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第十一話 シュレーディンガーに顔向けできねえよ、俺……

「雨か……」

「雨ですね」


 アルフィエルの正式採用とリンの同居が、済し崩し的に決まった翌日。朝から、しとしとと雨が降っていた。


 昨日までの晴天は、見る影もなかった。


 ここまで天候が急激に変化すると、不吉なものを感じる者もいるかもしれない。実際、トールは少なからず憂欝だった。


 けれど、少なくともアルフィエルは違った。


「恐らく、天に帰った母の嬉し涙だろうな」

「それ、娘の就職が決まって喜んでるってことになるんだけど!? いいのかよ、いくらなんでも喜びすぎだろ」


 居間のテーブルに頬杖を突いて外を眺めるトールの口調と表情は、なんとも表現できない味があった。


「というか、アルフィ。ちょっとポジティブ過ぎない?」

「ポジティブ? 今の自分は、トゥイリンドウェン姫同様幸せの絶頂だが?」


 モップ――ハチマキを操って掃除をしていたアルフィエルが、首を傾げて立ち止まる。その耳には、《反呪》のルーンが刻印されたイヤリングが誇らしげに輝いていた。


「はい! 私も、今が人生のピークだと思います!」

「ピーク早すぎだろ。あと何百年生きると思ってるんだよ!」

「え? でも、私の人生で今より嬉しくて楽しいことが起こるなんて、ちょっとあり得ませんよ? トールさん、私の人生を甘く見すぎでは?」

「こっちはネガティブすぎる……。足してちょうど良いってことにはならないんだからな?」


 立ち上がって体全体で主張するリンの耳にも、《解放》のルーンが刻印されたイヤリングが揺れている。


 プレゼントが身につけられている。そのことを意識したトールは、気鬱がどこかへ行ってしまった。

 いろいろあったが、気に入ってもらえたのならそれでいい。


 ……とそれで済んだら良かったのになと、トールは思わずにいられなかった。


「まあ別に良いんだけど、俺のせいで変な伝統が生まれたりしたら、マジでいたたまれないだろ? だから、これはあくまでも記念品ということでな?」

「ウルヒア兄さまなら、新たな経済振興策だって喜ぶと思いますよ」

「正直なところ、それが一番嫌だ」


 本当に嫌そうな顔をして、トールは座りながら背伸びをした。


 やる。ウルヒアなら、やりかねないではなく、やる。


 トールへの嫌がらせも込みで、絶対にやる。


 これは推測でも確信でもない。単なる事実だ。


「では、求婚の際に伴侶の耳に装身具を取り付けるというエルフやダークエルフの伝統的な儀式に関しては、真偽不明ということで決着だな」

「シュレーディンガーに顔向けできねえよ、俺……」


 無論と言うべきか、トールは顔も知らない。


「まあ、俺も日本人だからね? 玉虫色の決着はむしろどんと来いだけどね?」

「では、自分たちはさらなるご褒美を得るために、日々を頑張って過ごしていきたいと思う」

「あっ! 御恩と奉公ですね!」

「違えよ。というか、リンはそれ気に入ってんのかよ!」


 リンの性格的に、ギブアンドテイクのほうが気楽なのは確かだろう。

 エルフのお姫さまがそれでいいのかと思わなくもないが、今さらでもある。


「まあ、なんだ。これからも感謝のプレゼントをちゃんと受け取ってくれるのなら、それに越したことはないけどな」


 トールが、前向きな未来志向を示す。

 それを受けて、リンがフリーズした。


「……どうしましょう、トールさん! アルフィエルさん! 私、死んでしまいましたよ!」

「想像だけで無理だったか……」

「私としては、ひたすらトールさんに貢ぎたいのですが!?」

「……その気持ちも分かるだけに、自分からはなんとも言えないな」


 トールも、なにも言えない。

 口先だけでも、分かるなどと言えるはずもなかったから。


 そのため、アルフィエルが話を変えてくれたのば、ちょうど良かった。


「といわけで、ご主人。掃除が終わったら、自分はちょっと出てくるからな」

「ああ……。気をつけて……って、出るって? 外に? 雨なのに?」


 ピザ祭りの後片付けは、終わっているはずだ。

 昨日のうちに、外に出したテーブルは家の中に仕舞ってある。わざわざ、石窯をチェックする必要もないだろう。


「雨が降った程度で、休むわけにはいかないだろう?」

「そこは休もう」


 大学だって、雨が降ったら自主休講だ。せめて、家から出ずに過ごすべき。


「というか、主人権限で強制的に休みにするぞ。俺はホワイトな就労環境を目指してるんだ」

「おお、強引なご主人だ。これはいいものだな、トゥイリンドウェン姫」

「の、の、の、ノーコメントでお願いします!」


 それは、ほとんどイエスと言っているようなものだった。


「どうせなら、休みで喜んで欲しいんだが……」

「私は護衛なので、休みはありませんよ!」

「そうだった」


 半分はリンをこの隠れ家に置く名目なのだろうが、だからといっておろそかにしろとは言えない。そんなことを言ったら、リンが土下座する。


「いや、そもそも俺はリンの上位者ではないんだが」

「え? じゃあ、私はトールさんに命令してもらえないんですか?」

「なぜ、そこで残念がるのか」


 もちろん、リンだからというのは分かっている。

 分かっているが、言わずにはいられなかった。


「しかし、ご主人。雨だからと言って、ゴミ捨てを中止するわけにもいかないだろう」

「ああ……。それがあったか」

「特に何日毎と決めてはいないが、食事を与えるようなものなのだから、雨程度で休むわけにはいかないぞ」

「そうだな……。ペットを飼うと、責任が生じるものだからな」


 犬は雨の日だろうと散歩に行きたがるものだ。

 たとえ、出かけたら出かけたで速攻帰りたがったとしても、連れて行くのが飼い主の責任。


「ついでに、雨の時にしか取れない素材も収集するつもりだ」

「じゃあ、俺も行くか。さすがに、グリフォンで飛んでいくわけにもいかないからな」

「いや、ご主人は家でゆっくりしていてくれ」

「リンは俺とアルフィの護衛なんだから、ばらばらになっちゃリンも困るだろ」

「私が、《繁茂分身》の技を習得しさえしていれば、こんなことには……ッ」

「分身できんのかよ!?」


 リンが二人になるとさすがに手に負えないなぁと思いつつ、トールは立ち上がった。そして、乱雑に物が突っ込まれている棚を漁る。


「確か、師匠に出された課題で昔作った傘っぽいのがその辺に……っと、あったあった」


 トールが取り出したのは、反物のように丸められた緑色の布だった。


「《クイア》」


 それを活性化させる合言葉を唱えると、緑色の布はするすると動き出しトールの頭上に広がった。


「布の妖怪か?」

「一反木綿って、こっちにもいるのかよ? これは、《防水》と《浮遊》、それから《追尾》のルーンを刻印した雨避けシートだよ」


 一度展開すると勝手に追随してくれるので、傘のような手間がない。

 もっと早くこれが手に入っていたら、雨の自主休講も激減しただろうと思わせる便利グッズだ。


「体に《防水》ルーンを刻印してもいいんだけど、雨に打たれる感覚はどうしようもないからな。あと、持続時間が残ってると、手も洗えないし」

「雨ぐらいで大げさな……とは言えないな」


 採集もあるし、エイルフィードの弓のことを考えると両手が空くのは助かる。雨避けのマントの後片付けをしなくてもいいというのも重要だ。


「正直助かる」

「アルフィも、ルーンの便利さに気付いたようで嬉しいぜ」

「くっ。身も心もご主人に染められてしまう」

「ごめんなさい。調子に乗って申し訳ありませんでした。許してください」


 こうして、グリーンスライムの下へ三度赴くこととなった。


 まさか、たどり着く前にアクシデントに見舞われるとは想像もせず。

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