「まあ、それもそうだな。」九条峰はどこかしっくりこない様子で、わざとからかうように言った。「俺は明の方がよっぽど頼りになると思うぞ。気も遣えるし、縁談の話もあいつに任せてみたらどうだ?」
「ダメです!お父さん、わざと僕に逆らってるんですか?」九条森は必死で反論する。
明は微笑むだけで何も言わなかった。
「誰があんたに逆らってるんだ?お前が今までやってきたこと、全部黙ってるだけでもありがたく思え。」九条峰は鼻で笑った。
「余計な心配しないでください。そのうち絶対、ちゃんとお嫁さん連れて帰りますから。」九条森は箸を置くと、さっと席を立って出て行った。
九条峰はこめかみを押さえながら、明に向かって言う。「お前、森のこと見張っておけよ。あいつ、藤原家のお嬢さんを本気で怒らせるなよ。」
「僕には無理ですよ。兄貴、俺が嫁さん取るつもりだって勘違いしそうで。」
九条峰「……。」
……
藤原家。
藤原遥は笑いながら知世に声をかけた。「知世、今日もまた二人きりだね。」
「ふん。」知世は素っ気ない。
「今日は何してるの?」
「どうせ、手伝ってほしいんでしょ?」
「その気になれば、別にいいよ。」
知世は疑いの目を向ける。「何ができるの?」
「なんでも少しはできるよ。」
「ほんと?」知世は明らかに信用していない様子だったが、この数日の遥の様子を思い出し、少し柔らかい声で尋ねた。「遥、お姉ちゃんに教えてくれない?F国で何を勉強してたの?」
「色々やったけど、はっきりとは言いにくいかな。」
「ごまかしてるでしょ。」知世は不満そうだ。
「知世、佐藤が向こうで待ってるよ。何か用があるみたい。行かなくていいの?」遥が指差す。
知世が振り返ると、確かに佐藤が立っていた。
「よく見てるね。どうして私に用があるって分かったの?」
「私じゃなくて知世に用があるでしょ?『みたい』って言っただけ。」
「……まぁ、いいわ。」知世はそのまま歩き去った。
遥はふらりと屋敷の外を歩き、使用人が大型犬の「雷神」を訓練しているのを見かけた。
「お嬢様、あちらは危険ですので、ここからご覧ください。」使用人が出迎える。
「大丈夫、私は怖くないから。」
雷神は敏感に反応し、遥の方を見た。遥はまるで小型犬にでもするように手招きする。「雷神、おいで。」
「お嬢様、雷神は普段佐藤しか言うことを聞きませんので……」使用人が言い終わる前に、雷神は勢いよく遥の方へ駆けてきた。まるで挑発されたかのように、荒々しい様子だ。
使用人たちは顔色を変えた。雷神は気性が荒く、遥に怪我をさせるのではと慌てて止めようとしたが、もう間に合わない。雷神が遥の目前に飛びかかろうとした瞬間、皆が息を呑む。「お嬢様、危ない!」
遥は一歩後ろに下がると、素早く足を上げて雷神の頭を押さえつけ、そのまま地面に固定した。さらに、首根っこを掴んで持ち上げる――雷神の体は大きいのに、まるで子犬のようだ。
「思ったより、やんちゃだね。」
数人の使用人は呆然とした。これで制圧できたのか?お嬢様は小柄なのに、なんて力だ。しかも、全然怖がっていない!
「お嬢様、やはりこちらにお任せください。雷神は気性が激しいので……」
「奇遇だね、私も気が強い方よ。」遥は淡々と答えた。
使用人が戸惑っていると、雷神は「くぅん」と鳴き、すっかり従順な様子になった。遥は何事もなかったかのように雷神の毛を撫でる。
そこへ佐藤が駆けつけ、この光景に目を丸くした――雷神がこんなにお嬢様になついているとは…。
「お嬢様、ここは危険ですので、知世様もお部屋にお戻りいただくようにと……」佐藤は驚きを抑え、丁寧に声をかける。
「どうして?せっかく外に出てきたのに、雷神も大人しいじゃない。」遥は不満そうに問い返す。
「雷神のせいではありません。」
知世が今、佐藤と話していることを思い出し、遥はさらに追及する。「じゃあ、どういうこと?何かあったの?」
佐藤は少し躊躇したが、正直に答えた。「お客様がいらしています。知世様は、お嬢様には控えていただきたいと。」
「どんなお客?知世が会えて、私が会えない理由は?」遥は無表情で淡々とした口調だが、佐藤は思わず息を呑んだ。
「いえ…お嬢様も会えないわけではありません。ただ、その方は少し危険ですので、お嬢様の安全のため……」
「危険なら、なぜ屋敷に入れるの?」
「その方は…藤原家の関係者でして、自由に出入りできる立場なのです。ご主人も無理に止められません。」
「藤原家の関係者?どういう立場?親族、それとも使用人?」
「使用人ですが、藤原家の直属というより、家系全体の下につく者です。」
「使用人なら、別に怖がることもないでしょ。」遥は様子を見に行こうとした。
「お嬢様、事情はお考えほど単純ではありません。まだご存知ないことも多いので……」佐藤は止めようとしたが、遥はすでに議事堂の方へ歩き出していた。
佐藤は内心焦ったが、無理に主を止めることはできない。
「お嬢様、知世様とお客様は今、大事な話し合い中ですので……」
「私はこの家の娘よ。会議に同席してもおかしくないでしょ?」遥はそう言うと、議事堂の扉を勢いよく開け、中の声もれがするほどだった。
藤原知世の表情が険しくなる。この子、なんで言うこと聞かないの?遊びじゃないのに。佐藤も止められなかったし…。
遥は室内の三人を見渡した。知世、七十代か八十代の傷跡のある老人、そして佐藤。普段はただの執事のはずの佐藤が、知世や「客人」と対等に向き合い、微妙な均衡を保っている。
佐藤は彼女を見ても、冷静な表情を崩さなかった。
知世は不機嫌そうに顔をしかめた。「何の用?」
「私も藤原家の人間だし、仲間に入れてよ。」遥は甘えるような口ぶりだが、動作は堂々と知世の隣に座る。「知世、このお客さん、紹介してくれないの?」
「お客さん」という言葉を、遥はわざと強調した。
傷跡のある老人は遥をじっと見つめ、にやりと不気味な笑みを浮かべた。「お嬢様、私は客なんかじゃありませんよ。」