──緊急搬送、OD、飛び降り、首吊り。
それが〝死の国〟の朝だった。
「ストレッチャー来ます! OD、リストカット、意識レベルE1V1M2!」
「次、三番処置室に搬入! AED、ライン確保、血圧ゼロ!」
「自殺未遂者あと三名搬送予定! ベッド足りません、各診療科の外科チームは応援を──!」
廊下を駆け抜ける足音。
怒号のような指示。
立ち上る薬液と、血の匂い。
それらが全て、ヴェルティの朝を告げていた。
ヴェルティ国立中央病院、早朝四時。
静寂が支配する筈の時間帯に、救命救急センターは地獄絵図と化していた。遠くから響き渡る救急車のサイレンが
レッドアラームがけたたましく喚き散らし、赤い光が天井と壁を不規則に染め上げる。床には緋色の血が湖を拵えており、使い捨てガーゼや空の注射器が転がってその上を滑る。そして、看護師の足音がいくつも重なり、慌ただしく響き渡っていた。
「はッ……はぁ、ッ、はぁ……っ、」
そんな騒然とした中、地獄の方へと走る白衣の青年が一人。彼は心臓外科の医局でデスクに突っ伏していたところを緊急呼び出しで叩き起こされたばかりだ。青い宝石のブローチが白衣の胸で鈍く煌めき、後ろでひとつに結い上げた濡れ羽色の黒髪は乱れている。そんな彼は眠気と混乱を振り払うように顔を上げ、これから向かう先へと意識を集中させる。ポケットに入れた無線から漏れる「心臓外科にも応援を」という声に、専攻医である自分に何が出来るのかと自問しながら。
彼の名を、ルミエール・シュヴァリエという。
このヴェルティ国立中央病院に勤める、心臓血管外科専攻医であり──何処にでも居る、ただの医者見習いだ。
「ルミエール先生ッ、院長先生が、」
「すみません、今ちょっと……!お話は後で──!」
すれ違う看護師に一言だけの形式的な謝罪を述べ、廊下を駆ける。天井に埋められたLEDがちかちかと点滅し、何処か不穏な気配を漂わせていた。
エレベーターが止まっているらしく、その事を察したルミエールは非常階段を駆け下りる。足音がコンクリートの壁に反響し、鼓動がそれに合わせて高鳴る。リノリウムの段を降りるたび、悲痛に叫ぶバイタルモニターの音と、微かに聞こえる医師達の怒号が少しずつ音量を増していく。それは、修羅場に、地獄に、彼が近付いている事の暗示であった。
「し──失礼しますッ、心臓外科から手伝いに来ました──!」
自動扉を潜り、到着した瞬間、目に飛び込んできたのは混乱の狂歌だった。看護師が叫び、医師が走り回り、担架が次々と運び込まれる。無線で話は聞いている──此処に居る患者達は皆、自殺未遂者であるのだと。腕に深く刻まれた紅い線、口元から泡を吹く者、意識を失ったまま痙攣する者……。共通するのは、死にゆく者が持つ虚ろな瞳と、異様に冷たい皮膚だった。
ルミエールは一瞬、その
汗と血の匂いが鼻の奥深くへと侵入し、耳にはモニターの警告音と唸り声、そして叫び声が混ざり合い、刺さってくる。
「……酷、すぎる」
そう呟いた声は騒音に掻き消され、誰にも届く事なく消えていった。