「ご主人。地下からテーブルを運び出したいのだが、構わないだろうか?」
「はう、うわわっっ!?」
「テーブルだな。ちょっと待ってくれ」
扉の向こうの鍛冶場から聞こえてくる焦ったリンの悲鳴と、トールの冷静な声。
アルフィエルは、慌てず騒がず扉が開くのを待った。
まったくもって完全に、いつも通りだ。焦る理由は、どこにもない。
「待たせたな」
「いや、こちらこそ突然すまなかった」
1分ほどで、鍛冶場からトールが姿を現した。少し頬が紅潮しているようだが、他に変わったところはない。
「トゥイリンドウェン姫が、顔から床に倒れているようだが……」
「お、お構いなくです!」
扉の隙間から見える鍛冶場の光景も、同様に不審な点はなかった。
「もしかして、タイミングが悪かっただろうか?」
「いや、問題ない。テーブルだな?」
若干巻き気味に話を進めるトールを訝しがりつつも、アルフィエルはうなずいた。
「せっかくだから、外で食事をしようと思ってな」
「石窯も外だもんな。それは名案だ」
トールが一も二もなく賛成してくれた。たったそれだけで、小さな騒ぎはアルフィエルの脳裏から消え去った。
「テーブル……確か、隅っこのほうに……」
「ご主人、こっちだ」
地下の片隅に放置されていた、小さめのテーブル。
だが、三人で食事をするには充分だ。
トールは手早く《滅菌》のルーンなどを刻印して使えるようにし、アルフィエルと一緒に外へと運ぶ。
「ふう……。はあぁ……」
それ自体は問題なかったが、外に出ると同時にトールが大きく深呼吸をした。一旦テーブルを置いて、アルフィエルが問いかける。
「ご主人。《空調》のルーンが作動しているとはいえ、地下は息苦しかったか?」
「いや、そういうわけじゃない。ちょっと安心したというか、そんな感じだ」
運搬を再開するが、外に出て安心したというのは問題だ。やはり、多少お節介でも外に連れ出すことは重要だと、アルフィエルは心に刻む。
とりあえず、明日はまたグリーンスライムのところに行こう。
……と思っている間に、テーブルの設置は完了した。隠れ家の台所にも、庭の石窯にもほどよい距離だ。
「アルフィ、椅子はどうする?」
「大丈夫だ。あとで、居間の物を自分が運ぶとしよう」
「ああ……。予備の椅子は、地下にもなさそうだったな。もういっそ、ウルに言ってテラスでも作ってもらうか」
「トゥイリンドウェン姫の部屋が先だがな」
「それもあったな……」
ここで初めて、アルフィエルは違和感を憶えた。
抵抗もせず、リンの部屋の存在を受け入れている。
心ここにあらず。
他に気になることがあると言わんばかりだ。
「ご主人、まさか……」
「な、なんだよ?」
トールが、露骨に動揺を見せた。
間違いない。
「ご主人、自分のせいですまない」
「いや、アルフィのせいというか、ためというか……」
「そんなに空腹だったとは、気づかなかった。申し訳ない」
ウルヒアの来訪に伴うティータイムとピザの準備で、結果として昼食は抜くことになってしまった。
アルフィエルは一食ならなんてことはないと思っていたのだが、大問題だったようだ。
自らの迂闊さに、ダークエルフのメイドは歯がみする。
「すまない。石窯の予熱を考慮すると、まだしばらくかかってしまうのだ」
「それは仕方がない」
時間がかかると聞いて、トールは優しく微笑んだ。
空腹にもかかわらず、アルフィエルは悪くないと言ってくれている。
「……そうだ。石窯の予熱にルーンが使えないだろうか」
「え?」
名案にもかかわらず、トールは虚を突かれたような顔をする。いや、実際に、驚いているのか。
「難しいのか?」
「いや、できなくはないというか、できると思うけど……」
「なら、使い立てして申し訳ないが、お願いする」
「でもなんというか、そんなに急がなくても……」
「なにを言うのだ」
予熱が早く終われば、ピザの準備も早めねばならない。トールはその点を心配して、及び腰になっているのだろう。
その優しさは美徳だが、正式にトールのメイドになったのだ。
遠慮なく使ってもらわねば、結果として、トールが恥をかくことにもなりかねない。
「トゥイリンドウェン姫も、先ほどは空腹で倒れたのだろう?」
「いや、いくらリンでも……」
「違うのか?」
「違わなくもないような……。まあ、リンだしな」
「うむ。トゥイリンドウェン姫だからな」
リンへの圧倒的な信頼感に、二人の心がひとつになった。無駄に。
「ピザそのものの準備だけなら、一時間程度で終わると思うぞ」
「一時間か……」
時間を聞いて、トールが微妙な顔をする。
まだ太陽は沈んでおらず、今のままなら食べ初めるは夕方ぐらいになるだろうか。確かに、夕食にはやや早い。
だが、ウルヒアが来たためお茶を昼食の代わりにしたので、これ以上遅くするのも問題だ。実際、トールは空腹で気もそぞろではないか。
「中途半端な時間になってしまって、すまない」
「どうせ、リンがはしゃいでたくさん食べることになるだろうから、それはいいんだが」
トールが、あごに手を当て目を閉じた。
悩むことなどないように思えるが、アルフィエルの見えないところまで気を回しているのだろう。
「いや、間に合わなければ、後からでもいいのか? でも、どうせなら……だよな」
考え込んでいたトールが、不意に顔を上げた。
そして、アルフィエルの瞳をのぞき込む。
トールらしからぬ無遠慮な接近に、アルフィエルは思わず息を飲んだ。
「石窯の予熱は、俺がルーンでなんとかしよう」
「う、うむ。ところで、少し近くないか?」
「そんなことは、どうでもいい!」
いつになく強引なトールに、アルフィエルは無意識にへその辺りを押さえた。きゅんと胸が締め付けられ、一気に顔が熱くなる。
「ど、どうでも良くはない気がするのだが……」
「その代わりってわけじゃないけど」
有無を言わせず、トールがアルフィエルの手を取った。
限界まで顔を近づけ、耳元でささやく。
「時間はかかっても構わないから、美味しいのを頼むぜ」
「……任された」
トールから、期待の言葉をかけられた。
いつもほめてはくれたが、初めてではないだろうか?
出してきたものを絶賛されるのも嬉しいが、期待の言葉はそれとはまた質が違った。
先ほどまでとは違う興奮に、どうしようもなく気分が高揚する。
自分にできる最大限の美味しさを。
可能な限り手早く。
つまり、自分のすべてを捧げるのだ。
アルフィエルは決意した。
トールの言葉の裏に隠れた意図に、気付くことなく。