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第2話 運命の邂逅

 学院の入学式は、王立の名に恥じぬ荘厳さである。

 白と金を基調とした礼拝堂のような式典会場には、ステンドグラスから差し込む朝の光が広がり、天井から吊るされた水晶のシャンデリアが七色にきらめいていた。


 壇上には学院長をはじめとした重鎮じゅうちんたちが威厳ある面持ちで並び、生徒席は学年別に整然と区分けされている。


 新入生の列に並ぶマルガレーテ・ベルクヴァインの背筋は、緊張と誇りに満ちていた。

 侯爵家の令嬢として、そして第三王子の婚約者としての自覚。

 その隣には、燦然たる気品を纏うユリウス・フランツ・シュタール。

 そして数列後方、ただ静かに佇む一人の少女――平民特待生、エルザ・グラーツ。


 壇上から読み上げられる宣誓の言葉。鼓笛の演奏。厳かな合唱。

 空気に満ちるのは、期待と格式。そして、ほんの少しの緊張感。


「では、新入生代表として、エルザ・グラーツ。前へ」


 会場にさざ波のようなざわめきが走った。

 貴族の子弟が多くを占める中、平民が代表を務める。それは、異例中の異例。

 だが、入学試験で首席を取った者が挨拶をするのは例年通り。


 それがたまたま平民であったということ。


 貴族として、その座を平民に譲るなど、なんという不名誉か。

 だが、エルザは怯まなかった。


 紅茶色の髪をきちんとまとめ、控えめながら品格ある制服を着こなした彼女は、凛とした足取りで壇上へと歩みを進めた。


 真っ直ぐ前を見据える涼やかな眼差し。

 その眸には、一切の迷いも濁りもなかった。


「私は、この王立学院で学ぶ機会を得たことを誇りに思います。貴族も平民も、志を持つ者として等しく学び、互いに高め合う場であることを信じています」


 その声は澄んでいて、どこまでもまっすぐだった。

 壇上の教師たちも、観覧席に並ぶ名門の子女たちも、一瞬だけ息を呑んだ。

 静まり返った空気の中で、彼女の言葉だけが、まるで鐘の音のように胸に響く。


 やがて、場内に控えめながらも確かな拍手が広がった。


 誰かが強制したわけではない。

 ただその言葉が、多くの者の心に届いたからだった。


 マルガレーテは拳をぎゅっと握りしめた。

 凛々しく立つエルザの姿が、どうしようもなく気に障ったのだ。

 理由は彼女自身にもわからなかった。


 フィロメーラは眉を寄せた。


(――あれが、ヒロイン)


 物語の中心に立つ者。

 純粋で、努力家で、まっすぐで、周囲の心を動かす存在。

 そして今、その存在が現実の世界に、堂々と姿を現したのだった。


(マルガレーテを、守らなくちゃ……)


 ◆


 入学式後の回廊。

 大理石の床に響く靴音が、静まり返った空間に小さく響く。


「お姉さま、あの子、堂々と殿下の前を通ったのよ? 会釈もせずに」


 マルガレーテはやや不機嫌そうにフィロメーラの腕を引いた。

 その眸には、焦りと戸惑い、そして小さな嫉妬が入り混じっている。


「マルガレーテ」


 フィロメーラはそっと声を落とした。

 式典の最中のこと、エルザの行動は決して無礼ではなかった。

 それは礼儀を欠いた無視ではなく、むしろ堂々とした姿勢だった。


「気になるのは分かるけれど、今は様子を見るべきよ」

「でも……」


「あなたが“高慢な令嬢”に見られるような態度を取れば、それこそユリウス殿下が恥かしい思いをなさるわ」


 マルガレーテがはっと息を呑み、唇を噛んで俯いた。


「……気をつけるわ」

「それでいいのよ。貴方は十分魅力的なのだから」


 マルガレーテの頬が僅かに赤くなり、視線を逸らす。

 そして小さく頷いた。


 フィロメーラはその様子に小さく安堵する。

 けれど、胸の奥には新たな不安も芽吹いていた。


 ユリウスとエルザが同級生として日常を共にすれば、自然と距離が縮まっていくだろう。

 エルザは悪人ではない。

 だが、きっと彼女を中心に「物語」が動き出す。

 この世界はそのようにのだから。


(物語通りに進ませてはいけない)


 その想いを胸に、フィロメーラは空を仰ぐ。

 雲は流れ、陽光が穏やかに地上を照らしていた。

 だが、その光の裏には、確かに始まりの鐘が鳴っている。

 ここからが、すべての幕開けなのだ。

 ――妹を守るために。未来を変えるために。

 フィロメーラの戦いは、今、静かに始まった。



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