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第10話 静寂を乱す者に

村に広がるのは、かつてないほどの静けさだった。


午後の陽が斜めに差し込む中、アリステリアは紅茶のカップを片手に、静かに館のテラスに腰を下ろしていた。


窓の外、遠くの丘の上に黒い影が揺れる。 風に乗って漂うのは、金属のきしむ音と、不気味な咆哮。


「……来ましたわね」


アリステリアはカップを受け皿に戻し、そっと椅子から立ち上がる。 その姿は気品に満ち、戦場には似つかわしくない、絹のドレス姿のままだった。


「お嬢様! 魔物の群れが、村を包囲しています!」


メイドのクラリッサが駆け込んでくる。だがアリステリアは微笑みながら、ひとつ頷くだけだった。


「そうですの。けれど……」


彼女は、そっと傍らの鞘から愛用のウイップを取り出す。 それは飾り気のない一本の鞭。だが彼女の手にかかれば、鋼鉄をも切り裂く凶器となる。


「……静かな午後を、邪魔してほしくありませんわ」


そう呟いたとき、館の門がゆっくりと開かれる。


迎え撃つ者は、ただひとり。


数十体の魔物が、村の広場へと押し寄せる。獣のようなうなり声を上げ、牙と爪を振りかざしながら。


だが。


「……躾がなっていませんわね」


風を切る音が響いた瞬間、最前列の魔物の首が吹き飛ぶ。 ウイップが放つのは、しなる鋼の暴風。皮膚を裂き、骨を砕き、意思ある者を屈服させる恐怖そのもの。


「ぎゃあああああっ!?」「ひぃぃっ、な、なんだあれはっ!?」「こ、こんなはずでは……っ!」


鞭が振るわれるたびに、魔物たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。 一撃、一閃、一喝。


「静かに……」


びしり、と地を裂くような一閃。


「午後の紅茶を邪魔しないでくださる?」


魔物たちは恐怖に怯え、指揮も隊列も崩れ始めていた。すでに、戦いではなく粛清だった。


数分後、村の前に積み上げられたのは、倒れ伏す魔物たちの屍の山。 生き残った者は、恐れ慄き、後退し、そして撤退した。


村人たちは呆然とその光景を見つめていた。昨日までの静寂が、今や神話の序章に変わっていた。


「お嬢様……あれは……」


「騒がしかったですけれど、これでまた紅茶が美味しくいただけますわね」


アリステリアは、涼やかな笑みを浮かべて紅茶のカップを持ち直す。 彼女の足元には、倒れた魔物の血が小さく弧を描いていた。


だが、誰もそれを咎めなかった。


それは、聖女でも戦士でもない――ただの“静寂を愛する公爵令嬢”の、日常の一幕に過ぎなかったからだ。


そしてこの日から、彼女はこう呼ばれるようになる。


――“静寂の守護者”と。





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