早川智洋は唇を動かしたが、結局何も言えなかった。
あの猫は、妹・早川愛花が溺愛している飼い猫だった。いつもは大人しいのに――なぜ急に人に飛びかかったのか。どう考えてもおかしい。
「それから、シャンデリアの支柱は完全に劣化して折れていました。定期的に点検や部品交換をしていなかったのが原因で、人為的なものではありません」警官が結論を告げた。
さらに早川雅子のスマホを手に取り、差し出しながら告げる。
「この端末は粗悪なコピー品です。長期間の使用で内部が劣化し、爆発を引き起こしたのでしょう」
「……」
智洋は愕然とした。あのスマホは、自分が母に贈ったものだ。それが“偽物”だというのか? まさか、最初から騙されていたのか。
――シャンデリアは家の管理不行き届き。
――スマホは自分の贈り物。
――猫は妹の飼い猫。
つまり、どれも天城奈緒とは無関係?
警察は証拠を突きつけるように結論づけ、奈緒を完全に庇った格好になった。だが、智洋は納得できなかった。世の中にこんな偶然があるはずがない。
「……ご苦労様でした」顔を引きつらせながらも、そう言うしかなかった。
警察が帰ったあと、智洋は車のキーを握りしめ、病院へと向かった。エンジンをかけた途端、弟・早川拓海から電話が入る。
「兄さん、母さんの様子は?」
受話器の向こうで拓海が怒りを押し殺すように報告した。
「両脚は骨折と複雑骨折。顔は爆発で大やけどだ! 額には水晶の破片が刺さって、位置が厄介で医者は慎重に扱っている。……一体どういうことだ!」
家にいただけなのに、どうしてこんな大惨事に――。交通事故ですら、これほどの重症にはならないだろう。
「警察を呼んだ。結論は事故だそうだ」智洋は歯を食いしばり、アクセルを踏み込んで病院へ向かった。
その瞬間、バックミラーに映る実家が、どこか不気味に黒く翳って見えた。まるで厚い雲が垂れ込めているかのように。目をこすってもう一度見ると、何もなかった。
強烈な不吉な予感が心に広がり、彼は逃げるようにアクセルを踏み、車を走らせた。
――
無人島で
奈緒はふと胸の勾玉が微かに熱を帯びるのを感じた。手を伸ばして触れると、その灼熱感は数秒で消え、静けさに戻った。
「ふふ……」奈緒は低く笑みを漏らす。瞳の奥に、冷たい光が宿っていた。
この勾玉は半年前、早川家に戻った際に雅子に「贈った」ものだ。七ヶ月間、雅子は肌身離さず身につけ、万事順調で、睡眠すら深くなっていた。
だが、これはただの飾りではない。これは奈緒の養父が長年身につけ、経文を唱え祈祷を重ねてきた由緒ある護符――持つ者の厄を払い、運を引き寄せる霊験あらたかな品だった。
転生して戻ったその夜、彼女は勾玉を取り戻していた。この運気の加護を失えば、雅子の「幸運」も終わりだろう。
先ほどの勾玉の熱は、雅子の残った気を完全に浄化し、本来の清らかさへと戻った証だ。つまり、雅子が借りた最後の運気も消え去ったということ。
今この瞬間、彼女は因果応報を受けるに違いない。
「奈緒ちゃん、何かいいことでもあったの?」美咲が彼女の目に浮かんだ笑みを見逃さず、近づいて尋ねた。
奈緒は笑みを抑えきれない様子で。「ええ!だって今日は、私の誕生日でしょう?みんなに祝ってもらったんだから……お返しをしないと」
美咲は目を輝かせて身を寄せた。
「奈緒ちゃんって占いできるんでしょ! 私も見てほしいな」
「いいわよ」奈緒は快く応じた。
美咲は後ろのカメラマンをチラリと見て。「じゃあ…今夜、布団の中でね!」
「ええ」奈緒は笑顔でうなずいた。
そのやり取りを耳にした小関夏葵の表情が微妙に揺らぐ。目が泳ぎ、先ほど奈緒が語った言葉にすっかり心を乱されているようだった。
「前方にパイナップルがあるはず。行ってみよう」
奈緒が静かに告げると、一行は小走りに林を抜け、雑草をかき分けて進む。そこに、大ぶりの野生パイナップルが実っていた。
「わあ、大きい……」
葉は厚く伸び、力強さを感じさせる。
奈緒は大きく歩み出ると、短刀を一閃させ、手際よく最も大きなパイナップルを一つ切り落とし、手に抱えた。濃厚な果実の香りが一気に広がり、思わず皆が唾を飲んだ。
奈緒は手早くパイナップルの厚い皮をむいた。大きなパイナップルはいくつかに切り分けられ、彼女はさりげなくカメラマンにも分けた。
「甘い! 全然えぐみもないし、大自然の味って感じだね」美咲が一口味わうと、絶賛した。
夏葵と克哉も慌てて頷きながら、皆で果汁滴る果実を頬張りつつ、さらに奥へと進んでいった。
林の中は静かで、木々が陽を遮り、昼なお薄暗い。奈緒は迷いなく歩を進め、地図も羅針盤も必要としない。
「奈緒ちゃん、果物探す以外に、他に何かするの?」美咲が追いつき、興味津々に尋ねる。
奈緒は周囲を見回した。
「昨夜、鶏を一羽手に入れたでしょう?今夜はそれを煮込んでスタミナをつけようと思って。野生の薬草を探しに行くの」
そう言って、彼女の足が突然止まった。
美咲は彼女にぶつかりそうになった。奈緒の急変した表情に、皆もすぐに声をひそめた。
「どうしたの?」夏葵が不安そうに尋ねた。
奈緒が振り向き、静かな声で言った。「近くに毒蛇がいる。皆、後ろに下がって!毒蛇が潜んでいるということは、近くに良い薬草がある証拠よ」
美咲は慌てて後退し、奈緒の腕を掴んだ。
「そ、そんなの要らないよ! 奈緒ちゃん、帰ろう。蛇に噛まれたら危ないって!」
奈緒は微かに目を細め、克哉へ視線を移した。
「……ロープを貸して」
克哉は慌ててバックパックを探り、ロープを差し出す。奈緒はロープを受け取ると、素早く言った。
「みんなを連れて戻りなさい。蛇に遭遇すれば、匂いを辿って追ってくる。私の荷物に雄黄があるはず。昨夜の雨で流されたかもしれないから、帰ったらすぐ住まいの周りに撒いて。私が戻るまでは、絶対に外へ出ないこと」
彼女は重々しい口調で念を押した。