて周囲を警戒してくれていた。
「悪いな、お前等」
「主は無茶をしすぎだ! ケルベロスのブレスにツッコむバカはいないのだぞ!」
「ははっ、面目ない」
怒るクリームに苦笑する。だが、逃げられないなら挑むしかないだろうし、挑んだだけの報酬はあった。
ケルベロスの毛皮は想像通りの艶と暖かさ、触り心地は極上だった。
今回は肉も手に入った。立派な赤身肉で食い応えがありそうだ。
更に今回は特殊な物も手に入った。一つはトリカブト。猛毒だ。
そして「地獄の炎」というレアアイテムは小さな瓶に入っていて、中に黒い炎が揺らめいている。鑑定眼の結果、地獄の黒炎を呼び出すとある。瓶の蓋を開けたらそうなるようで、キツくコルクを押し込んでおいた。
そして魔石だ。クリームの元となったフェンリルの魔石くらい大きい赤いもので、これも鑑定の結果「自我がある」と出たが、穢れが高濃度で浄化を何度か掛けなければならないらしい。戻ってから作業しよう。
何にしても過酷な討伐を終えて満身創痍。命の危険がない程度で全身が痛く動かしにくい。これで屋敷が見えてきたら途端に眠気も襲ってきて、玄関を潜った所で情けなくへたり込んでしまった。
『ご主人様! どうなさったのです、こんな……』
「あぁ、色々あってな。ただいま、カフィ」
慌てて近付いてきたカフィの顔色は悪いように思う。半透明だから正確には分からないが、普段冷静な彼がオロオロしながら虎之助を抱えて直ぐさま仮眠用の部屋へと連れていき、大慌てで出ていくのを見ると申し訳なくなる。
「……心配させちまったな」
「俺も心配しているんだが」
「そうだな、クリーム」
ベッドに寝かされ、その側について不満そうなクリームの頭を撫でて虎之助は苦笑する。だが、どうにもここまでだ。
ベッドに横になると更に眠気が凶悪なレベルで襲ってきて、瞼を開けていられない。そしてやっぱり頭痛がする。
そこにカフィが薬を抱えて戻ってきて、真っ先にポーションを流し込まれた。
『どのような無茶をなさればこのようにボロボロになるのです!』
「ちょっと、ケルベロスと……」
『バカですか! あんな化け物、単独討伐する阿呆はおりませんよ!』
「俺も信玄もいるんだが」
『そうでしたね! すみません!』
うん、これでパニックなんだろうな。怒りながらもボケ、ボケながらもの凄い手際で治療していく。有能な執事だ。
「悪い、眠くてクラクラする。寝ていいか?」
『はい。夕食時にお声がけいたします』
「わるい」
それを最後にぱったりと、虎之助は気絶するように眠りについた。
◇◆◇
そのままかなり寝たんだろう。目が覚めた頃には辺りは薄暗くなっていた。
ふと見ると側にはカフィがいて、こちらに気づいて近付いてくる。沈痛な面持ちで。
『お目覚めですか?』
「おう」
『……クリームに状況を聞きました。無茶をなさらないでください』
そう言って、虎之助の手をギュッと握る彼はとても痛々しい。
起き上がり、手を伸ばして肩を叩けば頼りなく揺れる目を向けてくる。そこに、ニッコリと笑った。
「帰ってくるよ」
『……そう言って、リーベ様は戻らなかったのです。いつものように出ていって、そのまま……』
苦しげな様子で呟くカフィを見つめる。やはり、それがトラウマなのだろう。だからこそ虎之助は意地でも帰ると決めている。防御のアクセサリーを持っていたのもこれだ。
「俺は、戻ってくるよ」
『……人の事に、絶対はありません。外で貴方に何があっても、私は助けに行くことも、追いかける事もできないのです。っ! リーベ様が帰らなかった時、どれだけそれを恨んだか、絶望したか分からない。一人置いて逝かれるくらいなら一緒にと、何度願ったか……』
半透明なのに涙を浮かべているのが分かる。その頭を撫でて、虎之助は改めて思う。
「お前を、屋敷の外に出せるようにする」
『え?』
「俺を信じて待て、カフィ。お前を、自由にするからな」
その為にはもう一つ、一番重要な素材が足りない。今回の事でこいつに似合う毛皮は手に入った。瞳もいい物を手に入れている。そして素材の場所は目星がついているのだ。
けれどこれを聞いたカフィは目を丸くし、次にはパッと立ち上がって虎之助の手を逃れた。
『そんなものはいりません! そんなことの為に無茶をなさったのですか!』
「カフィ!」
『私の願いは、もう主を失わない事です。貴方を、失わない事です』
クシャリと綺麗な顔を歪めた人がパッと消えてしまう。その背を、虎之助は追うことが出来なかった。
だが異変はこの翌日だった。家が、開かなくなったのだ。
「主、これはいったい……」
困惑顔のクリームと同じく、虎之助も困惑している。
夕飯は用意されていたのでそれを食べ、自分で片付けて寝て朝の事。戸惑うクリームに起こされて今だ。
玄関が開かない。窓も開かない。そしてカフィは昨夜から姿を見せていない。
思い当たるのは昨日のやりとりだ。おそらく、彼の傷に触れたんだろう。
「……とりあえず飯食うか」
「主の冷静さはやや異常だな」
「どうにもならんからな。腹が減ると碌な考えが浮かばないぞ。あと、イライラする」
空腹と睡眠不足は明らかに判断を誤る。人間は食って寝なきゃ生きられない生き物だ。
とはいえこの状況では落ち着いて料理というのも気が咎める。
冷蔵庫を漁れば最近増えた諸々の食材がある。その中で、虎之助は卵と牛乳を手にした。
ボールに卵と牛乳、それを軽く混ぜ合わせた中に小麦粉、砂糖、ふくらし粉を入れてダマにならないように混ぜ合わせる。
バターも冷蔵庫から出し、蜂蜜を用意。フライパンを魔石のコンロに置いて一度熱し、濡らした布巾の上に置いて一度冷ます。
ここで作ったタネをお玉で掬って投入し、ジッと待つ。すると表面がプツプツと盛り上がってくる。
「いいか」
中心部分もある程度プツプツしてきたらフライ返しでひっくり返すと小麦色の焼き面が見え、更に膨らんでもっちりと持ち上がってくる。
これを二枚用意し、四角くバターを切って乗せて蜂蜜をかければOKだ。
「美味しそうだな」
「クリーム食べられないからな」
「だが、匂いは共有できるぞ」
そう言っていつもの定位置に座ってくれる。だがここにもう一人がいない。
「……美味いけれどな」
違う部分が足りなくて物足りない。その理由もまた、虎之助は分かっている。
軽い朝食を終えて片付けをして、リビングの掃除をしてしまう。普段はカフィがしているのだろう家事を久しぶりにした。これが案外重労働だと、思い出した。
支えられているんだ、いつも。カフィが居なければこれで数時間は確実に潰れる。掃除だけじゃなく洗濯も、食事の用意も。下手をすればこれだけで半日だ。
「カフィの存在は偉大だな」
同じく掃除を手伝ってくれるクリームがはたきをパタパタさせながら言う。落ちているゴミを吸収して分解する信玄も、心なしか元気がない。
「終わったら、話をしてみるさ」
誠実に話せば多分わかる。感情が落ち着けば。それには少しでいい、時間が必要なんだろう。
午後、虎之助は一人二階へと上がった。そうして目指すのは奥の部屋、かつての主リーベが使っていただろう部屋だ。
扉は開いていた。それに一つほっとする。
主がいないのに、今もまだ居るような雰囲気がある。毎朝カーテンを開け、風を通し、掃除をして、夜にはカーテンを閉める。それを繰り返しているのだろう。
簡素な机の上には日記帳が一冊。以前はこれに触れようとしたら拒むような気配があった。だが今日、虎之助がこれに触れても少し空気が揺れるだけで、拒まれなかった。少しは許して貰えているのだろう。
それは予想通り日記だ。魔道具製作手順に走り書きされている文字と似た、小さくかっちりとした文字で書いてあるそれを捲りながら、ふと一つに手を止めた。
『〇月×日 アトリベラにて
古い道具市で掘り出し物を見つけた。古い壊れた懐中時計で、どこかの没落した貴族の家から出た物だと店主は言っていた。
壊れて動かないから二束三文だって言うから、喜んで買った。だってこれ、核は月の石だし妖精付だし。絶対お得だもの!
魔女の目か、レベルの高い鑑定眼じゃなきゃ見つけられないでしょうね。掘り出し物よ。
妖精は産まれて間もないみたいで、まだ意志の疎通とかはできないみたい。別に守護の契約がされているわけではないわね。大事にされ続けた事と、核がいいものだったから偶然に宿った感じかしら。
これから一緒に旅をして、魔素を取り込んで行けば育つでしょう。楽しみね』
これがカフィだと分かる。ここが、二人の始まりだ。
読んでいくと、二人はこのまま一緒に旅をし続けた。そして、リーベはこの森に辿りつく。
『〇月×日 絶望の森にて
もう嫌! 私は便利な道具じゃないわ。それなのに「アレを作れ」「これを作れ」なんてやってられないわよ。しかもこの私に聖女を呪う呪具を作れですって? 冗談じゃない!
ってことで、飛び出してきた。嫁ぐ予定の聖女様には申し訳ないけれどね。
今日からここが私の終の住処。この子に屋敷守をしてもらって、静かに暮らすわ』
ここからカフィは屋敷妖精になった。そして、その役割に相応しい姿を取るようになっていったという。
絶望の森は魔素の宝庫。ただあり続けるだけで成長していく。それが、日記にも書かれている。
少ない友人が訪ねてきて、たまに正妃の使いという人がいて。でも概ね平穏な毎日だ。
そして……。
『〇月×日 絶望の森にて
聖女の残した娘に呪いの兆しがあると知らせが入った。本当に、人間って懲りないわ。どうして他人を蹴落としたいのかしら。互いの場所で幸せを享受していけばいいのに。
でも、少し後ろめたいから明日行く事にした。本当なら私が聖女の守りとして付くはずだったのに、逃げちゃったしね。
それに、あの兄妹は嫌いじゃないもの。みすみす死なせるなんてできないじゃない』
ここで、日記は途切れた。きっとこれが、リーベにとって最後の夜だったのだ。
静かに日記を閉じ、虎之助は後ろを振り向く。そして猫足のクローゼットへと向き合い、扉を開けた。
中には幾つかの服と、旅行用の小さな手提げトランク。おそらくマジックバッグだろう。
でも視線はその先を見ていた。奥側の端っこにある隠し扉。そこからカフィの気配がする。
「カフィ、悪かったな。沢山心配させちまって。主に置いて逝かれたお前からしたら、さぞ怖かったんだろ?」
問うと空気が揺れる。だから聞いている。そう思って、虎之助は尚も話を続けた。
「俺はな、夢があるんだ。クリームみたいなもふもふのぬいぐるみが沢山ある、可愛らしいカフェを開きたい。神様からのチートスキルのお陰で動くぬいぐるみも作れるから、接客はそっちに任せて俺は厨房で」
子供の時に見た絵本の中で、可愛いぬいぐるみが一緒に店をするものがあった。温かくて優しくて可愛くて。こんな世界が現実になればと、何度も思った。それがこの世界では叶うのだ。
「だがよ、この森は普通の人がくるにはかなり厳しい。人を呼ぶのを考えればこの場所を離れてもっと人の生活圏に店を出す事も考えなきゃなんねぇ」
そこで、空気が大きく動いた。動揺している。困惑している。嫌だと叫んでいる。
「二拠点になった時、こっちの拠点に帰る頻度はきっと少し減るぞ」
『嫌です!』
バタバタと扉が暴れて動き、窓ガラスも揺れる。屋敷妖精であるカフィの心を家が反映している。だから扉が開かなくなったんだ。
「……俺を閉じ込めておけば、お前の世界は平穏なまま続くだろう。けどそれじゃ、俺の心はきっとそのうち死ぬ」
『っ!』
「やりたい事を譲らずに、この世界の神と戦ったくらいだぜ。当然だろ?」
しばらくはいい。だがそのうちに少しずつ狂い出すように思う。閉塞感に我慢できず、心が荒んでいくように思う。人間の寿命はそう長くないし、耐えられないだろう。
「それで、いいか?」
静かになった。これが、カフィの気持ちだ。
静かに笑う虎之助はただ、彼の核があるだろう場所を見つめる。しゃがみ込み、じっと出てくるのを待って。
「俺の夢には、まだ沢山協力者がいる。クリームは警備担当だな。俺は厨房に立つ。そしてカフィには接客を任せたい。お前が淹れてくれるコーヒー、マジで美味いしな。その為にも、俺はお前を自由にしたい。この屋敷から離れられるようにしたい。せっかくこんな異世界で出会ったんだぜ? 家族だろ? それを置いて行きたくないんだよ」
静かな場所で語りかける言葉は伝わっているだろう。
だからこそ、虎之助は手を差し伸べた。
「俺の夢に付いてきてくれないか、カフィ? これからも、一緒にいてもらいたいんだ」
伸べた手に、しばらくは何も起こらない。駄目だろうか。思ってまた明日と立ち上がり、背を向けたその時、背中を引く手を確かな気配を感じた。
『いや、です。置いていかないで……一緒に、いきたい』
「あぁ、分かってる」
泣き顔を見るほど野暮じゃない。手だけを背に回して頭のあるだろう場所を撫でた虎之助は暫く背中を貸していた。
不思議だ。実体のない妖精なのにほんの少し、その背は濡れた気がしたんだ。