村に静寂が戻ってきた——ように見えた。 しかしアリステリアの館では、明らかに異様な空気が漂っていた。
「女王様、こちらの紅茶をお試しくださいませ」
メイド姿の元聖女ミレイユが、優雅にトレイを掲げて膝をつく。 その手には、湯気の立つアッサムティー。だが、彼女の目は潤み、頬はほんのり上気していた。
「私は女王ではありません。それに、紅茶はさっき飲みましたわ」
アリステリアはそう言いながらも、手元のカップに残るミルクティーに目を落とす。……さっき注がれたばかりなのに、なぜもう二杯目を差し出すのか。
「お仕置き……おかわり、お願いできませんか……♡」
ミレイユの顔が、恍惚と歪む。
「却下です!」
紅茶カップをテーブルに置き、アリステリアはピシャリと断言した。
その横では、魔王が正座していた。
「女王様、私もお仕置きを……」
「だから、私は女王じゃありませんってば!!」
アリステリアは額を押さえ、深いため息をついた。
「そもそも、なぜ私の館にあなたたちが居座ってるんですの?」
「……あれほどの鞭の冴え、私はもう虜で……!」
「鞭を使ったのは戦闘中だけです!あれは戦術!趣味じゃありません!」
「むしろ戦術であることが尊いのです……」
「わかりませんわ、その思想!!」
アリステリアは椅子から立ち上がると、窓の外を見た。 春の陽光が庭に差し込み、色とりどりの花が咲いている。遠くでは、子どもたちの笑い声が聞こえる——これが本来の、彼女が望んだ静寂だった。
それが今ではどうだ。
足元ではミレイユが「女王様の足跡にキスを……」と地面にしゃがみこみ、背後では魔王が「この庭を要塞化してお守りしますね」とか言い出している。
「ねぇ、あなたたち……」
アリステリアは静かに言った。
「なぜ、変態しか寄ってこないんですの?」
二人は顔を見合わせた。 魔王は頬を赤らめ、ミレイユはうっとりした瞳で微笑んだ。
「女王様の凛々しさが、我々の心を打ち砕くのです」
「その冷たい視線が、胸を締めつけるのです……♡」
「……なんだか、負けた気がしますわ……」
アリステリアは肩を落とし、テーブルへ戻った。 自分で淹れ直した紅茶を口に含む。 味は、静かで、優しい。 けれど背後からは、魔王と元聖女が「女王様、ありがたき静寂……!」などと唱和する声が聞こえてくる。
「うるさいっ!!」
ピシッという音がした。 静かだった午後に、再び鞭の風が鳴る。
「ふふっ、ありがとうございます女王様……」 「もっとお願いしますっ!」
「だから!私は!女王じゃ——ないってば!!」
春の村に響く、気高き公爵令嬢の叫び。
そしてまた一つ、紅茶のカップが揺れた。