午後の陽光が窓から差し込み、アリステリアは村の古びた館の応接間で、優雅に紅茶を口にしていた。耳に心地よいカップの音、漂うアールグレイの香り。静謐な午後、だが、その空気を破るのは、妙な沈黙と視線だった。
「アリステリア様……」
静かに声をかけたのは、メイド姿のミレイユ。あの王太子レオナードに“聖女”として選ばれ、寵愛された過去を持つ女。
「何かしら?」と、アリステリアは涼やかに問い返す。
ミレイユはすっと背筋を正し、両手を前に組んだまま、伏し目がちに言った。
「……お願いがございます」
「お願い?」
「どうか、アリステリア様の、その手にある――」
ミレイユの視線がアリステリアの腰のホルダーへ向かう。
「そのウイップで、私に罰を与えていただけませんか?」
紅茶を口に運んでいたアリステリアの動きが止まった。目が静かに細められる。
「……は?」
「私、ずっと我慢しておりました。アリステリア様に仕えてからというもの、完璧なメイドであることに努めてまいりました。でも……」
ミレイユは頬を染めながら、陶酔にも似た表情で言葉を続けた。
「でも、本当はずっと、アリステリア様のご叱責が欲しかったのです。その清らかなお声で“変態”と罵られ、その麗しい手で鞭を振るっていただきたい……♡」
「…………」
アリステリアは無言のまま紅茶をひと口。カップを静かにソーサーに戻し、深いため息をひとつついた。
「……あなたもなの?」
「はいっ……! どうか私も、女王様の忠実なる下僕として――」
「私は、女王様ではありませんわよ?」
「違います! 違いません! あのご威光、あの威厳、あのしなやかな鞭捌き、まさに女王の風格……!」
「鞭は護身用です!」
アリステリアは立ち上がり、額に手を当てて振り返る。
「なぜ私の周りには、こうも変態が集まってくるのですの……」
「きっと、アリステリア様が魅力的すぎるからです……♡」
ミレイユは夢見がちに手を胸に当て、うっとりと呟いた。
その瞬間、背後から物音がした。ドアが開き、ひょこっと顔を覗かせたのは、魔王である。
「お気持ち、わかります。女王様の慈愛に満ちたお叱り……ああ、たまらない……」
「あなたもまだいたんですの!? しかも聞いてたんですの!?!」
「もちろんです。忠誠とは、女王様のすべてを見届けることでございます……♡」
アリステリアは再び頭を抱えた。
「もう……おかしいですわ、この世界。私はただ、静かに紅茶を飲んで過ごしたいだけなのに……なぜ、変態と呼ばれる人々ばかりが私を慕うのですの……」
その声に応えるように、ミレイユと魔王は揃って跪く。
「我ら、女王様のしもべ……」
「どうかご命令を……」
アリステリアはそっとウイップを取り出し、ため息混じりに言った。
「……罰ですわ。変態への、お仕置きです」
ピシィッと空を裂く音が部屋に響く。
「あああっ、ありがとうございますっ!!!」
「くぅっ……これこそ至高の悦び……!!」
「……紅茶の時間が、台無しですわ」
とぼやきながらも、アリステリアは少しだけ笑った。静寂の村で、奇妙に賑やかな午後が、また幕を開けたのだった。