初撃を回避した虎之助を狙ってサーペントは激高する。耳障りな甲高い音を響かせクルンと巨体をくねらせながら回転させると、棘の付いた硬い尾で強く湖面を打ち付ける。その衝撃は激しく湖を震わせ水が壁のように迫ってくる。
迫る津波を見て、虎之助は素早く上空へと逃れた。サーペントの頭の位置くらいまで跳躍し、近くの木へと着地すると眼下を激しい水が襲い木々もミシミシッと音を立てる。何度もは耐えてくれないだろう。
「動きが速く水の攻撃は広範囲かつ高火力で、自身はもの凄く硬いか。参るな」
「遠距離からの魔法を打つ」
「それならアイスランサーがいい。あれ、刺さった所も凍るだろ?」
「多少だぞ? 奴の尾の一撃で砕け散る。足止めもできぬが」
「それでもいいって」
問題は埋まらない距離だ。魔法を持たない虎之助では遠距離は不可能。少しでも距離を詰める足がかりがほしいところだ。
「来るぞ!」
再び口が光る。だがこれは見逃さなければ回避もできる。なんせ直線的で、予備動作も一分以上はかかっているのだから。
青い閃光のような水砲が放たれる。それを回避し二股に分かれたクリームが素早く魔力を練り上げ周囲にいくつもの氷の槍を出現させた。
『アイスランサー!』
以前レッドキラーグリズリーの時に見た巨大な柱を思わせる氷の槍。だがあの頃よりも数が圧倒的に多い。魔力玉のおかげか、クリームの本気か。
これらがサーペントへと一気に放たれる。もはや弾幕かとも思える迫力に虎之助は呆気に取られるが、そうもしていられない。実際アビサル・サーペントにはさほど効いていない。80%のダメージカットは痛すぎる。
だが狙いは外していない。湖面へと突き立った槍の周辺が凍っていく。今回は数も威力もあるぶん広範囲へと凍結が進んでいた。
それを足がかりに虎之助は湖の上を走った。
身体強化した肉体は俊敏性にも優れる。踏みしめた氷が砕けるよりも前に足を出す。目は的確に状況を見ている。今奴はクッキーを強敵と見なし意識を集中させている。虎之助など眼中にない。
その間に虎之助は少し回り込みサーペントの体に足をかけた。
やはり外装は金属に近いかもしれない。踏みしめる足の裏にカシャカシャという感触がある。そしてこいつはもの凄く鈍い。虎之助が体を登っても気にする様子がない。
おそらく経験がないのだろう、他者からの攻撃など。強いが故に鈍感なんだ。
だが今回は助かる。
フッフッと息を何度も繰り返し強化を上乗せし、一気に駆ける。こんな機会はそう何度も訪れはしない。クリームが弾幕を展開している今が、角を砕くチャンスだ。
だが、流石に気づいたのだろう。突如体を空中でくねらせたアビサル・サーペントの速い動きに虎之助は慌てて剣を突き立てた。鱗と鱗の隙間を狙い刺した剣は先だけは入ったが浅い。その状態で振り回された虎之助の体は呆気なく湖の中へと落ちていく。
「主!」
クリームの声がするなか、背中に走る衝撃で息が詰まる。冷たい水が全身に纏わり付く。
「……っ!」
流石に水の中で息はできない。しかもこの体、浮かないんだ。筋肉は水に浮かない。
手で藻掻くように上へと伸ばす。その視線に、何か揺らめきのようなものが見えて体を覆われた。
「っ! はぁ!」
息が出来る。それに何かに守られている。それだけで何事か分かった。
「信玄!」
気づけば虎之助の体は大きくなった信玄の体内に取り込まれていた。温かいものを感じる。
「助かった信玄! 直ぐに地上に」
そう伝えたが、信玄はぐいぐいと湖の底の方へと虎之助を連れていく。焦る気持ちが大きくなるが、同時に何かを伝えようとしているのだと分かる。虎之助には水中での自由はないのだ、従うより他にない。
信玄が連れてきたのは壊れた神殿だった。やはりギリシャの神殿みたいな形をしているが、屋根の部分に大穴が開いている。
「ひでぇな」
上から見下ろしていると、信玄はその穴から中へと入っていく。そうしてグングン下へと向かい、一番底へと虎之助を連れていった。
一間の部屋の四隅には、何やら神像のような物が立っている。どれも壊れて完全な形ではないが。
そして部屋の大半を何やら大がかりな魔法陣が埋めている。掠れたり、砕けたり、ヒビが入ったりと読めない部分が多いが状況を考えれば分かる。ここにあいつは封じられていたのだろう。
信玄は勝手知ったる様子で部屋の中を虎之助を内包したまま進み、部屋の中心にある壊れた石像の前につれてきた。
おそらく女神の像だ。頭には長いヴェールを付けた綺麗な女性が微笑んでいる。
だがその石像も破壊が進み、胴の一部が抉れていた。その壊れた胴の一部から、それは見えていた。
「これ、剣か?」
崩れた所から赤い剣の柄が見えている。装飾が綺麗な赤と金のそれはこの青い世界でより鮮明な印象を与えた。
神像に隠すように安置されていた剣。もしかするとこれが、あの蛇を倒す助けになるかもしれない。
確信を持って、虎之助は拳を握る。身体強化も強めにかけた拳が、神像を思い切り殴り付けた。
ボコッという音で脆くなった胴の部分から崩れていく。何度も何度も殴り付けた事で徐々に剣の姿が露わとなっていく。
それは、刀身自体も真っ赤な剣だった。
金色の柄の中心には炎を固めたような赤にオレンジの混じる宝石がつき、身幅は広く形状は炎のような形をしている。握りの部分やその端にも宝石がつけられた剣は水の中でも燃えているように思えた。
「これ……」
吸い込まれるように手だけを信玄から出して剣へと伸ばし、握り込む。瞬間、体の内側が燃えるような感じがして虎之助は思わず呻いた。熱いとかではなく、指先から体中を炎が走る感じだ。
「くっ!」
焼き切れそうな感覚に呻き、冷や汗が出る。おそらくこれがキーアイテムだが、使い続けるにはしんどい。長く使えばこの圧倒的な炎の魔力に体が負ける。
だが、それを言っている場合じゃない。今もクリーム一人で頑張っているはずだ。
握り込んだ剣にもう片方の手を添える。そして、台座に刺さったそれを思い切り引いた。
『汝、炎の聖剣を……』
「そういう面倒臭い御託はいいからさっさと来い! お前が封じてたもんが復活して俺の仲間を襲ってんだ! 四の五の言ってる場合じゃないんだよぉ!」
歯を食いしばり、魔力を巡らせる。一杯の力で引きながら、徐々に抜ける感覚も確かにある。もう少しだ。もう少し、手が熱くて焼ききれるっ。
ヒリヒリと痛む手。そこに、透明な触手が重なっていく。
「信玄!」
虎之助の手を上から覆う触手は炎の剣に触れてジュッと音を立てる。それで引っ込めるなら痛いんだろう。
「おま! 痛いだろやめろ!」
慌てて声をかけた。だがそれでも信玄は虎之助の手に触れて、そこに魔力を流していく。剣と手の間に一つ膜を作るような。
「っ! ありがとうな。お前の気持ち、受け取らせてもらう!」
うおぉぉおぉ! と腹の底から声を上げた虎之助の気合いに負けたのか、剣が徐々に抜けていく。腕の筋肉に血管が浮き上がる程の力で引いた剣が、真っ赤な光を放って抜けた。
瞬間、あれだけ熱いと思った魔力が落ち着いて心地よくすら感じる。同時に頭に直接『力技が過ぎる!』と批難めいた声が聞こえたが無視させてもらった。
「信玄、あいつの所に頼む!」
腕だけ外の出して抜いた剣を素早くマジックバッグに放り込んで虎之助は叫ぶ。信玄もこれに応えてくれた。
グングンと上へと向かっていく、その視界に青い鱗が見える。音もまだしている。クリームが戦っている。
「信玄、打ち上げろ!」
その声に呼応して、虎之助の背は何かに強く押し上げられる。パチンコ玉で発射される玉はきっとこんな感覚なんだろう。そんな体感は一瞬で、虎之助は一気に上空へと打ち上げられた。
アビサル・サーペントの巨体よりも更に上へ。そこから見下ろした現状に、虎之助は目を見開いた。
薙ぎ倒された木々、抉れた地表。そこで一人奮戦するクリームの体は傷ついていた。破けた部分から僅かに綿が溢れている。それでも信じて、戦っていてくれたのだ。
「主!」
気づいたクリームが声を上げる。虎之助はそれに応えるように強化をし、空を蹴った。
ドンッ! と空気の壁を蹴った、そんな衝撃が足裏から全身に伝わる。そうして放たれた虎之助の体自体が弾丸だ。
目をカッぴらき、マジックバッグから剣を取り出す。脇を締め、硬く構え目指すのはサーペントの額の角だ。
当然、あちらもただこれを見ているわけじゃない。口の中が僅かに光る。それが放たれるか、こちらの攻撃が速いかの勝負だ。
『おい、聞こえるか坊主!』
「!」
その時、不意に頭に直接声が届いた。雑な感じの若い男の声だった。
『いいか、強化してるその魔力に火を灯せ。俺の剣を握った瞬間に感じただろ、あれだ』
それなら覚えている。血管の中に炎を流し込まれたような、熱く焼き切れる感覚。あれは魔力の流れに火属性を流されたのか。
体中の魔力を炎に。そして、加速!
フッと息をすると口の中が熱い。それと同時に炎の剣にリアルな炎が灯った。
『打ち込め!』
「うおぉぉぉ!」
もう一度空の壁を蹴って加速した虎之助は水晶でアビサル・サーペントの角へと思い切り剣を振り抜いた。
神社の鳥居くらい太い柱が根元から焼き切れる。これにアビサル・サーペントは断末魔の咆哮を上げて暴れ回っている。
だが、これを回避する余力は虎之助にはない。振り抜いた瞬間、確かに斬撃が伸びた。炎を纏うそれが圧倒的な太さと強度を持つ角を綺麗に斬ったのだ。
だが反動で体が動かない。成す術なく落ちていく虎之助。その体を、透明な触手が包み込んだ。
「ナイスだ信玄! そのまま主を安全な場所に退避させろ!」
仲間へと称賛を送るクリームの体が青白く光り、魔法陣が何重にも展開されて周囲を囲う。その魔法陣自体もカチカチと時を刻むように回り、やがてカチリと合わさった。
『凍霊よ咲け――アブソリュート・ゼロ!』
瞬間、ポチャンと何も無い空間から青い雫が落ちた。空気が凍り、音が消える。そしてその青い雫が落ちた所から、透明な睡蓮が咲いた。
ピシ……ビシ、パシン……
湖面が白く凍り付き結晶が美しく埋めていく。クルクルと回る睡蓮の下にも巨大な雪の結晶が浮かび上がり回り、アビサル・サーペントを閉じ込める壁が出来た。
その瞬間だった。
雷鳴に似たバリバリバリバリバリ! という音と共に氷の柱が天井へ向かって急速に伸びていく。サーペントは逃れる事も出来ずその氷柱に閉じ込められてしまった。
辺りにはキラキラ輝くダイヤモンドダストと、魔物を内包した氷柱。だがそれも、根元の睡蓮が儚く花を閉じた瞬間に砕け散ってしまった。
「……すごいな」
これがクリームの……いや、フェンリルの魔法。美しく圧倒的で、残酷なまでに逃れられない。そんなものだった。
その時、上空にいたクリームの体がふいに傾き、頭を下にして落下してくる。虎之助は慌ててそこへと走り込み、受けとめた。
「クリーム!」
声を掛けるとクリームは小さく笑う。身近に見た体は想像以上にボロボロだ。
「やったな、主。倒したぞ」
「お前っ」
「なに、魔石に問題はないし、少し魔力を使い過ぎただけだ。体は新しいものにしなければならないかもしれないが、俺は魔石が無事なら戻れる。安心してくれ」
「無茶、しやがって……すまない、俺が不甲斐なかった。お前は頑張った」
「その言葉だけで十分だ、主」
そういうと、ぽてっと腕の中で大人しくなってしまう。
そんなクリームを強く抱きしめる虎之助の背後で、ドロップを知らせるポンッ! という気の抜ける音がした。