目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第一部 生活編

第一話 まったく、ご主人はメイドの仕事をなんだと思っているのだ

 前触れなく、トールは目覚めた。


 最初に飛び込んできたのは、見知らぬ天井……というか、森だった。どこからか吹く風が木の葉を揺らし、その葉や枝で遮られた柔らかな光が覚醒を促す。


 熱くもなく、寒くもない。気持ちの良い目覚めだ。

 けれど、少なくとも、ここが建物の中には見えなかった。


 まさか、また異世界転移をしてしまったのか?


 覚醒直後で、頭が回らないトール。昨日のことすら、思い出せない。


「おはよーございます、トールさん!」

「ぐはっ」


 そのトール目がけ、リンが降ってきた。

 思い切りよくジャンプし、手足を広げてトールへ落下。他に表現のしようもないほどシンプルで、とびっきりの異常現象。


 いくら軽いリンでも、勢いがつけばかなりのもの。

 干し草のベッドは大きくたわみ、トールの体ともども、くの字を描く。


「トゥイリンドウェン姫、どくんだ」

「アルフィ……」

「次は自分の番だぞ」

「普通に起こそうぜ、普通に」


 だが、その衝撃と続く言葉でトールは完全に覚醒した。

 リンをどかしつつ、トールは上半身を起こす。癖で髪をかき上げると、きょとんとするリンの姿が目に入る。


「そうか……」


 トールは、完全に思い出した。


 夢でも幻覚でもなければ、夢遊病になって外に出たわけでも、どこかの森へ転移されたのでもない。


 ここが、トールの部屋だった。


 そして、今日から引きこもり生活が始まるのだ。


「ふああぁ……。おはよう、リン、アルフィ」

「おはよーございます!」

「おはようだ、ご主人」


 あくびを漏らしながらのトールに対し、リンもアルフィエルもしゃきっとしている。《安眠》のルーンのお陰だろうか。特に、エルフの末姫は二日酔いもしていないようだ。


「それにしても、もう少しまともな起こし方はできなかったのか?」

「だって、声をかけても起きなかったですし……。それに、トールさん。宮廷にいた頃は、私より全然先に起きてたじゃないですか」

「まあ、仕事があったからな……」

「だから、ずっと起こしてあげたいなって思ってたんです」

「うっ……。でも、ボディプレスはちょっとなぁ」


 リンの告白に、トールがたじろいだ。できれば止めて欲しかったが、健気さを前にすると邪険にもできない。


「そう言うな、ご主人」


 そのタイミングを見計らっていたかのように、アルフィエルがフォローに入った。


「トゥイリンドウェン姫は、最初、口づけでご主人を目覚めさせようとしていたのだぞ」

「そういや、リンにも茨姫の話をした記憶があるような、ないような……」

「はっ。あうわっ。アルフィエルさん、それは秘密だったはずでは!?」

「うむ。この三人だけの秘密だ」

「あっ。それなら問題ないですね……」

「ないのかよ」


 冷静にツッコミつつ、トールは無意識に指で唇を触れる。

 危ないところだった……。


「わ、私などがトールさんのファーストキスを頂戴するなど不遜。思い上がりもはなはだしいとは思ったのですが、ぬわわっ。そのもう、なんかふわふわっとして、私の中の天使が、やるならやっちゃえキスしちゃえとですねっ。悪魔のほうは、やるならやるで、もうちょっとシチュエーションを整えろって言ってたんですが!」

「天使、役に立ってねえ。あと、悪魔ちょっとロマンチストじゃねえか」


 お泊まりという状況で、無闇にテンションが上がっているのかもしれない。それで、リンは良くないハッスルをしそうになったのだろう。


 いや、それよりも。


「ファーストキスだって決めつけた根拠はなんなんだ?」

「え? 違うんですか?」

「なんでリンがそんなにショックな顔してるんだよ」


 目をこれ以上ないほど見開き、干し草のベッドからずり落ちそうになっているリン。仮面の男から、私がお前の父親だと告白されたぐらいの衝撃を受けていた。


「まさか、姉さまの誰かがすでに? それとも……?」

「安心しろ、トゥイリンドウェン姫。あの大げさな反応からすると、まず間違いなく図星だ」

「良かった……。世界は救われました」

「勝手に、グローバルな問題にするの止めような!」


 ファーストキスの相手ぐらい、自由に選ばせて欲しい。別に、リンとなにか特別な関係があるとか、そういうわけではないのだから。


 と、トールは思う。思うだけで口には出さないし、もちろん、すでに済ませていなければの話なのだが。


「とにかく、起こすのなら普通に起こすこと」

「普通か……。ご主人、それなら理想の起こし方を聞かせてもらいたいのだが」

「あ、それいいですね! 興味あります!」


 アルフィエルとリンが、揃って目を輝かす。


「普通に、部屋の外から声をかけてくれれば、それでいいんだけど」

「却下だ」

「却下です」

「二人して、なんでそんなに仲良くなってるんだ……?」


 空恐ろしいものを感じ、トールは干し草のベッドを後退る――


「トールさん?」


 だが、トールの足首をリンがぐっと掴んだ。

 素早い。まるで、戦闘中のようだ。


 こうなると、大魔王ぐらい逃げられない。

 寝起きの頭を酷使して、なんとか理想の起こし方とやらをひねり出す。


「み、耳元で優しくささやかれる……とか……?」

「アルフィエルさん」

「トゥイリンドウェン姫」


 白黒二人のエルフが、互いの名を呼びうなずき合った。


 朝から、ちょっとついていけない。


「さて。そろそろ、ご主人も目が覚めただろう。朝食の準備はできているので、身支度をしたらリビングへ来てくれ」

「ああ、分かった。ところで、理想の起こし方とやらは話したけど、それとこれとは話が別だからな?」


 リンだけでなく、アルフィエルまできょとんと小首を傾げる。

 しかし、ここで臆してはならない。


「明日からは一人で起きるって意味だよ」

「ダメですよ」

「それはダメだろう」


 揃って駄目出しされた。リンにまで。


「まったく、ご主人はメイドの仕事をなんだと思っているのだ」

「なぜ俺が怒られてるのか。ちょっと意味が分からない」


 そういえば、一人で引きこもり生活をするつもりだったのに、こんなことになっているのも意味が分からなかった。


「さすが異世界だなぁ……」


 干し草のベッドの上。トールは、しみじみと言った。

 言葉とは裏腹に、楽しげに微笑んで。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?