「お嬢様、少し失礼しますね」
「ええ」
「痛みますか?」
「大丈夫よ」
傷口に薬草を塗られ、包帯でぐるぐる巻きにされながら、私は今後の身の振り方を考えていた。
前世の知識によると、悪役令嬢ナタリー・ピエールの性格は、最悪だ。
屋敷では、両親に我がまま言い放題、使用人たちをこき使い放題。
現在通っている中等魔法学園でも、来年から入学することになる高等魔法学園でも、ピエール公爵家の令嬢と第一王子パトリック・ディディの婚約者であるという二つの肩書を使って好き放題。
先生相手だろうが生徒相手だろうが、関係ない。
自分にすり寄って来る人間を下僕のように扱い、自分にすり寄って来ない人間を敵と認定し、いびり続ける日々。
権力に守られた安全圏から学園を支配する、完全な悪として君臨することとなる。
しかし、高等魔法学園において転機が訪れる。
平民出身のヒロイン、サナの入学だ。
強い選民思想を持っているナタリーは、サナを高等魔法学園に相応しくないと考え、当然のようにいびり続けることになる。
だがサナは、そんなナタリーの行動を生まれながらに特権階級にいる人間故の苦しみから来るものだと考え、自分をいびってくるナタリーを理解しようと言葉を紡いだ。
今まで、ナタリーという存在に怯えるだけだった生徒たちは、余りにも優しいサナの言葉に、そして行動に、サナを聖女のように崇め始める。
そしてサナの行動は、王族としての使命にしか興味を示さず、ナタリーの横暴を放置していたパトリックにも届いた。
王子という立場上恋愛を諦め、ナタリー以外の女を知ろうともしなかったパトリックは、サナのことを知る度にサナへ恋心を抱き始め、同時にナタリーの振る舞いに明確な嫌悪感を示すようになる。
乙女ゲームの結末では、パトリックはあらゆる地位を捨ててでもサナを守るという覚悟を決め、サナの敵であるナタリーを破滅させるため、ナタリーの罪を白日の下に晒した。
王子が敵に回れば、ナタリーと言えどただでは済まない。
自身の破滅を恐れたナタリーは、両親に、使用人に、生徒たちに、自分の周囲にいる人間へ片っ端から助力を求めるが、過去の横暴さ故に誰一人としてナタリーの味方につく者はおらず、それどころか余罪がさらに溢れ出てしまう結果となった。
因果応報。
完全に孤立したナタリーは、貴族位を剝奪されたうえで国外追放となり、輝かしい人生から一気に転落してしまう。
その後は、ご都合主義的にサナとパトリックがひっついたり、ナタリーがいなくなったピエール公爵家が発展したり、ナタリーにいびられていた使用人たちが全員幸せな未来を歩んだりと、エンディングを迎えることになる。
不幸になるのは、ナタリーただ一人。
そしてそれが、私の未来。
「絶対嫌よ!」
「ひゃっ!? お、お嬢様、申し訳御座いません!」
「あ、ごめんなさい。独り言よ。気にしないで」
「え!? あ、はい!」
思わず叫んだことをフランに謝り、私は破滅しないための作戦を考える。
幸い、ゲーム本編が始まるまで、まだあと一年ある。
今からなら、まだ破滅を回避することも可能だろう。
まず私がやるべきは、嫌われに嫌われまくった今の状況を、どうにかすることだ。
私に無関心なパトリック様に私を好きになってもらい、フランたちも万が一の時には私を庇ってくれるくらいには好感度を上げておかなければならない。
「ふ……。ふふふふふふふ」
「お、お嬢様?」
「あ、ごめんなさい。思い出し笑いよ」
「あ、はい」
状況は、なかなかに絶望的だ。
でも、私には秘策があった。
前世の知識を活かした、皆の好感度を上げることができるウルトラシーが。
そう、お菓子作りである。
古今東西、恋人との仲を深めるのも家族との絆を深めるのも、美味しいご飯と相場が決まっている。
どんなに頭が良い人だろうと、どんなにお金を持っている人だろうと、胃袋さえ掴んでしまえばもうおしまい。
食の魅力には抗えない。
そして、私の前世の趣味は、お菓子作りだ。
「で、できました。お嬢様」
「ん。ありがとうね、フラン」
「え!? い、いえ! とんでも御座いません!」
私はフランに丁寧にお礼を言い、椅子から立ち上がった。
お礼なんて、今までのナタリーであれば絶対に言わなかっただろうが、これからは積極的に言っていく。
使用人たちからの信頼回復の第一歩だ。
そして、鏡で血が完全に止まっていることを確認した後、私はさっそくウルトラシーを実行するための行動を開始する。
「フラン、今日って何曜日だっけ?」
「はい。金曜日で御座います」
この乙女ゲームは、前世の日本と同じ曜日システムを採用している。
ゲーム発売日、中世ヨーロッパ設定なのにというレビューが至る所についたし私もそう思ったが、ゲーム会社の言い分は「あえて現実の要素をいくつも混ぜることで、ユーザーの皆様にわかりやすいようにしている」とのことだった。
当時は釈然としなかったが、転生した今ならむしろ助かる。
時間管理も、食材の種類も、前世の私の知識が大いに活かせるのだから。
「金曜日ってことは、今日はパトリック様がいらっしゃる日よね?」
「はい。本日はご公務で遅れるようで、夕方にいらっしゃると連絡を受けております」
「こうしちゃいられない。調理場へ行くわ!」
「調理場?」
意気揚々と歩き始める私の後ろを、フランが不安そうについてくる。
過去を振り返っても、ナタリーが調理場に足を踏み入れたことなど、食事直後にご飯への文句を言う時だけだ。
「あ、あのー、お嬢様」
「何?」
「調理場で、一体何を」
「お茶会用のお菓子を作るのよ」
私の提案に、フランは目を丸くして驚いた。
「お茶菓子でしたら、いつも通り最高級の物をシェフが用意しておりますが」
「それじゃあ、意味がないじゃない! 私が自分で作るのよ!」
「お、お嬢様が!? ご自分で!?」
「そう、手作りよ手作り! フラン、貴女にもご馳走してあげるわ」
昨日とは違う私の行動に、フランはずっと驚きっぱなしだ。
私が調理場に入ると、シェフも目を丸くして驚いた後、フランと同じ説得をしてきた。
が、私はどうしても自分で作りたいと、我儘を通した。
「お願い! どうしても自分で作ったお菓子で、パトリック様を喜ばせたいの!」
「ひっ!?」
精一杯乙女ぶった上目づかいで頼んだら、シェフは小声で驚いた。
ああ、どんな表情を作っても睨むような顔になってしまう三白眼が憎い。
しかし、私の誠意だけは伝わったようで、シェフは私を調理場の奥へと招き入れてくれた。
「必要な物があれば、なんなりとおっしゃってください」
「ありがと」
シェフは、私の邪魔にならないように背後に立って、私の行動を見守っていた。
シェフは私の料理の腕を知らないし、調理場はシェフにとって自分の城だ。
私が何かしでかさないか不安なのだろう。
私はフランにエプロンを付けてもらい、ドレスの長い袖が邪魔だったので腕まくりをして気合いを入れた。
この世界に、前世と似た食材があるのは、乙女ゲームの知識で確認済みだ。
「クッキーなんてどうかしら? 定番中の定番だけど、最初の手作りお菓子としてはピッタリよね」
クッキーは、前世の私が得意とするお菓子の一つだ。
なにせ、ナタリーとして生を受けてからは初めての手作りだ。
訛った腕を戻すためにも、丁度いいだろう。
「クッキーですか。お茶にもあってよいと思います。しかし、お時間の方が」
現代には、ミキサーやオーブンのような便利家電はない。
よって、材料を混ぜるのにも時間がかかるし、火の準備にも時間がかかる。
パトリックが来るまでの数時間で完成できるかは、正直怪しい。
もっともそれは、普通の人間がやれば、である。
「魔法で時短するから平気よ!」
だが、私には魔法がある。
高貴な血の流れる貴族だけが持つ特別な力。
風を使って混ぜるも、人を放って燃やすも、朝飯前だ。
自信満々の私を、シェフは未だに不安半分残したような表情で見ていた。
その不安も、行動で取り除くしかないのだろう。
私は胸を張って、シェフの方を見た。
「大丈夫! 私を信じて! 絶対に大丈夫だから!」
「……お嬢様が、そうおっしゃるのならば」
私の説得を諦めただろうシェフは、覚悟を決めた表情で私を見た。
「じゃあ、今から言うものを準備してくれる?」
「なんなりと。ここには、大抵の食材が揃っております」
シェフが自慢げに調理場を見渡す。
箱と言う箱の中には食材や保存食がみっちりと詰められており、シェフの言葉の正しさを証明してくれる。
「まずは、小麦粉を用意して頂戴」
「はい、こちらに」
「砂糖……は、つまんないか。蜂蜜を用意して頂戴」
「はい、こちらに」
シェフが、豪語するだけのことはある。
私の欲しいものが、次々と私の目の前に置かれていく。
さすがは、貴族の屋敷といったところだろう。
「バターはある? なければ、オリーブオイルでもいいわ」
「もちろん、御座います」
「最高ね! じゃあ、カカオ」
「はい、こちらに」
「後、唐辛子」
「はい、こちらに…………唐辛子?」
「隠し味よ! 甘いものに辛い物を入れると、甘さが引き立つの! 後、干し肉!」
「お嬢様?」
「これだけだと、体に悪いかしら? 薬草も何枚か持って来てくれる?」
「お嬢様?」
「ひらめいたわ! 隠し味の隠し味に、キャビアとトリュフとフォアグラなんてどうかしら? パトリック様はいつも高級なご飯を食べていると思うの。それに負けないくらい、高級な味も出さなきゃ!」
「お嬢様あああああああ!?」
後半、なんだか調理場の中が騒がしくなっていた。
ちょっと、食材を使いすぎてしまったのだろうか。
クッキーが完成した後、お父様に食材の補充をお願いしておこう。
私のせいで、シェフが作りたい料理を作れなくなるのは嫌だし。
「さあ、さっそく作るわよ。まずは風の魔法で、材料全部混ぜます!」
「お嬢様あああああああ!? 私の声が聞こえてますかあああああああ!?」
集中モードに入った私には、もう周りの声なんて届かなかった。