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第3話 婚約破棄と鉄拳

王都最大の舞踏会場。

今夜は王宮主催の社交舞踏会であり、出席者の顔ぶれは国の中枢を担う貴族ばかり。

誰もが豪奢な衣装を纏い、杯を交わし、未来の政を左右する縁を結ぶ場でもある。


その中央に立つのは、王太子レオナードと聖女ミレイユ。


眩く照らされたスポットライトの下で、彼は声高らかに宣言した。


「我が王国に神の祝福をもたらした聖女ミレイユこそ、真実の愛の化身。よって、私は彼女と新たな契りを結ぶ!」


ざわっ……と広がる人々のさざめき。


そして次の瞬間――


「アリステリア・ディ・レグニッツとの婚約を、ここに破棄する!」


王太子の一方的な言葉が、会場を沈黙させた。


──だが。


その空気を切り裂くように、ヒールの音が響いた。


「まあまあまあ……」


ゆったりと歩み出たのは、深い青のドレスに身を包んだ一人の令嬢。

レグニッツ公爵令嬢、アリステリアである。


「……さすがですわ、殿下。何度目かしら、“真実の愛”って」


その声音は穏やかだった。笑みすら浮かべていた。


けれど、それが逆に恐ろしかった。


王太子レオナードの顔が、みるみる赤くなる。


「何を……言っている」


「だって……毎月のように、“運命の女”を見つけてらっしゃるのですもの。“真実”が軽すぎて、ちょっと心配になりまして」


くすくすと笑うアリステリアに、貴族たちの間で小さなざわめきが起こる。


レオナードは拳を握りしめた。


「貴様……王太子であるこの俺に、反抗するのか?」


「いいえ。むしろ、喜ばしいことですわ」


アリステリアは、ぴたりと歩を止め、正面に立つ。


その目は、笑っていなかった。


「ようやく、あなたから婚約破棄をいただけたのですもの」


「……なに?」


アリステリアは静かに言葉を紡ぐ。


「正直に申し上げて――」


「人としてクソ野郎すぎて、こちらから婚約破棄したかったくらいですわ」


会場が凍りつく。


王太子の顔が、真っ赤に染まる。


「おまえっ……!」


「けれどね。こちらから切れば、公爵家の立場がどうなるか、父がどう思うか、いろいろ考えましたの」


「貴様、身の程を弁え……!」


「でも、今夜で終わりですわ。感謝して差し上げたいくらいですの。あなたの自爆のおかげで、私は晴れて自由の身ですもの」


そこまで言うと、アリステリアはふっと微笑んだ。


──そして。


「最後に一つだけ、礼を」


言うや否や。


ぶん。


音がした。風が鳴った。


ごっ。


「っぐぁあっ!!?」


次の瞬間、王太子レオナードは殴られていた。


それも、まさかの。


拳で。


公爵令嬢の繊細な白手袋が、王太子の頬を見事に捉え、豪快に回し蹴り……ではなく、ストレートで顔面を打ち抜いたのである。


その衝撃に、王太子は大の字に倒れこむ。


貴族たちの悲鳴とどよめきが同時に湧き上がった。


「あ、アリステリア様、拳!?」「手で!」「なんという……」「殿下がお倒れに!」


アリステリアはそんな周囲の混乱に目もくれず、倒れたレオナードを見下ろしながら、優雅に言った。


「……ああ、痛かったですわ」


「お、貴様……っ」


「拳で殴るなんて、初めての経験でしたの。爪、割れてないかしら……?」


そうつぶやきながら手袋を外し、何事もなかったかのように新しいものを取り出して付け直す。


その所作に、恐ろしいほどの品格があった。


「では、皆さま。私の婚約破棄の儀、どうぞごゆるりとご覧になってくださいませ」


アリステリアは、倒れるレオナードを背にしながら、くるりと身を翻した。


ドレスの裾が空気を裂き、堂々と歩き去っていく。


誰もが、その背中から目を離せなかった。



そして、その背中をうっとりと見つめていたのは、他でもない――聖女ミレイユだった。


「……すてき。あの冷たさ、あの潔さ……ああ、私もあの拳を受けてみたい……♡」


静かにそう呟いた彼女の言葉は、誰にも聞かれていない。


──変態たちに囲まれるアリステリアの未来など、

このときの彼女は、まだ知る由もなかった。



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