十九歳になったばかりの
この日のために職人らが仕立てた豪奢な衣装は、藍白に染められた薄絹を幾重にも重ねたものだ。胸元には金糸で繊細な刺繍が施され、その周りには小さな翡翠が散りばめられている。腰には金絹を使用した華文模様の帯を巻いており、長身で均整のとれた清蓮の体躯によく映えていた。
今日の衣装は清蓮の柔和で慈愛に満ち溢れた顔立ちによく似合っていたが、見方によっては女性と見間違えてしまうだろう。清蓮は凛とした空気を胸いっぱいに吸い込むと、心地よい高揚感と緊張感が全身に広がっっていった。
「今日はいい日だ。間違いなく素晴らしい一日になる」
清蓮は側にいた侍従たちに語りかけたつもりだったが、一人の若者が勢いよく戸を開け意気揚々と部屋に入ってきたせいで、清蓮の声はかき消されてしまった。侍従の中には、この大事な時に何事かと眉間に皺を寄せる者もいたが、たいていの者は慣れた様子でその若者に一礼した。
若者も見知った侍従に軽く手をあげて応え、勢いよく長椅子に座ると、卓の上の清蓮の茶を一気に飲み干した。
清蓮は変わらず外の景色を眺めていたが、振り向かずとも誰が部屋に入ってきたのか分かっていた。
「
清蓮は親しみを込めた声で、その若者の名を呼んだ。清蓮にそう呼ばれた若者は侍従に茶を催促すると、背を向けたままの清蓮に話しかけた。
「いよいよだな」
「うん。いよいよだ」
清蓮は振り向くと笑顔で答えた。侍従の一人が新しい茶を清蓮と友泉に差し出すと、清蓮は無言で頷いた。それを合図に、そばに控えていた侍従たちは部屋を辞した。控えの間には、清蓮と友泉の二人だけとなった。清蓮は友泉と向かい合って座ると、茶を一口飲んだ。
清蓮の目の前にいる友泉は、清蓮の幼馴染で、共に学問・武芸を学んだ同門の友であり、清蓮の唯一無二の親友でもある。精悍な顔立ちと堂々とした体躯の持ち主で、一見すると近寄りがたい雰囲気を漂わせているが、破顔一笑、笑うと子犬のような人懐っこい笑顔を見せる青年だ。
友泉は
「で、どうだった? 」
清蓮は演舞場の様子を知りたくて、友泉に頼んで見に行ってもらっていたのだ。友泉は茶を一気に飲み干すと、演舞場に漂う熱気と興奮を清蓮にこと細かに伝えた。
「一階はお前が望んだ通り、市井の人たちで埋め尽くされてるよ。始まる前からみんな興奮して。ま、演舞場に来るなんて、一生に一度あるかないかのことだからな。そういえば、茶菓子なんか振る舞われてたな。まったく子供ならともかく、大人に茶菓子だなんておかしいと思わないか? こういう祝いの席は昔から酒って決まってるだろうに!」
「ははっ。お酒が飲みたいのは君だろう? 仕方ないよ、
「なるほどな、いつかのお前みたいに、絡まれるのも困るしな」
「それは言わないでくれ。君には悪いことしたと思ってるんだから」
「ははっ、冗談だよ、冗談。ちょっと言ってみただけさ! 全然気にしてないしな。まぁ、なんにせよ、お前の希望通りになって良かったじゃないか」
友泉は長椅子乗せに寄りかかって両腕を頭に回すと、くつろいだ様子で天井を見上げた。
「うん。みんなには本当に感謝している」
成人の儀は友安国建国以来、王族など、ごく限られた者だけが参列を許される儀式であり、それは破られることのない慣例として脈々として受け継がれてきた。
それが無間川の氾濫、疫病の終息から三年たち、改めて成人の儀を執り行うことになった時、清蓮は是非とも人々にも見てもらいたいと国王に嘆願した。なんてことはない。清蓮はどうせお祝いするなら、みんなでお祝いしようという、なんとも楽観的な考えで提案したのだ。
国王をはじめ、ほとんどの者が呆れていたが、清蓮はことあるごとに国王を説得し続けた。幸い、国王の弟であり、清蓮の叔父でもある
当日、演舞場に招かれたのは財を成し身元の保証された者とその家族であった。清蓮は身分を問わず招き入れたいと考えていたが、誰も彼もといかないことも分かっていた。多少の妥協はともかく、それ以上に清蓮は市井の人々と一緒にこの喜びを共有できることの幸せを噛み締めていた。清蓮はみんなが喜んでくれるだろうと考えるだけで自然に頬が緩むのであった。
それを見た友泉は清蓮の嬉しさが伝わったのだろう。「良かったな」と自分のことのように言ったが、そのうち、にやにやしながらこうも言った。
「それにしても、お前罪つくりだな……」
清蓮はなんのことやらと首を傾げる。
「いい加減少しは自覚しろよ。今日のおまえはーーまるで傾国の美女じゃないか!」
清蓮は目を丸くして驚いた。
「傾国の美女? ははっ……君は大げさだよ。私は男だよ、どこから見ても」
友泉はいやいやと首を横に振る。
「ここに来る間に、みんながどれだけお前のことを噂していたと思う? 女どもはお前目当てで色めきたっているし。男どものなかにも……」
最後は冗談とも本気ともとれない言葉で清蓮を揶揄った。
「まったく、勘弁してくれ……」
清蓮はなんとも言えない表情で友泉の言葉を受けとめた。清蓮は自分の容姿に対して自覚がないわけではなかった。周囲の反応も知らないわけではなかった。
それでもなお、清蓮は自分の容姿に絶対の自信を持っているわけでもなかった。清蓮は若かったが謙虚と言うか、どこか年寄りじみていると言うべきか、奢り高ぶるといったことから無縁であった。
清蓮はただ両親から受け継いだものをありがたく受け入れているだけだった。清蓮は穏やかに気の置けない友人に言った。
「私はね、みんなと一緒にお祝いできればそれでいいと思っているんだ。今日という日が無事に終わればいい。それだけだよ」
清蓮は立ち上がると侍従たちが再び部屋に入ってきた。清蓮はもう一度鏡の前に立つと、侍従たちが甲斐甲斐しく衣装を整えた。すべての準備が整うと、清蓮は鏡に映る自分を見つめた。そこには凜とした姿で佇む友安国の皇太子がいた。
「そうだな。おまえなら上手くやれるさ」
「うん。ありがとう」
友泉は清蓮の肩を軽く叩くと、部屋を後にした。清蓮はその後ろ姿を見送ると、鏡に映る自分を励ますように大きく頷いた。