イノセンティオはゆっくりと石畳の路地を行く。
マニラの市街地。
イントラムロスと呼ばれる地域はまるで小さなスペインの街角を主起こさせた。
石造りの教会や大聖堂。それはすべて本国風の建築様式が取り入れられていた。少し蒸し暑いのを無視すれば、本国と何ら変わるところがない風景である。
しかし、街を一歩出るとそこは南国の世界である。
かつては先住民が住んでいた地域も、今はスペインの侵略により無人の集落と化していた。
スペイン人の農園主が先住民を追い出し、入植を始めている。中には先住民を労働力として使っている農園主もいるらしい。ほとんどは奴隷同然の強制労働であるが。
路地の奥まったところにある集合住宅。石造りのそれはローマ帝国時代のインスラを感じさせた。
階段を登っていく。
そこに目当ての人がいるのだ。
黒い扉。これが入口らしい。何度かノックする。中から「ポルファヴォール」と女性の声がする。
イノセンティオ身だしなみを整えて入室する。
石造りの部屋。床には一面に本や書類が散乱していた。
その奥には小さなベランダが港に向かって、空を開いていた。
その縁にちょこんと座る少女の姿。
足を組み、イノセンティオには一別もくれずに窓から港の方を見つめていた。
「突然の訪問、失礼する。私の名はイノセンティオ=デ=アンダ。アンダルシアの騎士だ。現在はマニラ騎士団で副騎士団長を勤めている」
短くはあるが、丁寧なそして相手に対して敬意を込めたイノセンティオの挨拶。
それに対して少女は応えるように、ベランダの縁から降り立ちイノセンティオのほうを向く。
「ソイラ=アカイ。伊達家家中、赤井憲実が娘だ」
(ダテ......?)
その名前をイノセンティオは頭の中で探す。どこの君侯であろうか。少なくともスペイン本国にも新大陸にもない名前である。
それを察したか、ソイラという少女は説明する。
「伊達様は日本の奥州の領主だよ。あわせて江戸幕府の副国王でもある」
日本、江戸幕府。当然イノセンティオは知っている。かつてはスペインと友誼を結び貿易などでも関係が深かった。かつては、だが。
「日本人......伊達......」
何度か反芻するイノセンティオ。記憶の欠片が頭の中で組み合わさっていくのを感じた。
「もしかして、ヌエバ・エスパーニャにやって来た日本の使節か?もう十年以上前になるが」
ソイラはその言葉に、ぱあっと表情を明るくする。
「知ってるの?」
「その当時、ヌエバ・エスパーニャにいた。まだ騎士になりたての頃で遠巻きにしか見れなかったが」
「その話を教えてくれる!」
今まで冷めた反応だったソイラが、突然積極的になるのをイノセンティオは感じた。