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第16話

 村に静寂が戻ってきた——ように見えた。  しかしアリステリアの館では、明らかに異様な空気が漂っていた。


「女王様、こちらの紅茶をお試しくださいませ」


 メイド姿の元聖女ミレイユが、優雅にトレイを掲げて膝をつく。  その手には、湯気の立つアッサムティー。だが、彼女の目は潤み、頬はほんのり上気していた。


「私は女王ではありません。それに、紅茶はさっき飲みましたわ」


 アリステリアはそう言いながらも、手元のカップに残るミルクティーに目を落とす。……さっき注がれたばかりなのに、なぜもう二杯目を差し出すのか。


「お仕置き……おかわり、お願いできませんか……♡」


 ミレイユの顔が、恍惚と歪む。


「却下です!」


 紅茶カップをテーブルに置き、アリステリアはピシャリと断言した。


 その横では、魔王が正座していた。


「女王様、私もお仕置きを……」


「だから、私は女王じゃありませんってば!!」


 アリステリアは額を押さえ、深いため息をついた。


「そもそも、なぜ私の館にあなたたちが居座ってるんですの?」


「……あれほどの鞭の冴え、私はもう虜で……!」


「鞭を使ったのは戦闘中だけです!あれは戦術!趣味じゃありません!」


「むしろ戦術であることが尊いのです……」


「わかりませんわ、その思想!!」


 アリステリアは椅子から立ち上がると、窓の外を見た。  春の陽光が庭に差し込み、色とりどりの花が咲いている。遠くでは、子どもたちの笑い声が聞こえる——これが本来の、彼女が望んだ静寂だった。


 それが今ではどうだ。


 足元ではミレイユが「女王様の足跡にキスを……」と地面にしゃがみこみ、背後では魔王が「この庭を要塞化してお守りしますね」とか言い出している。


「ねぇ、あなたたち……」


 アリステリアは静かに言った。


「なぜ、変態しか寄ってこないんですの?」


 二人は顔を見合わせた。  魔王は頬を赤らめ、ミレイユはうっとりした瞳で微笑んだ。


「女王様の凛々しさが、我々の心を打ち砕くのです」


「その冷たい視線が、胸を締めつけるのです……♡」


「……なんだか、負けた気がしますわ……」


 アリステリアは肩を落とし、テーブルへ戻った。  自分で淹れ直した紅茶を口に含む。  味は、静かで、優しい。  けれど背後からは、魔王と元聖女が「女王様、ありがたき静寂……!」などと唱和する声が聞こえてくる。


「うるさいっ!!」


 ピシッという音がした。  静かだった午後に、再び鞭の風が鳴る。


「ふふっ、ありがとうございます女王様……」 「もっとお願いしますっ!」


「だから!私は!女王じゃ——ないってば!!」


 春の村に響く、気高き公爵令嬢の叫び。


 そしてまた一つ、紅茶のカップが揺れた。



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