村に広がるのは、かつてないほどの静けさだった。
午後の陽が斜めに差し込む中、アリステリアは紅茶のカップを片手に、静かに館のテラスに腰を下ろしていた。
窓の外、遠くの丘の上に黒い影が揺れる。 風に乗って漂うのは、金属のきしむ音と、不気味な咆哮。
「……来ましたわね」
アリステリアはカップを受け皿に戻し、そっと椅子から立ち上がる。 その姿は気品に満ち、戦場には似つかわしくない、絹のドレス姿のままだった。
「お嬢様! 魔物の群れが、村を包囲しています!」
メイドのクラリッサが駆け込んでくる。だがアリステリアは微笑みながら、ひとつ頷くだけだった。
「そうですの。けれど……」
彼女は、そっと傍らの鞘から愛用のウイップを取り出す。 それは飾り気のない一本の鞭。だが彼女の手にかかれば、鋼鉄をも切り裂く凶器となる。
「……静かな午後を、邪魔してほしくありませんわ」
そう呟いたとき、館の門がゆっくりと開かれる。
迎え撃つ者は、ただひとり。
数十体の魔物が、村の広場へと押し寄せる。獣のようなうなり声を上げ、牙と爪を振りかざしながら。
だが。
「……躾がなっていませんわね」
風を切る音が響いた瞬間、最前列の魔物の首が吹き飛ぶ。 ウイップが放つのは、しなる鋼の暴風。皮膚を裂き、骨を砕き、意思ある者を屈服させる恐怖そのもの。
「ぎゃあああああっ!?」「ひぃぃっ、な、なんだあれはっ!?」「こ、こんなはずでは……っ!」
鞭が振るわれるたびに、魔物たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。 一撃、一閃、一喝。
「静かに……」
びしり、と地を裂くような一閃。
「午後の紅茶を邪魔しないでくださる?」
魔物たちは恐怖に怯え、指揮も隊列も崩れ始めていた。すでに、戦いではなく粛清だった。
数分後、村の前に積み上げられたのは、倒れ伏す魔物たちの屍の山。 生き残った者は、恐れ慄き、後退し、そして撤退した。
村人たちは呆然とその光景を見つめていた。昨日までの静寂が、今や神話の序章に変わっていた。
「お嬢様……あれは……」
「騒がしかったですけれど、これでまた紅茶が美味しくいただけますわね」
アリステリアは、涼やかな笑みを浮かべて紅茶のカップを持ち直す。 彼女の足元には、倒れた魔物の血が小さく弧を描いていた。
だが、誰もそれを咎めなかった。
それは、聖女でも戦士でもない――ただの“静寂を愛する公爵令嬢”の、日常の一幕に過ぎなかったからだ。
そしてこの日から、彼女はこう呼ばれるようになる。
――“静寂の守護者”と。