藤原知世は足早に水霧ガーデンへ向かった。ものの二分ほどで到着し、スタッフたちを下がらせ、何か異変があればすぐ報告するよう指示した。
その後ろを藤原遥が、絶妙な距離を保ちながら音もなく追いかける。知世は気づいていない。
しばらくして、遥が予想もしなかった人物が知世の前に現れた――佐藤執事だ。二人は手短に話し始める。
遥は会話を聞き取るため、柱の陰までそっと近づいた。距離は十メートルほどだが、遥の聴力なら十分だ。
「持ち込まれた品は整理できてる?」
「すべてここにございます。使えるものは高橋家と山本家の御子息が提供したものだけで、取引材料にできます。」佐藤執事が数枚の資料を差し出す。
遥の心がざわつく。品物?いつ渡した?もしかして、あの廊下を通る際、招待客は何かしら提供しなきゃいけなかったのか?やはり知世の仕切るこの集まりは、ただの娯楽ではなさそうだ。
「前に目をつけていた四人は、やっぱり誠意が足りない?もう一度釘を刺して。」知世は資料をめくりながら、冷たい目を向ける。「これが最後のチャンスよ。ダメなら“暗帳”に入れて。」
“暗帳”――遥も噂では聞いたことがある。藤原家が一族に害を及ぼす者の秘密を記録する黒い帳簿。様々な人の弱みが握られているらしい。管理しているのは知世?しかも執事の佐藤が彼女に直接従っているとは。
「焦らずとも。あんな連中、知世様の足元にも及びませんよ。」佐藤執事が応じる。
知世は口元をわずかにほころばせるが、何も言わない。
「それと、今日来ているご令嬢やご子息たちの身元は、本家のお嬢様にも伝えましたか?」
「九条家についてだけ、お伝えしました。」
知世の目が鋭くなる。「それはおかしいわ。本家のお嬢様は今日初めて来たばかり。藤原家の人間以外、どうやって他の情報を?」
「本家のお嬢様を甘く見すぎかもしれません。見かけほど単純じゃない気がします。」佐藤執事は真剣な口調だ。彼の直感はよく当たる。
「過去については、やっぱり何も掴めてないの?」知世が一番気になっているのはそこだった。藤原家の情報網は広い。フランスのスラムにいたとしても、全く痕跡がないなんてありえない。誰かが意図的に消したとしか――
「何もありません。ご両親も三人の兄様方も、手がかりはゼロです。」佐藤執事はためらいがちに言う。「いっそのこと、ご本人に直接聞いてみますか?」
「戻ってきたばかりで、私たちを信用していないかもしれないし。父さんも母さんも兄たちも、無理に聞き出して嫌な記憶を思い出させたくないのよ……まあ、彼女のことは今は置いておくわ。」知世は手を振った。
暗闇の遥は眉を上げる。自分の素性を調べたい?日本国内では藤原家は絶大な権力を持つが、国際的にはまだまだ。遥は、家族がどこまで辿り着けるのか、静かに見守ることにした。
「この資料だけじゃ足りないわ。佐藤、引き続き見張ってて。今日、彼らにもっと吐かせなきゃ、雲鏡軒から出すつもりはないから。」知世は冷たく言い放つ。さっき先に帰された二人は、運が良かった。
会話が終わりそうなのを見計らって、遥はその場を離れた。すぐに大勢に囲まれ、家族の反応についてあれこれ詮索される。
その様子を知世が見かけ、遥と目が合うと、鼻で笑ってから別の方向へ向かった。しかし、人気のない場所で雲鏡軒の責任者とひそかに言葉を交わしている。
「お嬢様、今夜の仮面舞踏会は予定通りでよろしいですか?」
「ええ。」
「本家のお嬢様は周囲に人が多くて、すぐに安全確保できるかわかりません。それに九条家の御曹司も……」
「この私の場所で守れないなら、東京で顔なんて出せないわよ。」知世はきっぱりと言った。
「かしこまりました。」
一方、若者たちは遥を自分たちの遊びに引き込もうとする。遥が世間知らずだと思い、恥をかかせたかったのだが、思いどおりにはいかない。遥は巧みに断ったり、さりげなくルールを崩してしまい、逆に周囲が戸惑う始末。彼女自身はまるで無自覚な顔。周囲は苛立ち、ついには互いに責任をなすりつけ始めた。
その騒ぎを聞きつけて、知世がやってくる。珍しく眉をひそめ、「どうしたの?」と声をかけた。
他の誰よりも早く、遥が知世のそばに寄って、「知世、ちょうどよかった!みんなが意地悪して、ゲームもまともにできないの」と、少し甘えた態度で訴える。
みんな「……」
知世は遥を一瞥し、みんなに目を向ける。「遊びたくなければ、無理にしなくていいわ。メインホールで待ってて。話があるから。」
みんな「……」 納得いかないが、言い訳もできない。遥をいじめていたとは言えないし、知世は簡単にごまかせない。これも一種の庇護なのだろう。
その後の用事では、知世は遥を連れず、彼女は別の場所で過ごすことになった。そして夜の仮面舞踏会。みんなは盛り上がらず、知世に叱られたこともあって、以前ほどの熱気もない。何度も経験しているせいで新鮮味も薄い。
だが遥は、どこか楽しそうだった――また、あの人を見つけたからだ。
黒と白の羽根飾りのマスクを手に取ると、遥は舞踏会が始まると同時にダンスフロアに入った。気ままに踊るふりをしていたが、目当ての人物はすぐに近づいてきて、手を取る。
「また忍び込んできたの、御曹司?」遥がささやく。
九条森は質問に答えず、「まだ何も言ってないのに、もう俺だってわかった?それで俺のこと好きじゃないって言うの?」