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第4話 失言

 数日が過ぎ、王立学院の空気も徐々に落ち着きを見せ始めていた。

 特に一年生たちは、最初の緊張から解放され、互いに名前を呼び合う程度には打ち解けてきている。


 その日も、マルガレーテは落ち着いた足取りで教室に入った。

 窓際にはいつものようにエルザが座っていた。

 例によって、数名の女子が彼女の近くで談笑している。

 貴族の娘たちも、少しずつエルザに歩み寄っているようだった。


(何故かしら……腹立たしい)


 自分でもその感情の正体が分からない。

 だが、胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みが、どうしても消えてくれなかった。


 午前の授業が終わると、昼休みの食堂には賑やかな声があふれていた。

 マルガレーテはユリウス、そして側近のハインリヒと共に、いつもの席に座っていた。


「グラーツ嬢、すっかり人気者だな」


 ハインリヒの何気ない一言が、空気を変えた。


「……平民なのに、馴染むのが早過ぎますわ」


 マルガレーテは思わず口を滑らせてしまった。

 それは、心の奥にあったわだかまりが、ぽろりとこぼれたような言葉だった。


 次の瞬間、周囲の空気が凍り付いた。

 ユリウスが静かにナイフとフォークを置く。


「マルガレーテ。それは、君の本心かい?」


 彼の声音は穏やかだった。

 だが、その裏にある冷たい圧が、マルガレーテの呼吸を一瞬止めた。


「……わ、わたくしは……」


 すぐに取り繕おうとするが、言葉が続かない。

 自分の中に、確かに「選ばれない不安」があった。

 エルザが何かをしたわけではない。

 ただ、存在そのものが、自分の立場を脅かす気がしていたのだ。


「出自で人を測るのは、もう時代遅れだよ。学院は、そういう差を超えて学び合う場所だと、君も分かっているはずだ」


 ユリウスはそれだけ言って、再び食事に手を戻した。

 マルガレーテは、ただうつむいて黙るしかなかった。


(まずいわ……これは、本当にまずい)


 離れた席からその一部始終を見ていたフィロメーラは、内心で頭を抱えていた。


(このままでは、“断罪”の伏線になる。私が動かないと……)


 ◆


 昼休みが終わっても、フィロメーラの心は重いままだった。

 食堂での出来事――マルガレーテが不用意に漏らした一言と、それに対するユリウスの反応。

 あの空気の凍り付き方は、まさに「悪役令嬢」ルートの第一歩。


(このままではいけない)


 午後の授業が終わると同時に、フィロメーラは廊下でユリウスの姿を探した。

 幸い、彼は図書館へ向かう途中だった。


「ユリウス殿下、少しお時間をいただけますか」


 フィロメーラの声に、ユリウスは小さく頷いた。

 人目を避けるように、ふたりは中庭の片隅にある東屋へ移動する。


「殿下、先ほどの件……マルガレーテの発言について、お詫び申し上げます」

「謝るのは君ではない、フィロメーラ嬢」


 ユリウスの口調は穏やかだったが、その目は厳しかった。


「わかっております。ですが、あれは本心からではないのです。彼女なりに、不安や焦りを感じているのだと思います」


「それが理由であのような言葉が出るのなら、なおのこと危うい。君はそうは思わないか?」


 フィロメーラは一瞬、言葉に詰まった。

 だが、真正面からその問いを受け止める。


「……思います。ですからこそ、私が支えます。彼女が間違った道へ進まないように、私が導きます」


 ユリウスは少しだけ視線を緩めた。


「君がそう言うのなら、信じよう。……ただし、次は無いよ」


「肝に銘じます」


 ふたりの会話はそれで終わった。

 けれど、フィロメーラは確かな手応えを得ていた。


 ユリウスが完全に妹への信頼を失ったわけではない。

 ならばまだ、取り返せる。


 その夜、フィロメーラは自室で一人、日記帳に今後の対策を書き連ねていた。

 マルガレーテの感情が不安定になる場面を見越し、誰と誰を近付けて、どのイベントを避けるべきか。


(失敗は許されない)


 窓の外には月が昇っていた。

 静かなその光が、フィロメーラの決意を照らしていた。



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