学院の入学式は、王立の名に恥じぬ荘厳さである。
白と金を基調とした礼拝堂のような式典会場には、ステンドグラスから差し込む朝の光が広がり、天井から吊るされた水晶のシャンデリアが七色に
壇上には学院長をはじめとした
新入生の列に並ぶマルガレーテ・ベルクヴァインの背筋は、緊張と誇りに満ちていた。
侯爵家の令嬢として、そして第三王子の婚約者としての自覚。
その隣には、燦然たる気品を纏うユリウス・フランツ・シュタール。
そして数列後方、ただ静かに佇む一人の少女――平民特待生、エルザ・グラーツ。
壇上から読み上げられる宣誓の言葉。鼓笛の演奏。厳かな合唱。
空気に満ちるのは、期待と格式。そして、ほんの少しの緊張感。
「では、新入生代表として、エルザ・グラーツ。前へ」
会場にさざ波のような
貴族の子弟が多くを占める中、平民が代表を務める。それは、異例中の異例。
だが、入学試験で首席を取った者が挨拶をするのは例年通り。
それがたまたま平民であったということ。
貴族として、その座を平民に譲るなど、なんという不名誉か。
だが、エルザは怯まなかった。
紅茶色の髪をきちんと
真っ直ぐ前を見据える涼やかな眼差し。
その眸には、一切の迷いも濁りもなかった。
「私は、この王立学院で学ぶ機会を得たことを誇りに思います。貴族も平民も、志を持つ者として等しく学び、互いに高め合う場であることを信じています」
その声は澄んでいて、どこまでもまっすぐだった。
壇上の教師たちも、観覧席に並ぶ名門の子女たちも、一瞬だけ息を呑んだ。
静まり返った空気の中で、彼女の言葉だけが、まるで鐘の音のように胸に響く。
やがて、場内に控えめながらも確かな拍手が広がった。
誰かが強制したわけではない。
ただその言葉が、多くの者の心に届いたからだった。
マルガレーテは拳をぎゅっと握りしめた。
凛々しく立つエルザの姿が、どうしようもなく気に障ったのだ。
理由は彼女自身にもわからなかった。
フィロメーラは眉を寄せた。
(――あれが、ヒロイン)
物語の中心に立つ者。
純粋で、努力家で、まっすぐで、周囲の心を動かす存在。
そして今、その存在が現実の世界に、堂々と姿を現したのだった。
(マルガレーテを、守らなくちゃ……)
◆
入学式後の回廊。
大理石の床に響く靴音が、静まり返った空間に小さく響く。
「お姉さま、あの子、堂々と殿下の前を通ったのよ? 会釈もせずに」
マルガレーテはやや不機嫌そうにフィロメーラの腕を引いた。
その眸には、焦りと戸惑い、そして小さな嫉妬が入り混じっている。
「マルガレーテ」
フィロメーラはそっと声を落とした。
式典の最中のこと、エルザの行動は決して無礼ではなかった。
それは礼儀を欠いた無視ではなく、むしろ堂々とした姿勢だった。
「気になるのは分かるけれど、今は様子を見るべきよ」
「でも……」
「あなたが“高慢な令嬢”に見られるような態度を取れば、それこそユリウス殿下が恥かしい思いをなさるわ」
マルガレーテがはっと息を呑み、唇を噛んで俯いた。
「……気をつけるわ」
「それでいいのよ。貴方は十分魅力的なのだから」
マルガレーテの頬が僅かに赤くなり、視線を逸らす。
そして小さく頷いた。
フィロメーラはその様子に小さく安堵する。
けれど、胸の奥には新たな不安も芽吹いていた。
ユリウスとエルザが同級生として日常を共にすれば、自然と距離が縮まっていくだろう。
エルザは悪人ではない。
だが、きっと彼女を中心に「物語」が動き出す。
この世界はそのように
(物語通りに進ませてはいけない)
その想いを胸に、フィロメーラは空を仰ぐ。
雲は流れ、陽光が穏やかに地上を照らしていた。
だが、その光の裏には、確かに始まりの鐘が鳴っている。
ここからが、すべての幕開けなのだ。
――妹を守るために。未来を変えるために。
フィロメーラの戦いは、今、静かに始まった。