川遊びを終え、三人は上流へと向かった。
隠れ家の裏手。鬱蒼と木々が生い茂る森というべきか、山奥というべきか。トールの部屋のように整えられたものではなく、本物の自然が広がっている。
かなりきつめの勾配で、獣道でもあれば、まだマシなほう。
植物は好き勝手に伸び放題で、視界も悪い。
ただ、森こそホームグランドであるエルフやダークエルフ。そして、《旅行》と《耐久》のルーンで強化した靴を履くトールにとっては平地を進むのと変わりなかった。
「ふっ。飛んで火に入るだな……」
アルフィエルの視線の先。茂みの向こうには、ウサギが三羽向かい合っていた。縄張り争いなのか、それともメスを奪い合っているのか。
威嚇し合っており、他に注意は向いていない。
アルフィエルは視線を外すことなく、採集袋からいくつかの素材を握った。
蝶の苔、シェイドの樹液、サンドベリー。
手つきは無造作だが、レシピ通りの分量を、手の中で配合する。
「創薬、《子鬼の太陽》」
そこにアルフィエルが魔力を通し、白く輝く粉薬がひとつかみ完成した。
「ご主人、トゥイリンドウェン姫、離れていてくれ」
創薬術の技で、その場で作り上げた眠り薬。
注意をすると同時に、ウサギたちの中心へそっと吹きかけた。
即効性なのか。それとも、体が小さいためか。風に乗った粉薬が到達すると、ウサギたちは一羽残らず、こてんと気を失う。
「まあ、こんなものだ」
眠りこけたウサギを順番に締めながら、アルフィエルは自慢げに言った。
「鮮やかというか、なんというか。朝飯の鳥も、そうやって捕ったのか?」
「いや、あれは投石で仕留めたぞ」
「投石」
メイド服姿のダークエルフの美女から言われると、違和感しかない単語だった。
「おっ、これは香辛料の代わりになるな」
「創薬術も習っておくべきだったかな」
作業を終えたアルフィエルが、今度は採集に勤しむ。
トールは、感心しかなかった。サヴァイヴァリティがとんでもない。
「それは困るぞ。自分の仕事がなくなってしまう」
「大切ですよね、役割分担」
「リンが言うと、ものすごく切実に聞こえるな」
三人は、再び山道を登り始めた。
しばらくして、トールが不意に口を開く。
「そう言えば、温泉とか出てこないかな、温泉」
「自分が見て回った範囲では、それらしきものはなかったな。まあ、鳥は森の浅いところで取れたので、奥までは入っていないのだが」
創薬術の素材なのだろうか。木の根元に生えていた白いキノコを採取しながら、アルフィエルが答えた。
採集袋には先ほど仕留めたウサギも数羽入っているため、ずっしりと重たい。
家風呂とは別に、温泉の露天風呂でもあれば最高だな。
その程度の認識だったトールが、アルフィエルの言葉で現実を見せられた格好だ。
「う~ん。隠れ家からあんまり離れた場所だと、見つかっても扱いに困るな……」
トールも立ち止まり、スケッチブックに素早く森の風景を書き写していく。
背景の資料であれば写真で充分なのだが、スマートフォンは動かなくなって久しい。記憶に留めるためにも、手を動かすしかなかった。
リンは、思い思いに動くトールとアルフィエルを眺めながら、静かに微笑んでいる。一緒にいられるだけで満足と、その表情が物語っていた。
ちなみに、今のところ、まだ一度も転んではいなかった。
「なんなら、自分が家まで温泉を運んでも構わないぞ。もちろん、見つかったならの話になるが」
「それもどうなのか」
ルーンで補助をすればどうにかなりそうだが、人として、それはいかがなものか。
かといって、トールが運ぶと言っても許してもらえそうにない。
「気にすることはないが……。それに、温泉となると、硫黄か……」
「……そうか。火山が近くにないとダメなのか」
再び現実を直視させられたトールだったが、あっさりと気にしないことにした。
「でもまあ、火山も地震も俺の故郷じゃその辺に転がってたし」
「ご主人のふるさとは、魔境かなにかなのか?」
「トールさんの故郷は、聞けば聞くほど不思議なんですよね~。1000年以上続く国の祭祀を司る皇族が国家元首なのに、神も魔法もモンスターも実在しないって言うんですから。どういうことなのか、さっぱり分からんちんですよ!」
「それは、その皇族が神秘を隠匿し、秘密裏に処理しているのではないだろうか?」
「あっ、なるほど。昔は、そういう国もあったと聞きますね~」
「仕方ないだろ、事実なんだから!」
まともな反論もできず、トールは逆ギレするより他になかった。ファンタジーから同類扱いされる祖国の偉大さが身に染みる。
「日本……俺の故郷の話はいいんだ。それより、この辺にモンスターとかいそうか?」
「今のところ、気配は感じません!」
「ああ。痕跡を確認しているが、いても熊ぐらいが精々だろうな」
二人の報告を聞いて、トールはほっと胸を撫で下ろす。
対処はできなくもなかっただろうが、いないに越したことはない。ゲームの話ではないが、家を出たら巨人がいた……などというシチュエーションはごめんだった。
本格的に、引きこもるしかなくなってしまう。
「よくよく考えたら、うちのウルヒア兄さまが、危険な場所への移住を認めるはずがなかったです」
「ほう。トゥイリンドウェン姫の兄君か」
「はい! ウルヒア兄さまはトールさんのことを、とてもとても大切に思ってますから!」
「ほう……。そこ、詳しく聞きたいところだな」
「おいこら、リン。誤解を招く言い方は止めろ」
ただ単に、国益を考えトールの引退を嫌がっただけだ。
まあ、トールの存在以上の国益を与えたことで、無理矢理黙らせたのだが。
それほどに、トールの師が丸投げした計画は重要だったのだ。
「だって、ウルヒア兄さま。トールさんがいないところだと、トールさんのことべた褒めしてましたよ?」
「それ、知りたくない情報だなー」
リンの兄だけあって、ウルヒアは美形。その上、王族特有の気品まで兼ね備えていた。
ところが、性格は正反対で、きつめ。結構当たりがきつかった。
そんな相手が影でツンデレしていたと聞いて、喜ぶ趣味をトールは持ち合わせてはいない。
「そうか。それで、ご主人は自分の誘いに乗らなかった――」
「理性の存在を信じようぜ!?」
「はっ!? ウルヒア兄さまに取られるのはあれですが、そうなったらそうなったで、トールさんが兄さまになるので、私としてはお得なのでは……?」
リンは自分の言葉で混乱していた。
「あー。もう、先に行くぞ」
なにを言っても届きはしないだろう。
トールはスケッチブックを閉じると、二人を置いて早足で進んでいった。《旅行》のルーンが刻まれた靴は、とんでもないスピードで着用者を運んでいく。
「ご主人、一人は危険だぞ」
「待って下さい、トールさん……あうばぁっ」
「しまった。リンが転けると分かっていながら……」
スケッチブックを片手に、慌てて二人の元に戻るトール。
だから、気付かなかった。
途中で、アミュレットに刻んでいた《破幻》のルーンが反応したことに。