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第7話 芽吹く想い

 学院の空気が、また静かに揺れ始めていた。

 舞踏会の翌週、生徒たちの間に一つの噂が流れ始めた。

 それは、エルザ・グラーツにまつわるものだった。


「王子に取り入るためにわざと目立とうとしている」

「特待生の地位だって、どこまで本当か分からない」


 最初は些細な陰口。

 だが、それは意図的に火をけられたかのように、瞬く間に広がっていく。

 不可解な広がり方だった。

 わざと広められているのだと、わかった。


 だが、火元がわからない。


 そう簡単に特定できるようでは貴族などやっていられない。

 噂、陰口、根回し。

 まだ社交界に出る前の子女にも、それは求められるのだ。


(このままでは、今度はエルザが標的になる。そして、マルガレーテが黒幕として陥れられる可能性が高いわ)


 だが、最初に動いたのはフィロメーラではなかった。

 昼の休憩時間。

 庭園で広がる小さな集団の中に、マルガレーテの声が響いた。


「そのようなこと、事実も確認せずに口にして、恥ずかしいとは思いませんの?」


 その場にいた女子たちが息を呑む。

 マルガレーテ・ベルクヴァイン。

 第三王子の婚約者が、明確に言葉を発した。


「エルザ嬢は、この学院に誰よりも相応ふさわしい人よ。特待生としての能力も、それに見合うだけの努力も。わたくしは見てきましたわ」


 そして、驚く視線の中で、マルガレーテはエルザの手をそっと取った。


わたくしは、貴方の潔白を信じます」


 エルザは目を見開き、そして小さく微笑んだ。


「ありがとうございます。マルガレーテさま」


 遠くからその様子を見ていたユリウスは、ふと目を細める。


(やはり、マルガレーテは、素晴らしい女性だ)


 あの強さ。

 真っ直ぐな言葉。

 誰かのために立ち上がれる心。

 気づけば、彼は胸の奥に熱を覚えていた。


(僕の隣には、彼女こそが居て欲しい)


 風がそよぎ、花の香りが淡く香る。

 春の空気の中で、マルガレーテとエルザの間には新たな芽が生まれ、そして、ユリウスの中にもまた、想いの種が根を下ろし始めていた。


 ◆


 エルザを巡る騒動は、マルガレーテのひと言によって見事に収束を見せた。

 それどころか、あの場面以降、二人の関係には確かな変化が芽生えていた。


「今日は一緒に昼食を、どうかしら?」

「……ええ、ぜひ」


 最初はぎこちなかった。

 けれど、エルザの微笑と、マルガレーテの不器用な真面目さは、次第に互いを和ませていった。

 その様子を遠巻きに見ていた女子たちも、いつの間にか好意的な視線を向けるようになっていた。


 一方、その変化をもっとも敏感に感じ取っていたのは、ユリウスだった。

 講義の合間にふと目をやれば、マルガレーテがエルザと共に笑っている。

 以前は見せなかったような、柔らかな微笑を浮かべて。


 それを引き出したエルザに対し、少し嫉妬さえ覚えるくらいだ。

 気付けば、視線が離せなくなっていた。


(彼女は、自分の足で誰かと向き合っている)

(守られるだけの存在ではない。……惚れ直す、とはこういう気持ちか)


 そんな折。

 学院の掲示板に、次なる行事の予告が貼り出された。

 上級生と下級生による学術協議発表会。


 形式上は発表と交流が主だが、貴族社会においては、後継者の見極めや婚約話の水面下での調整など、思惑が錯綜する重要な催しでもある。

 それに伴い、代表発表者としてマルガレーテ、エルザ、そしてユリウスの名が掲げられた。


「まさか、三人で発表?」

「珍しい組み合わせね……」


 ざわめきの中、当の三人は静かにその紙を見つめていた。

 エルザは一歩引こうとしたが、マルガレーテがその腕を取った。


「やりましょう、一緒に。もう、遠慮はしないで」


 その言葉に、エルザの表情がふっと和らぐ。

 ユリウスは、そんな二人の姿を見て、心の中で何かが確かに変わったのを感じていた。


「やれやれ、マルガレーテ。少しは僕の方も向いてくれないか。エルザ嬢に嫉妬してしまうよ」


「でっ、殿下!」


「満更冗談でもないのだけど?」


 マルガレーテが頬を染め、ユリウスがにこやかに笑い、エルザが憧れの眼差しで二人を見つめる。

 ハインリヒは目を細めた。


(一難去ったか)



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