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第三話 引きこもりって、勝手にご飯とか出てくるもんだもんな?

 登山でもするのかというほど、大きな背負い鞄。

 ルーンで容量拡張されているため見た目よりも大量に荷物が入り、それでいて、重量は鞄そのものしか感じない。


 商人、冒険者、軍。

 旅をする者であれば誰もが欲しがる魔具も、トールにとっては、引っ越しの段ボール箱と大差なかった。


 食卓として使っていたリビングのテーブルへ横倒しにすると、無造作に手を突っ込み、衣服、刻印術道具、マンガに使う画材などと中身を分類していく。 


「ご主人の服がこんなに……ごくり」

「おい、のど鳴らすのやめろ」

「だって、ご主人の服だぞ?」

「ああ。俺の服だ」


 言外に、もう服をやらないぞという意思を込めたトール。

 けれど、アルフィエルには通じない。


「それはつまり、自分の服ということになるのでは?」

「ならねえよ!」

「ご主人も、自分の服を自由にしていいのだぞ?」

「しねえよ!」

「なるほど。ご主人は、服よりも中身派と」

「ガワと中身。両方揃ってこそに決まってるだろ……って」


 誘導尋問に引っかかり、自供してしまったトール。恐る恐る、アルフィエルの様子をと見れば。


 意外な答えだったのだろう。


 褐色の肌でも分かるほど顔を真っ赤にし、興奮気味に長い耳が動いていた。


「そこで恥ずかしがるの反則だろ!」

「ご主人がお風呂上がりの自分をチラチラ見ていたのは、裸ワイシャツのせいだけではないと分かると、ついな……」

「コロシテ……コロシテ……」


 ばれていた。

 ばっちり、ばれていた。


 無意識に見てしまうのは、男の性。無防備なアルフィエルにだって原因はある。


 そんな言い訳めいた思考が頭をよぎるが、それも一瞬。羞恥と後悔で消えたくなった。


 いっそ殺して欲しい。いや、先祖にならうなら切腹だろうか。


「いやいやいや。死ぬから」


 トールはしょうきにもどった。


 引きこもり生活は、まだ始まったばかりなのだ。アルフィエルには悪いが、死ぬわけにはいかない。


「まあなんというか、その、ごめんなさい」


 土下座とまではいかないが、トールはテーブルに両手をついて真摯に頭を下げる。


 門前の小僧習わぬ経を読むという、ことわざ通り。リンの土下座を一番側で見てきたトールの謝罪は、誠意を感じさせるものだった。


 だが、アルフィエルにとっては困惑させられるものでしかない。


「ご主人、頭を上げて欲しい。というより、謝罪など不要だ」

「あー……。うん、でも気分の良いものじゃないだろ?」


 そこは仮主従といえ、遠慮なく言ってもらわなければならない。

 反省しきりのトールに対し、アルフィエルはあっさりと否定する。


「そんなことはないぞ」

「え?」

「ただ、要望というか、希望というかだな……」


 やはり、なにかあるのだ。

 頭だけ上げて、トールはアルフィエルの言葉を待ち受ける。


「どうせなら、遠慮なくもっとしっかりはっきり見て欲しい」

「コロシテ……コロシテ……」


 怪物のコアになったヒロインのようにつぶやくトール。

 その目は、ブラックホールを感じさせるほどに虚ろだった。





「はい。そんなわけなんですけどね」

「どんなわけかは分からないが、仕切り直したいのは分かったぞ」


 二人きりだと、それはそれで歯止めが利かなくなるかもしれない。トールだけでなく、アルフィエルも。


 リン。リンが必要だった。切実に。


「まあ、片付けを優先しようということで」

「異存はないぞ」


 ただ、リン抜きでも荷ほどきは順調。

 服や私物を部屋に運んだり、道具類をリビングの棚に放り込むだけで整理は終わった。


 残ったのは、いくつかの樽や壺。


「こいつらは、アルフィにも説明がいるな」

「これは、調味料……でいいのか?」


 キッチンに移動しながら、アルフィエルは困惑気味に耳を動かした。


「唐辛子やこしょう。それに、砂糖などは分かるが……」


 異世界に、中国なんてないが、唐辛子。《翻訳》のルーンの妙に、トールは心の中で微笑んだ。


「このペーストと、黒と金の液体は見たことがない」

「みそとしょうゆ。あと、みりんだな」

「みそしょうゆみりん……」


 そのまま繰り返し、調理台に並べられた和風調味料をしげしげ眺める。

 主人がわざわざ持ち込んだ、調味料をどう扱うべきか。使用人として悩んでいるのだろう。


「まさか、これもご主人が作ったのか?」

「いやいや。そんなに多芸じゃない」

「だが、自分は数々のルーンを忘れてはいないぞ?」

「俺じゃなくて、別の客人まろうどだって」


 さすがのトールも、原材料ぐらいしか分からない。さすがに、《発酵》のルーンだけでどうにかできるものでもないはずだ。


「なるほど。納得した」

「それはそれで、地球人の名誉とかに関わる気がするけど……別にいいか」


 もう戻ることもない故郷だ。多少の誹謗中傷ぐらい、進行のために目を瞑ってもらおう。


「あとは、干した魚と……板というには薄いようだが?」

「煮干しと昆布。これで出汁を取るんだよ」

「ふむ。獣の骨と同じか」


 その理解で間違いではないだろう。

 出汁の取り方など、トールも基本しか分からない。


「とりあえず、どれか味見してみるか」

「そうだな。是非、試してみたい」

「ま、簡単なやつで」


 冷蔵庫に移した食材からキュウリを選び、アルフィエルにカットしてもらう。

 その間に、みそと砂糖と酢を2:2:1で混ぜて、即席のディップを作った。金のない大学生には、これくらいのスキルがあるのだ。


「こいつを試してみてくれ」

「いただこう」


 興味津々といった様子でアルフィエルはキュウリの先端にソースを付け、ぱりっと一口かじる。


「これは……」


 エルフもダークエルフも、特に菜食主義というわけではない。

 人間よりも穀物や野菜を好む傾向はあるが、狩りも漁も牧畜もする。そこは、人間と変わりない。


 しかし、味の好みというものは当然あり。


「う、うまいぞ……」


 素朴な味を好むためか、エルフもダークエルフも味覚は日本人にかなり近かった。

 それを証拠に、次から次にしゃくしゃく食べる……というよりは、キュウリを消費していくアルフィエル。


「なぜ、グラモール王国には伝わっていないのだ」

「俺の前にも客人まろうどが何人かアマルセル=ダエアを訪れていて、その中の一人が残した製法らしいけど……」


 どうやら、明治や大正の頃の女性で、元々みそやしょうゆの製法を知っていた。正確には、日本でやっていたのと同じように作っただけらしい。

 気候風土が違うので試行錯誤はあったようだが、今では、遜色ないレベルの製品を作り上げている。


 もしかすると、聖樹の加護がいい方向に作用したのかもしれない。聖樹なら、麹菌ぐらいどうにかできるだろう。


「交流がなく、伝わらなかったというのか」

「別に、こっちのエルフも常食してるわけじゃないけどな。なんか、客人まろうど用の高級食材的な扱いだし」

「それにしても、そのまま付けただけでこれか。恐るべしだな」


 改めて感心しながら、アルフィエルがキュウリをかじる。一本分、ほとんど一人で食べ尽くしてしまった。


「みそもしょうゆも、スープの味付けをしたり、塗って焼いたり、いろいろな使い方ができる」

「ほほう」


 アルフィエルの瞳が、きらりと光った。創薬師にも通じる研究者の顔だ。


「足りなければ、王都に行って買ってくるから――」

「それは無理ではないか? トゥイリンドウェン姫が泣くぞ?」

「……足りなければリンに買ってきてもらうから、好きに使って欲しい」

「任された」


 大役を仰せつかり光栄だと、メイド服を着たアルフィエルがすっと腰を折る。

 芝居がかった所作だが、妙に似合ってもいた。


「次は、米の調理法だな。キッチンにどっさり置いてあって、気になったのだ」

「ああ。基本的な炊き方ぐらいは教えられる」

「よろしく頼むぞ、ご主人。なにしろ、トゥイリンドウェン姫がいるときにはできないからな。今日ばかりは、ハチマキに掃除の任を譲ろう」


 新たな調味料の出現に、情熱を燃やすアルフィエル。


 もはや、使用人として有用という領域を越え、不可欠な存在になりかけていないだろうか。


「俺、間違ってないよな。引きこもりって、勝手にご飯とか出てくるもんだもんな?」


 試用期間は初日にして形骸化してしまったが、二日目に今さらな不安を強く抱くトールだった。

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