胸の奥から込み上げる温もりは、言葉では言い表せなかった。
たった二日間を共にしただけなのに。昨夜、ふと「明日で二十歳になる」と口にした自分の何気ない一言を、彼らは覚えていてくれた。狩りの合間にわざわざ野イチゴを摘み、花冠まで編んでくれたのだ。
プレゼントの価値は、豪華さではない。そこに込められた心だ。
半年前に早川家へ引き取られてからずっと味わってきた疎外感。こんな誠実な思いやりを向けられたのは初めてだった。
血の繋がった家族よりも、知り合って二日目の仲間の方が――自分を大切に思ってくれるなんて。奈緒の胸は大きく揺れていた。
「ありがとう!」
声を潜めて礼を言いながら、奈緒は箸で料理をつまみ、興味深そうに尋ねた。
「どうして、今日が私の誕生日だってわかったの?」
「昨日、自分で言ってたじゃない。二十歳になるって」
美咲は目尻を下げて微笑んだ。
――そのとき。
少し離れた場所で歌声を耳にした愛花が、足早に近づいてきた。
美咲や克哉たちに囲まれ、花冠を被せられて祝福される奈緒の姿を見た瞬間、嫉妬が稲妻のように彼女の胸を走った。
「早川奈緒っ!」
悔しさをにじませ、吐き捨てるように声を上げる。
「芸能界で地位を固めたいからって、美咲ちゃんや内木さんに必死で取り入って……そんなに必死なの!?」
克哉に近づこうとしても突き放され、美咲は何かと自分を抑え込む天敵。
その二人が今、奈緒の周りを囲んでいる。――奈緒がわざと仕組んでいるに違いない。
必死に繋がろうとした相手が、いまは奈緒に笑顔を向けている。
愛花の心は完全に均衡を失い、悔しさのままに立ち尽くす。歯を食いしばり、詰め寄ろうとしたその時――
下腹部に、突き刺すような痛みが走った。
「ブーッ――」
無情な異音が体から漏れ、抑えきれない便意が襲いかかる。
腸を走る激痛に、愛花の顔は瞬時に青ざめた。
「うっ……ああっ……」お腹を押さえ、よろめきながら踵を返し、駆け出していく。
カメラマンは慌てて追ったが、漂い始めた異臭にむせ返り、思わず足を止めた。
一瞬逡巡したのち、草むらに飛び込む愛花を追う。
しかし、しゃがみ込んだ彼女の顔は真っ青で、必死に叫ぶ。
「……お腹が痛いんだ!」
カメラマンは驚愕し、手が震えてカメラを落としそうになった。慌ててレンズをそらし、代わりにA班の他のメンバーへと向ける。
慎也は嘔吐を繰り返し、将史は足が震えてその場に崩れ落ちそうになっていた。
「どうした? 何か悪いもん食ったか……」
周平は歯を食いしばり、唇が紫色に変わりつつあった。
言い終えるより早く、胃の奥からこみ上げて嘔吐。木の幹にすがりつきながら、よろめいて走り去る。
――A班のキャンプ場は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
【え、なにこれ?全員食中毒!?】
【ちょw さっき愛花、人前でオナラしたよな? 草むらダッシュわろたw】
【これ嗅覚配信かよ! A組全員その場で腹壊してるw】
【周平の唇やばい 紫色になってるし嘔吐とか完全アウト 絶対食べ物だろ】
【……あ、映った。残飯にキノコ混じってね? 昨日摘んでたやつじゃん】
【聞いたことある! 津波のあとに死んだ魚介は食べちゃダメって。あれ、本当だったのか……】
コメント欄は再び熱狂に包まれ、視聴者の好奇心は一層かき立てられていた。誰もが、この異常事態の“続き”を見逃すまいとしていた。
A班では次々とトラブルが発生し、常軌を逸した騒ぎとなっていた。
カメラマンは事態が差し迫っていると判断し、すぐに永田へ連絡を入れる。報を受けたスタッフは、慌てて現場へ駆けつけた。
一方そのころ、B班の面々は食事を終え、木陰でくつろぎながら談笑していた。
「そういえば奈緒ちゃん、占いもすごいんだってね」
美咲が目を輝かせ、子どものような好奇心で奈緒に問いかける。
奈緒は手にした花冠を弄びながら答えた。
「養父にいろいろ教わったけど……占いって基盤が大事なんだ。二十歳にならないと、人の運勢を正式に見立てることは許されない。だからこれまでは、軽々しく占いや人相を判断することはしなかった。でも今日からは……できるようになった」
その説明に、夏葵はハッと息を呑み、信じられないという眼差しで奈緒を見つめた。
――さっき、わざわざ自分のことを言い当てたのは、そのためだったのか。真偽はどうあれ、善意だけは確かに伝わってきた。
「じゃあ昨日、奈緒ちゃんが天象を見て嵐を予測したのは……例外だったってこと?」美咲は不安げに尋ねる。
奈緒は花冠を整えて頭に被ると、ゆっくり立ち上がった。
「あれは本格的な手法じゃなかった。――行きましょう」
「どこに? もう少し休んでもいいんじゃないか?」克哉が目を瞬かせる。
「A班の方で、多分トラブルが起きてる」
奈緒が言い終わらぬうちに、永田の携帯がけたたましく鳴り響いた。電話を切った永田は、呆然とした表情で奈緒を見やる。
「……A班、本当にトラブルだ!」
一同はすぐさま永田に付き従い、A班のキャンプ地へ急いだ。
そこでは、愛花たちの顔は青ざめ、周平の唇は紫色に変わり、ぐったりと地面に座り込んでいた。
奈緒は一瞥すると、静かに告げる。
「――食中毒だ」
スタッフが駆け寄り、食べ残しを調べて声を荒げた。
「なんてことを……! 高潮の後に死んだ魚やエビは口にしちゃいけない! それにこのキノコ、明らかに毒キノコだ!」
その言葉に、愛花の顔色が一変する。
憎悪のこもった目で奈緒を睨みつけ、歯を食いしばり叫んだ。
「早川奈緒! 私たち全員中毒になって……これで満足なの!?」
まさか、ここまで自分に罪を押しつけるとは。
奈緒は片眉を上げ、冷笑を浮かべて見下すように返す。
「私が無理やり食べさせたとでも?それとも、死んだ魚や毒キノコを私が拾ってきたと?」
そして皮肉を込めて言い放つ。
「早川さん、事実を歪める腕前はまさに熟練ね。自分で招いた災いを、いつも他人に擦りつける。……慣れっこなんでしょう?」
その一言で、愛花の顔は怒りで蒼白になった。
周囲から注がれる好奇の視線に、唇を震わせる。ふと少し離れた場所に回っているカメラのレンズに気づき、慌てて顔をそむけた。
――悔しい。たまらなく悔しい。
以前なら濡れ衣を着せても、奈緒は泣き寝入りするしかなかった。だが今は九条家の養女。翼を得たかのように、真っ向から自分に反抗してくる……!
「急げ! まず薬を飲ませろ! 昨夜嵐が過ぎたばかりで、島の状況も不明だ。安全を確保するため、明日の朝には帰還する!」
永田は額に汗をにじませながら指示を飛ばした。
「番組収録は中断だ!」
話題性は抜群だったが、命を賭けるわけにはいかない。
「げっ……!」
薬を飲んだ愛花たちは、次の瞬間、めまいに襲われ、激しく吐き戻した。