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第8話 深まる絆

 学術協議発表会は、滞りなく終わった。

 白亜の講堂に響いた拍手は、どこまでも温かいものだった。

 壇上に立つ三人――ユリウス・フランツ・シュタール、エルザ・グラーツ、そしてマルガレーテ・ベルクヴァイン。

 彼らは緊張しつつも堂々とした態度を保ち、それぞれの役割を果たし切った。


 ユリウスが議論を主導し、王子としての威厳と論理性を示す。

 エルザがそれを見事に継ぎ、特待生としての実力と説得力を証明する。

 そしてマルガレーテは、細やかな補佐を怠らず、要点の整理や資料補足を絶妙な時宜タイミングで挿入した。


 全員が、それぞれにとって最も輝ける場所で輝いた。

 客席の最前列。

 そこに座るフィロメーラ・ベルクヴァインは、真っ直ぐに手を叩いていた。

 惜しみない拍手だった。

 心からの称賛と安堵、そして深い誇りが込められていた。


(……見事だったわ、三人とも)


 中でも、マルガレーテの姿にフィロメーラは目を細めた。

 派手な役ではない。けれど、彼女にしかできない支え方があった。

 決して目立たず、それでいて欠けてはならない存在。それが今の彼女だった。


 発表が終わり、三人が一礼をして壇を下りる。

 講堂の扉が開かれ、生徒たちがぞろぞろと外へ出ていく中、フィロメーラはそっと立ち上がった。


「お姉さま!」


 マルガレーテが駆け寄ってくる。

 顔は少し紅潮していて、目はきらきらと輝いていた。


「どうだった? わたくし、ちゃんとできていたかしら?」


「ええ、とても良かったわ。完璧だったとは言わない。でも、貴女があそこにいたことが、全体を整えていたわ。ユリウス殿下とエルザ嬢も、きっとそう感じているはずよ」


 マルガレーテはぱあっと笑顔になり、息を吐いた。


「よかった……本当に、よかった」


 その肩越しに、エルザとユリウスが近づいてくる。

 エルザは落ち着いた様子ながらも、どこか達成感を滲ませていた。


「フィロメーラ先輩、お褒めいただきありがとうございます。マルガレーテさまが居てくださらなければ、私はあそこまで自信を持てなかったと思います」


「それは私の台詞です」


 そう返すマルガレーテに、エルザが小さく笑う。

 その様子は、以前の張り詰めた空気とは打って変わって、柔らかく自然だった。

 フィロメーラは二人のやり取りを見つめながら、心の中でそっと息をついた。


(そう。これでいいの)


 未来は、変えられる。

 物語の定めに縛られずに――自分たちの手で、選び取ることができる。


「フィロメーラ嬢」


 呼びかけたのは、ユリウスだった。

 彼は珍しく視線を逸らさず、まっすぐ彼女を見つめていた。


「……ありがとう。貴方の導きがなければ、僕たちはここまで来られなかった。そう、思っています」


 思いがけない言葉に、フィロメーラは小さく目を見開いた。


「とんでもないことですわ。私は、ただ……姉として、先達として。当然のことをしたまでです」


 それでも、彼の眸に浮かぶ感謝の光は揺らがなかった。


「それが、貴方の強さです。貴女が居てくれたから、今の僕たちがある。僕はそう信じています」


 その時、マルガレーテがくすぐったそうに口を挟んだ。


「ねぇ、殿下。あまり褒めすぎると、お姉さまが恥ずかしがりますわ」


「……おや、それは君らしくない台詞だね。妬いてくれているのかな?」


 笑い声がこぼれ、三人の空気がほどけていく。

 フィロメーラはその中に身を置きながら、ほんの少しだけ、自分の肩の荷が軽くなった気がした。


 けれど、空はまだ明るくても――陰は、いつだって忍び寄ってくるものだ。


(この“平穏”を、そう簡単に手放させはしない)


 ふと、講堂の片隅で誰かの視線を感じた気がして、フィロメーラは微かに眉を寄せた。

 だが、次の瞬間にはそれも消えていた。


 新たな火種の兆しは、まだ遠くでくすぶっている。

 けれど今は、それを考える時ではない。


 今はただ、彼らの笑顔を胸に焼きつけておこう――

 未来を変えられると信じられるこの一瞬を、何よりも大切にするために。



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