「しかし、止まないな雨」
隠れ家を出て10分ほどして、トールがふとつぶやいた。
日本とは違い、エルフの国では一気に降ってすぐ止むことが多い。こんなにはっきりとした雨は、久しぶりだった。
「そういえば、トゥイリンドウェン姫。こんな雨の中で、グリフォンは大丈夫なのか?」
「クラテールは賢いので、どこかでやり過ごしているはずです。もしかしたら、王都に帰っているかもしれません」
「そうか。それなら、安心だな」
背中にエイルフィードの弓を背負ったアルフィエルが、本当に安心したようにうなずく。雨空とは対照的な笑顔で。
「リンが常駐するんなら、本当に厩舎をどうにかしないとな……っと、そうだ、アルフィ。雨の日だけ取れる素材って、どんなのなんだ?」
グリーンスライムの食餌が入った厚手の紙袋を抱えながら、トールが尋ねた。ただ歩くよりは、目当ての物を探しながらのほうがいいだろうと今さらながら気付いたのだ。
「ジゲウシゴケという苔の一種があるのだが、雨が降る中で採取すると、通常とは違った効果が現れるのだ」
「それ、水をかけるだけじゃだめなのか……って、それくらい、当然試してるか」
「うむ。溜めた雨水を散布しても、効果は変わらなかったそうだ」
生命の神秘と言うべきか、ファンタジーだからと言うべきか。
トールとしては、不思議だなとしか言いようがない。
「そうだな。もっとも、この雨避けシートほどではないが」
アルフィエルの視線の先には、トールが展開した雨避けシートがあった。真っ直ぐではなくやや傾斜を取っていて、端から雨水が垂れ落ちていた。
また、充分に三人をまとめてカバー出るだけの大きさがあり、布越しにルーンが光を放っている様が見える。
雨粒と相まって、幻想的な光景だ。
それ以上に実用的で、隠れ家を出てから10分以上経っているのに、まったく濡れていない。
さすがに、木や枝のような障害物を避ける機能まではないが、しっかりと追尾して雨から守ってくれている。
「いやいや、こいつこそ不思議でもなんでもないだろ」
そんな常識外れのアイテムを作って今まで放置していたトールは、なにを言っているんだと否定した。
「《防水》と《浮遊》、それから《追尾》。異なる三つのルーンを使ってはいるけど、その組み合わせ通りの効果が出ているじゃないか」
「なるほど。ご主人にとっては、これもその程度の物なのだな」
「ん? まあ、そうか。そう考えると、ジゲウシゴケってのの変化にも、外からじゃ分からない立派な理由があるのかもしれないな……」
一人納得するトールを横目に、アルフィエルはリンに尋ねる。
「アマルセル=ダエアの王都では、これが一般的なのか?」
「まさか。なにを言っているんですか、アルフィエルさん。そんなわけじゃないじゃないですか」
「それはそうか」
「そうなんだよなぁ。さすがに傘ほど安価にはできないから、普及はさせられなかったんだよな」
人類の発明の中で、傘ほど進化がない物も珍しいだろう。
師匠から出された課題として取り組んだのも、それが理由のひとつだ。
「こんな物を大量に造るぐらいなら、街に巨大な屋根でもかけたほうが早いって酷評されたし」
あの師匠にしては、珍しく。本当に珍しくまともな指摘だったなと、トールは思い返す。今では、いい思い出だ。師匠の存在を除いては。
「ウルに見せたら、丈夫な板に《浮遊》と《硬化》でもかけて矢から身を守る盾にできないかとか言われたんで、全力で拒否ったし」
戦争に荷担したくない……などと、脳天気なことを考えたわけではない。
ただ、膨大な作業量にめまいがしただけだ。
それでも、喫緊の問題であれば断りはしなかっただろうが。
「要するに、トールさんの才能に世界が追いつかなかったわけですね!」
「まあ、ワンオフ過ぎるって意味じゃそうなんだけど、リンは小説家志望とかロックバンドの卵と付き合ったりしちゃダメだぞ?」
「ご主人、止まってくれ」
アルフィエルの声に従い、トールが立ち止まった。雨避けシートも静止し、トールが止まれば、当然リンも止まる。
「こっちへ頼む」
どうやら、目的の素材が見つかったらしい。メイド服のまま大木の根元に膝をつき、収集用のナイフで苔らしきものを削った。
作業の邪魔になるので、グリーンスライムのご飯はトールが持っている。
その間、リンは油断なく周囲を警戒していた。
モンスターいないだろうが、危険な動物が出てくる可能性はある。
だが、ほんの数分の作業時間では、そうそうアクシデントが起こるものでもないようだ。アルフィエルが立ち上がると、何事も無くグリーンスライムの沼への移動を再開した。
「よし。これで、惚れ薬研究が進むな」
「ちょっと待った。研究? 惚れ薬の?」
「うむ。かなり強力で難渋しているのだがな。しかし、不可能はない。夢はいつか絶対に叶う。いや、夢を叶えるために生きるのだ」
「厳重に管理してるんじゃなかったのかよ」
「万一、使われでもしたら困るからな。中和剤ぐらいは作っておかねば」
「それ、中和剤があれば気軽に使えるって意味じゃないよな?」
トールは訝しんだ。
「もちろんだ。それに、中和剤がないと、万一の時にはもう一度惚れ薬を使って上書きするしか手がないのでな」
「……マジで、絶対外に出さないようにしような」
グリーンスライムの沼に返却したいところではあるが、それはそれで不安が残る。ガチャとはいえ、ゲームのように不要なアイテムを分解するわけにはいかないのだ。
「今度のガチャこそ、もうなんか普通の伝説の剣とかが出てこねえかな」
「それはそれで、どうなのだ?」
「……なにかいます」
いつになく真剣なリンの声。
唐突で、すぐに内容が頭に入ってこない。
どちらかというと、声自体に驚いてトールは足を止める。
「ご主人は下がってくれ」
エイルフィードの弓を構えたアルフィエルも、やや遅れてトールの前に割り込んできた。
リンは完全に自然体だが、前方から視線を外そうとしない。
雨音が、静かな森に染み渡る。
「キエエエェェッッッ!!」
それを斬り裂くようにして、鶏が絞められたような叫びとともに一体のモンスターが飛び下りてきた。
地面が体重に耐えかねて大きく揺れ、泥の飛沫が周辺に飛び散った。
ペトロイーター。
石や岩を主食とする、身の丈3メートル以上ある巨大な猿のモンスター。尻尾はさらに長く、手のように器用に操る。
岩石を主食とするだけあって、顎と牙は強靱。そして、表皮も岩のように硬い。
基本的には温厚なだが、一度暴れると手が付けられないモンスターだ。
トールが持つ護符のひとつが反応し、《知識》のルーンからモンスターの概要が頭に流れ込んでくる。
「リン! アルフィ!」
油断していたわけではないが、本当に起こるとも思っていなかった事態。
せめて二人だけでもと、トールは声を張り上げた。
しかし、それは完全に杞憂だった。
「猿風情が――」
「――トールさんに、牙を向けましたね」
ドワーフの名匠が作り上げた、エイルフィードの弓。周囲の魔力を変換した、光の矢が撃ち出されペトロイーターの肩に突き刺さる。
「ギィィィッッ」
その衝撃で仰け反りながら、巨猿のモンスターが憎々しげな悲鳴を上げた。
そして、それが遺言となった。
直後、ペトロイーターの体に一本の線が引かれた。それを為した当人以外、被害者ですら、それが剣閃だと気付きはしない。
キンッと、鋭く澄んだ音がして剣が鞘に収められた。
刹那。
ペトロイーターの上半身と下半身が
雨の中、ふたつになった猿の化け物が泥濘に崩れ落ちた。
ここになってようやく、トールとペトロイーターは、剣で斬られたのだと気付く。
瞬殺。
相手が悪かったというよりも、なにしに出てきたのかという感想しか出てこない。
「……だよなー」
ありがたいし、嬉しくもある。
だが、ばつの悪さはどうしようもなく、トールは力なくつぶやくことしかできなかった。