数日が過ぎ、王立学院の空気も徐々に落ち着きを見せ始めていた。
特に一年生たちは、最初の緊張から解放され、互いに名前を呼び合う程度には打ち解けてきている。
その日も、マルガレーテは落ち着いた足取りで教室に入った。
窓際にはいつものようにエルザが座っていた。
例によって、数名の女子が彼女の近くで談笑している。
貴族の娘たちも、少しずつエルザに歩み寄っているようだった。
(何故かしら……腹立たしい)
自分でもその感情の正体が分からない。
だが、胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みが、どうしても消えてくれなかった。
午前の授業が終わると、昼休みの食堂には賑やかな声があふれていた。
マルガレーテはユリウス、そして側近のハインリヒと共に、いつもの席に座っていた。
「グラーツ嬢、すっかり人気者だな」
ハインリヒの何気ない一言が、空気を変えた。
「……平民なのに、馴染むのが早過ぎますわ」
マルガレーテは思わず口を滑らせてしまった。
それは、心の奥にあったわだかまりが、ぽろりとこぼれたような言葉だった。
次の瞬間、周囲の空気が凍り付いた。
ユリウスが静かにナイフとフォークを置く。
「マルガレーテ。それは、君の本心かい?」
彼の声音は穏やかだった。
だが、その裏にある冷たい圧が、マルガレーテの呼吸を一瞬止めた。
「……わ、
すぐに取り繕おうとするが、言葉が続かない。
自分の中に、確かに「選ばれない不安」があった。
エルザが何かをしたわけではない。
ただ、存在そのものが、自分の立場を脅かす気がしていたのだ。
「出自で人を測るのは、もう時代遅れだよ。学院は、そういう差を超えて学び合う場所だと、君も分かっているはずだ」
ユリウスはそれだけ言って、再び食事に手を戻した。
マルガレーテは、ただ
(まずいわ……これは、本当にまずい)
離れた席からその一部始終を見ていたフィロメーラは、内心で頭を抱えていた。
(このままでは、“断罪”の伏線になる。私が動かないと……)
◆
昼休みが終わっても、フィロメーラの心は重いままだった。
食堂での出来事――マルガレーテが不用意に漏らした一言と、それに対するユリウスの反応。
あの空気の凍り付き方は、まさに「悪役令嬢」ルートの第一歩。
(このままではいけない)
午後の授業が終わると同時に、フィロメーラは廊下でユリウスの姿を探した。
幸い、彼は図書館へ向かう途中だった。
「ユリウス殿下、少しお時間をいただけますか」
フィロメーラの声に、ユリウスは小さく頷いた。
人目を避けるように、ふたりは中庭の片隅にある東屋へ移動する。
「殿下、先ほどの件……マルガレーテの発言について、お詫び申し上げます」
「謝るのは君ではない、フィロメーラ嬢」
ユリウスの口調は穏やかだったが、その目は厳しかった。
「わかっております。ですが、あれは本心からではないのです。彼女なりに、不安や焦りを感じているのだと思います」
「それが理由であのような言葉が出るのなら、なおのこと危うい。君はそうは思わないか?」
フィロメーラは一瞬、言葉に詰まった。
だが、真正面からその問いを受け止める。
「……思います。ですからこそ、私が支えます。彼女が間違った道へ進まないように、私が導きます」
ユリウスは少しだけ視線を緩めた。
「君がそう言うのなら、信じよう。……ただし、次は無いよ」
「肝に銘じます」
ふたりの会話はそれで終わった。
けれど、フィロメーラは確かな手応えを得ていた。
ユリウスが完全に妹への信頼を失ったわけではない。
ならばまだ、取り返せる。
その夜、フィロメーラは自室で一人、日記帳に今後の対策を書き連ねていた。
マルガレーテの感情が不安定になる場面を見越し、誰と誰を近付けて、どのイベントを避けるべきか。
(失敗は許されない)
窓の外には月が昇っていた。
静かなその光が、フィロメーラの決意を照らしていた。