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第2話

 隣に座るお爺さんを改めて見ると、彼は極普通な人だった。馬車の隅に吊るしてあったランプの光は彼が被っていたキャスケットで遮られていて、顔はよく見えなかったが、年齢は七十代位だろうか。それでも背筋はまっすぐで、力強い雰囲気もした。

 私の行き先についてお爺さんは一つ、二つ訊いて来た。どこまで乗せて行けるのかを考えてくれている様だった。最初の街の外れでおろしてくれと頼むと、お爺さんは感心した様に頷いた。

「お前さんは随分のしっかり者なんじゃろうなぁ。ウチの末孫にお前さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいわ」

 どうやらお爺さんには私より一つか二つ年上のお孫さんがいる様だった。そしてそのお孫さんがどこか呑気なお調子者で、将来やって行けるのか心配なんだとか。

「あの子もお前さんくらいしっかりしてる孫息子だったら、よかったんじゃがのう」

 そう言いながらも、お爺さんはクスクスと笑った。子供の私にも、それはこのお爺さんがお孫さんのことを愛おしく思っているからだと理解できた。

 家族から愛される。そんなことを私は体験した事がなかった。

「ふっ……」

 気が付いたら、私は泣いていた。泣かないと決めていたのに、もうそれは止められなかった。

「うっ……くっ……うぅ……」

 家族に冷たく遇らわれる。侯爵令嬢としてふさわしくない、と外見で判断される。ゲームのキャラクターの身体と運命に囚われて生きる。

 そんな人生は、もう嫌だった。

「お前さん……」

 隣に座るお爺さんは、躊躇しながらも声を掛けてくれた。

「そうか」

 ポン、と私の頭の上に手を置くと、お爺さんはそっと撫ででくれた。

「ずっと……辛かったんじゃな」

 四年間頑張って来た。不安になりながらも、自分でも小さな幸せを手に入れたい、とそう思いながら、一生懸命堪えて前に進んできた。それを誰かに理解してもらえた気がして、私は泣いた。

 泣き止まない間々俯く私に、お爺さんは自分の大きな帽子を被せてくれた。

 その温かい感触は、いつまでも覚えている。


* ~ * ~ *


「はい、そっち持って!」 

 十年後。私は成人し、就いた仕事に精を尽くしていた。

 一緒に本棚を動かしていた同僚のデリックは踏ん張りながら叫んだ。

「アン、お前……力あり過ぎんだよ! 反対側持ってるヤツのこともちっとは考えろ!」

 私は運送会社で働いている。職務内容は主に引越し作業だ。今日も三人家族の引越しの為に仕事に出ていた。

「何言ってんのよ! アンタの方こそもっと鍛えて、テキパキ動いてよね!」

「何だと?! アン、お前そんななりと性格だと、嫁の貰い手絶対出て来ねーぞ?!」

「そーだ、そーだ! もっと俺達を労われ!」

 一人でテーブルを馬車から下ろして来たジョンは、笑いながらも迷いなくデリックのがわに付いた。

「うるさいわね! 余計なお世話よ!」

 一緒に仕事をしている仲間達は、主に男性だ。みんな気さくで、良い人達ばかりだ。いつもこんな言われようだけど、私はこの職場が気に入っていた。

 大人になっても大して背が伸びなかった私は、その代わりにやたらと筋肉が付いた。きっと、この街に来てから私を家族として育ててくれたドロシーさんがたらふく食べさせてくれたおかげだ。ついでに力仕事も必要上色々とやる様になったからか。

 昔から背が低かった私は、筋肉が付いて更にずんぐりとなった。それでも、私は大して気にしていなかった。この身体があるからこそ、自分がしたい仕事ができている。それを私は誇りに思っていたし、ありがたみさえ感じていた。

「ハハッ! 安心しろ。誰もいなかったら、俺で手ー打っとけ!」

 現場の指揮を取っていたオスカー先輩も、一口挟んで来た。

「結構です! 私だってアンタ達みたいな脳筋ばっか毎日見てたら、真逆のタイプが好みになるわよ!」

 今日の仕事は私の他にこの三人が担当していた。これなら、割と早く作業が終わるだろう。

 私達の運送業者は、実は少し……特殊だ。引越しや荷物を配達する事は勿論だが、その他にも「トラブルがある人達を助ける」お仕事もやっているのだ。

 誰かに追われている。暴力を振るわれている。命を狙われている。そう言った人達が安心して生活できるよう、新しい人生を用意する――それが私達の仕事だ。それには、引越しは勿論、身分証明書の偽造や、時にはちょとした……をすることもある。

 所謂、「裏社会」に生息する団体だ。それでも、表向きはこうやって堂々と運送会社をしているので、変な緊張感も無い。

 若い頃偶々知ったこの会社で働ける様になる為、私は努力した。力もつけたし、必要なスキルも身に付けた。言葉遣いも変え、この国では珍しい赤髪も目立たない様黒く染めている。勿論、ドロシーさんにこの会社の実態は伝えていないが。

 一緒に仕事をしている人達も、同じ様な者達だろう。腕力もあるし、私も含めて全員それなりの戦闘能力もある。それに、恐らく家族には仕事の本当の内容を教えていない筈だ。

 それでも、私はこの仕事が大好きだ。周りの人を守りたい、弱い人を助けたいーーそれができるなら、裏社会だって何でも良い。どうせこの世界では悪役令嬢になる筈だったんだ。いっその事、本物の悪女になってやろう。もう貴族じゃないから、令嬢でも何でもないし。

 そしてこれは、家から逃げ出した時あのお爺さんに勇気づけてもらった、その恩返しだ。これは、お爺さんからのおまじないのおかげなのだ。


 あの夜、私がやっと泣き止んだ頃――

「すまんのう、そんな汚い物を被せてしまって」

 私が鼻を啜りながらお爺さんの帽子を返すと、彼はそれを被り直しながらそう言った。そんなことは全然気にしていなかった私は、首をフリフリと振った。

「あと数時間程でわしの国じゃ。日が昇る頃には着くじゃろう。それまで寝てたらどうじゃ」

 屋敷を出てから仮眠程度しか取っていなかった私は、ありがたくそうする事にした。

 馬車に揺られながら夢すら見ない程の深い眠りに着いた私は、やがて優しい声に覚醒を促せれた。

「お前さん、お前さん。着いたよ。ルーイヒューゲルじゃ」

 むっくりと起き上がった私は、目の前に広がる景色に目を見開いた。

 今まで通って来た森は途絶え、その代わりに長閑な丘が波打っていた。そして少し先には、所々に小さい建物が見え始めていた。

 てっきり国と国は高い壁で別れていると思っていた私は、近付くにつれて大きくなる建物の群れに息を呑んだ。

「さて、お前さんはこの街の外れでいいんじゃったかのう?」

「はい。ここから先は……大丈夫です」

 未開封の手紙の差出人住所は、この街の物だった。ドロシーさん自身は男爵家の次女で、私の親の屋敷から解雇されてからは平民だった恋人と結婚し、このルーイヒューゲルに移り住んだのだった。

 こうやって訪ねる前に連絡を取る手もあっが、手紙のやり取りを親に知られたくなかった私は、敢えて何もせずにドロシーさんを訪れる事にした。

 もし駄目でも、私はどうせこの国で生きて行かなければならないのだから。

 街中に入ると、馬車は石造りの道の上を滑り始めた。ルーイヒューゲルの王都から随分と離れたこの辺境の街でも、街づくりは随分と発達している様だった。

 少し買い出しをしたいと私が言ったので、お爺さんは広めの市場の隅に馬車を止めてくれた。まだ日が出始めたばかりの朝早いその時間は、やっと人々が屋台の準備を始めている所だった。

 私は持って来た鞄を斜めがけにし、馬車から降りた。そしてお爺さんにちゃんとお礼を言おう――改めてそう思った時だった。

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