「お待たせした」
どんっと、大皿に盛られたウサギの肉。
大きな骨は取られ食べやすいサイズにはなっているが、置いた瞬間リビングのテーブルが震えるほどの重量。
こんもりと山のようになっているそれが、二皿。恐らく、一皿で一羽分なのだろうが、ビジュアルがすでに圧倒的だ。
「ウサギは小骨が多いので、気をつけてくれ」
しかし、アルフィエルはいつも通り。
「岩塩と、さっき見つけた香辛料に、山わさびを用意した。粗野な料理で申し訳ないが……」
「充分ですよ、充分。なんか気取ったソースは食べ飽きてますもんね?」
「料理長さんが泣くぞ。実際そうだけど」
手の込んだ料理は、エルフの宮廷で毎日食べてきた。それが懐かしく感じる日も来るだろうが、今はこっちがごちそうだ。
「それならいいのだが……冷静に考えると、ダークエルフの自分がエルフの姫君に手料理を振る舞うとか、どういう状況なのだろうか?」
今さらだった。
アルフィエルは、その他に、岩魚をぶつ切りにし、野菜と煮込んだスープも用意。トールとリンが汗を流す間に仕上げたとは思えなかった。
それから、食卓にはグリフォンが運んで来たエルフ宮廷のパンもある。バゲットタイプのそれを切り分け、自由に取れるようにした。
「パンは私が切りました!」
「器用に切るので、少し驚いたぞ」
「私は、切ることしかできませんから……」
「人斬りかっ」
それはともかく、いただきますもそこそこに、箸――トールだけは、実際に箸を使っている――を伸ばす。
「二本の棒で、器用に食べるものだな」
「慣れれば、フォークよりも便利だからな」
「ううむ」
「とりあえず、塩でいくか」
日本にいた頃は、焼き鳥や天ぷらを塩で食べる連中を意識高い系と鼻で笑っていた。なにが素材の味だ。料理を馬鹿にしているのか。たれや天つゆのほうが美味いに決まっている。
それは今でも変わっていないが、塩には塩の良さもある。
ウサギ肉は、余熱で火が入ることも計算した絶妙な焼き加減だった。
鶏肉に近い感じの肉質で、もちもちとしてジューシー。独特の風味もあるが、逆にアクセントとなって箸が進む。
岩塩との相性も抜群だ。
「山わさびも、いいですね!」
「ワインとも合うと思うぞ」
トールが適当に見繕って持ってきたワイン――当然、高級品――は、濃厚な深みがありながら飲みやすく、風味を邪魔することがない。
「ふう……。確かに、合わせて飲むと美味しいです」
あまりアルコールに強くないのか。リンの顔がわずかに赤く染まる。
頬に手を当て艶然と微笑むその姿には、王族らしい気品と、そこはかとない色香が漂っていた。
普段とのギャップに、思わずどきりとさせられる。
その事実をごまかすようにして、トールはスープに手を伸ばした。
一口啜ると、暖かな滋養が全身に染み渡る。骨や野菜からしっかりダシが出ており、これまた美味い。
滋味溢れるとは、こういうことなのだろうと思わせる。
「アルフィは、マジで料理上手だな」
「ふっ。褒めるのは、本採用になってからにしてもらいたいな」
「くっ」
得意げな、ダークエルフの少女。
しかし、トールとしては、もはや試用期間で終わりにするつもりはなくなっていた。
それを今告げないのは、意地のようなもの。何歳になっても意地があるのだ、男には。
そのアルフィエルは、自分が調理した料理よりも、グリフォンが運んで来たパンに興味津々だった。
「おおっ。さすが宮廷で食べているパン。柔らかくて甘みがあるな」
うまい、うますぎると、パンだけ口に運ぶアルフィエル。スープに漬すなどもったいないと、その食べっぷりで語っていた。
「これは確かに、自分が焼くよりも美味い」
「それじゃ……っっ」
「ステイ。落ち着け、リン」
思わずテーブルから身を乗り出そうとしたリンだったが、トールの言葉だけで落ち着いた。完全に、条件反射。
もはや、それを当然のことと処理し、トールもパンに手を伸ばす。
「食べ慣れた、いつもの味って感じだな」
「え? お袋の味ですか?」
「そこまでは言ってない」
けれど、トールが喜んでいるのは確か。
となれば、リンにやる気がみなぎるのは、もはや当然。
「トールさんのお役に立てるのであれば、例え火の中、水の中。ありとあらゆる艱難辛苦を乗り越え、必ずお届けします。届けてみせます!」
「水の中は避けてくれ。具体的には、雨の日とか」
「大丈夫ですよ。こう、雲の上まで飛んで、一気に急降下すればいけます!」
「それ、グリフォン平気なのかよ?」
気圧とかで、大変なことになるのではないか。それ以前に、そんな高さまで飛べるのか。そして、急降下爆撃を受けるこの家は大丈夫なのか。
懸念は山ほど……いや、不安しかない。
「そこは、ご主人のルーンでどうにかできるのではないか?」
「……《耐圧》に《飛翔》で? いや、単純に《防水》でいいのか」
「できるのか……」
本当にどうにかできるらしいと聞いて、アルフィエルは感心とあきれがブレンドされた表情を浮かべた。
「自分で振っておきながらなんだが、本当にルーンは。いや、ご主人は万能だな」
「万能なんかじゃないさ。できることだけ」
当たり前のことを言っただけだが、なぜかトールは妙に満足気。
直後、その得意げな顔が、棚から聞こえる振動音で真顔になった。
「……っと、ウルのやつ、また通信の魔具を鳴らしてやがる」
「エイルフィードの弓を気軽に扱うご主人に言うことではないが、あれはかなり高価なのではないか?」
「高価というか金を出して買えるもんじゃないな」
通信の魔具は、映像と音声を復元可能な形式に変換して魔力波に乗せ、もう一方の魔具で展開する仕組みをしている。
特定の一組でしかやりとりはできないが、魔力が存在する限り距離は問題にならない。また、改良が重ねられ、現在はほとんどタイムラグなしにやり取りが可能となっている。
というとメリットばかりになるが、値段が付けられないほどの貴重品。
構造が複雑で、作成できる
「それを、ぽんっと送って寄越したのか……」
「よし。ウルのことは、忘れよう」
実のところ、トールほどの刻印術師にコンタクトを取れるのであれば、通信の魔具を贈っても損はない。
まあ、着信に出てもらえないと、話もなにもないのだが……。
「しょーでひゅね。うるひゃーにいひゃまは、どーでもいいんれふ」
「いつの間にか、ろれつが回らなくなっていらっしゃる!?」
トールとアルフィエルが言葉を交わしている間に、グラスを重ねていたらしい。見れば、ワインのボトルが空になっていた。
それだけでなく、ウサギのグリルも一皿――つまり、半分――姿を消していた。
「この小さな体のどこに入っているのか……」
「リンだから、細かいことを気にしたら負けだぞ」
「えへへ……。おとまり、うれしいれふゅ……」
戦慄する仮主従を余所に、食べて飲んだリンがテーブルに突っ伏す。
まるで、子供のようだ。
「今日は、はしゃいで疲れたのだろう」
「これ、元々、帰れたかどうか分からなかったな……」
やれやれ仕方ないとリンを見つめる二対の視線は、暖かな慈愛に満ちていた。
「ほら、トゥイリンドウェン姫。寝るのならば、ベッドでだ」
「むにゃ……」
「着替えもせず、歯も磨かず眠るなど、創薬師の自分が認めるなどと思わないことだ」
アルフィエルがリンを立たせ、洗面所へと移動していく。
トールは余計な手出しをせず、ダブルエルフを見送った。
こうして、引きこもりライフの一日目は幕を閉じる。
……には、少しだけ早かった。
「そういや、白いご飯と酒は別々だけど、ワインとパンは一緒に飲むよな。キリストの血と肉だからか?」
そんなどうでもいい疑問をもてあそんでいると、しばらくして、リンを寝かしつけたアルフィエルが戻ってきた。
「今戻った」
「お疲れ様」
「問題ない。眠たいトゥイリンドウェン姫は手がかからなかったぞ」
トールは新しいワインを開けて、ダークエルフの少女を労う。
どうも、メイド服を着ていても、ご主人と呼ばれても、使用人という感じがしない。では、なんなのかと問われると、それはそれで困るのだが……。
「ご主人」
それを一息で空けると、アルフィエルはトールを正面から見据える。
なんとなく圧力を感じて、トールは背筋を伸ばしてしまう。
「ご主人は嫌がるだろうが、自分は本当に感謝している」
「ああ、うん……」
「命を救ってもらったことも、この家に置いてもらうこともそうだが……」
「まだ試用期間だぞ」
「うむ。試用期間だった」
意地を張るトールに微笑みかけながら、アルフィエルは続ける。
「ご主人のお陰で、自分は誰かの悪意で押しつぶされることはなくなった。それは、感謝してもしたりない」
「……うん」
なにか気の利いた言葉を返したかったが、なにも出てこなかった。あんなにたくさん読んだマンガも、ゲームも、アニメも役に立たない。
「俺も、まあ、アルフィエルがいてくれて良かったと思っているよ」
出てきたのは、そんなピントのずれた言葉。
だが、それで良かった。
そもそもアルフィエルは返事を求めていなかったようだし、今の満足そうなダークエルフの少女を見れば明らかだ。
「ちなみに、ご主人。一応言っておくと、トゥイリンドウェン姫はなにが起きても目が覚めそうにないほど、よく寝ているぞ。ルーンのお陰でな」
「台無しだ!?」
耳を忙しなく動かし、意味ありげな視線を送るアルフィエル。
渋い表情で、その視線を振り払うトール。
こうして、移住二日目の夜はふけていった。