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第七話 時間はかかっても構わないから、美味しいのを頼むぜ

「ご主人。地下からテーブルを運び出したいのだが、構わないだろうか?」

「はう、うわわっっ!?」

「テーブルだな。ちょっと待ってくれ」


 扉の向こうの鍛冶場から聞こえてくる焦ったリンの悲鳴と、トールの冷静な声。

 アルフィエルは、慌てず騒がず扉が開くのを待った。


 まったくもって完全に、いつも通りだ。焦る理由は、どこにもない。


「待たせたな」

「いや、こちらこそ突然すまなかった」


 1分ほどで、鍛冶場からトールが姿を現した。少し頬が紅潮しているようだが、他に変わったところはない。


「トゥイリンドウェン姫が、顔から床に倒れているようだが……」

「お、お構いなくです!」


 扉の隙間から見える鍛冶場の光景も、同様に不審な点はなかった。


「もしかして、タイミングが悪かっただろうか?」

「いや、問題ない。テーブルだな?」


 若干巻き気味に話を進めるトールを訝しがりつつも、アルフィエルはうなずいた。


「せっかくだから、外で食事をしようと思ってな」

「石窯も外だもんな。それは名案だ」


 トールが一も二もなく賛成してくれた。たったそれだけで、小さな騒ぎはアルフィエルの脳裏から消え去った。


「テーブル……確か、隅っこのほうに……」

「ご主人、こっちだ」


 地下の片隅に放置されていた、小さめのテーブル。

 だが、三人で食事をするには充分だ。


 トールは手早く《滅菌》のルーンなどを刻印して使えるようにし、アルフィエルと一緒に外へと運ぶ。


「ふう……。はあぁ……」


 それ自体は問題なかったが、外に出ると同時にトールが大きく深呼吸をした。一旦テーブルを置いて、アルフィエルが問いかける。


「ご主人。《空調》のルーンが作動しているとはいえ、地下は息苦しかったか?」

「いや、そういうわけじゃない。ちょっと安心したというか、そんな感じだ」


 運搬を再開するが、外に出て安心したというのは問題だ。やはり、多少お節介でも外に連れ出すことは重要だと、アルフィエルは心に刻む。

 とりあえず、明日はまたグリーンスライムのところに行こう。


 ……と思っている間に、テーブルの設置は完了した。隠れ家の台所にも、庭の石窯にもほどよい距離だ。


「アルフィ、椅子はどうする?」

「大丈夫だ。あとで、居間の物を自分が運ぶとしよう」

「ああ……。予備の椅子は、地下にもなさそうだったな。もういっそ、ウルに言ってテラスでも作ってもらうか」

「トゥイリンドウェン姫の部屋が先だがな」

「それもあったな……」


 ここで初めて、アルフィエルは違和感を憶えた。

 抵抗もせず、リンの部屋の存在を受け入れている。


 心ここにあらず。


 他に気になることがあると言わんばかりだ。


「ご主人、まさか……」

「な、なんだよ?」


 トールが、露骨に動揺を見せた。

 間違いない。


「ご主人、自分のせいですまない」

「いや、アルフィのせいというか、ためというか……」

「そんなに空腹だったとは、気づかなかった。申し訳ない」


 ウルヒアの来訪に伴うティータイムとピザの準備で、結果として昼食は抜くことになってしまった。

 アルフィエルは一食ならなんてことはないと思っていたのだが、大問題だったようだ。


 自らの迂闊さに、ダークエルフのメイドは歯がみする。


「すまない。石窯の予熱を考慮すると、まだしばらくかかってしまうのだ」

「それは仕方がない」


 時間がかかると聞いて、トールは優しく微笑んだ。

 空腹にもかかわらず、アルフィエルは悪くないと言ってくれている。


「……そうだ。石窯の予熱にルーンが使えないだろうか」

「え?」


 名案にもかかわらず、トールは虚を突かれたような顔をする。いや、実際に、驚いているのか。


「難しいのか?」

「いや、できなくはないというか、できると思うけど……」

「なら、使い立てして申し訳ないが、お願いする」

「でもなんというか、そんなに急がなくても……」

「なにを言うのだ」


 予熱が早く終われば、ピザの準備も早めねばならない。トールはその点を心配して、及び腰になっているのだろう。


 その優しさは美徳だが、正式にトールのメイドになったのだ。

 遠慮なく使ってもらわねば、結果として、トールが恥をかくことにもなりかねない。


「トゥイリンドウェン姫も、先ほどは空腹で倒れたのだろう?」

「いや、いくらリンでも……」

「違うのか?」

「違わなくもないような……。まあ、リンだしな」

「うむ。トゥイリンドウェン姫だからな」


 リンへの圧倒的な信頼感に、二人の心がひとつになった。無駄に。


「ピザそのものの準備だけなら、一時間程度で終わると思うぞ」

「一時間か……」


 時間を聞いて、トールが微妙な顔をする。

 まだ太陽は沈んでおらず、今のままなら食べ初めるは夕方ぐらいになるだろうか。確かに、夕食にはやや早い。

 だが、ウルヒアが来たためお茶を昼食の代わりにしたので、これ以上遅くするのも問題だ。実際、トールは空腹で気もそぞろではないか。


「中途半端な時間になってしまって、すまない」

「どうせ、リンがはしゃいでたくさん食べることになるだろうから、それはいいんだが」


 トールが、あごに手を当て目を閉じた。

 悩むことなどないように思えるが、アルフィエルの見えないところまで気を回しているのだろう。


「いや、間に合わなければ、後からでもいいのか? でも、どうせなら……だよな」


 考え込んでいたトールが、不意に顔を上げた。

 そして、アルフィエルの瞳をのぞき込む。


 トールらしからぬ無遠慮な接近に、アルフィエルは思わず息を飲んだ。


「石窯の予熱は、俺がルーンでなんとかしよう」

「う、うむ。ところで、少し近くないか?」

「そんなことは、どうでもいい!」


 いつになく強引なトールに、アルフィエルは無意識にへその辺りを押さえた。きゅんと胸が締め付けられ、一気に顔が熱くなる。


「ど、どうでも良くはない気がするのだが……」

「その代わりってわけじゃないけど」


 有無を言わせず、トールがアルフィエルの手を取った。

 限界まで顔を近づけ、耳元でささやく。


「時間はかかっても構わないから、美味しいのを頼むぜ」

「……任された」


 トールから、期待の言葉をかけられた。

 いつもほめてはくれたが、初めてではないだろうか?


 出してきたものを絶賛されるのも嬉しいが、期待の言葉はそれとはまた質が違った。


 先ほどまでとは違う興奮に、どうしようもなく気分が高揚する。


 自分にできる最大限の美味しさを。

 可能な限り手早く。


 つまり、自分のすべてを捧げるのだ。


 アルフィエルは決意した。 

 トールの言葉の裏に隠れた意図に、気付くことなく。

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