目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

白き花、赤き兆し

第3話 境界前夜

 実際に作戦地に入るときには、必要以上の準備をしていく事。

 それはもう耳が痛いくらいに言いつけられている事で、俺は作戦を前にして念入り以上に装備の整備をしていた。

 持って行くものはそう多くはない。

 新宿があんな事になってから、今はまだ実質一年も経過していない。去年の8月15日。月に換算すれば、ぴったり9ヶ月前の事だ。先日からの調査でまだ一部地域には電気が通っている事もわかっているし、水道だって動いている。

 勿論そんなものの料金なんかは支払われてはいないけれど、まだ中に生存者が居る可能性を鑑みての超法規的措置とやらでそういったライフラインは切断されないままだと聞いている。

 勿論物理的に切断されている場合にはどうしようもないけれど、少なくとも水道管が繋がっていて、電気が通る環境であれば最低限の設備は確保されているという事になる。

 誰かが生きているという確証は薄い。少なくとも数回の調査では犬や猫を外に出す事は成功したけれど、人間の姿は確認出来なかった。

 外に逃がした犬や猫も、すぐに死んだ。

 あの中と外にどういう違いがあるのかは分からないけれど、何か有害な物質が出ていてもおかしくはないという事だ。

 そうなると、犬や猫が摂取していてもおかしくはないもの……主に水に、毒素が混じっている可能性が高い。だが生物は水なしには生きられない。毒素があると分かっていても飲まないわけにはいかない状況だって、ある。

 飲んで死ぬか、飲まずに飢えるか。究極の選択だ。


「廻、水質調査キット忘れんなよ」

「今更調査した所でね……」

「コンビニでも生きていればいいんだけどな」

「水分は最低限、だな」


 液体は重い。ただでさえ俺は重火器を背負わなければならないし、勿論爆薬だって持って行く。そうなるとあまり余計な荷物は持ちたくない。カートなんて中に持ち込むわけにはいかないのだし。

 どの程度が必要最低限なのだろうか。はてさて。

 メモを取りながら銃弾の数やバッテリーなんかをチェックしてバッグに詰め込んでいると、ふと相棒がホテルの窓から外に視線を向けた。

 ホテルと言ってもここはすでにオーナーが権利を放棄した、一言で言えば廃墟ってやつだ。だが外と同じで電気も水道も、ガスだって使える。そのせいか頻繁に誰かが使用していた痕跡もあって、中にはラブホ代わりにしたような痕跡がある部屋もあった。

 問題はここからほんの100メートル足らずの所に新宿との境界線があるという、それだけの事だ。

 だとしても、あの樹のお膝元でよくもまぁそんな事をする気になるもんだという気持ちにもなる。

 オーナーも気の毒に、と思わないこともない。

 まぁでも、目の前に壁のある立地条件でこういうホテルがあるのは、俺たちみたいな奴には有難いもんだ。

 そんな事を思いながら準備を続けていると、俺の注意を引くためか相棒が刀の先でコンコンと床を叩いた。顔を上げた俺は、相棒が外を見ている事に首を傾げる。壁の方向だ。


「どした?」

「人が居る。子供だ」

「子供?」


 指で窓を示されて外を見ると、確かにまだ中高生くらいの少年が壁の目の前に立っていた。

 いや、少年だけじゃない。人影がいくつか。どれも同じくらいの年代みたいだ。

 時計を見れば、時刻は5月15日の午後1時44分。まだ昼を少し過ぎた程度だけれど、樹の影の影響の強いこの変はもうそろそろ夜になる時間帯だ。3時にでもなれば、外は薄暗くなってしまう。


「……中に入ろうとしてるのか?」


 まさか。オペラグラスを持ってきて確認すると、子供たちはどれも同じ制服を着ていて、入り口でも探しているのか壁を見上げながらウロウロとしている。

 おいおい何を考えてんだ。

 思わず相棒を見ると、相棒は無表情に子供たちを見詰めていた。人影は、4つ。そのうち1つは女で、残りは男だ。先頭に居る背の高いのがリーダーなのか、残りの3人はうっかりすると離れて行きそうになっているそいつを慌てて追っている。

 どうしたものかと思っていると、相棒は無言で窓から離れるとさっきまで整備していた装備を担いで部屋を出て行った。慌てて、俺も追う。

 持って行くもののチェックはまだ途中だったが、武具の整備は終えている。どうせまた戻ってくるだろうし、それだけでいいだろう。

 食いそびれた昼飯だけはちゃっかりバッグに詰め込んで、それだけは持って出る。ねずみにでも食われたら最悪だ。

 ホテルを出ると、相棒はホテルのドアに凭れ掛かってさっきの子供たちの方を見ていた。どうしたんだと思っていると、なにやら人数が増えている。2人。小太りの男と、髪の長い女だ。

 女の方が先に居た4人に何かを叫んでいて、小太りの男の方はオロオロとそんな長髪の女の後ろをついていくだけ。一体何をやっているのかと思ったら、多分女の方が先に来ていた連中を止めているんだろう。

 そりゃそうだ。良心的なのが一人でも登場してくれてよかった。


「貴方たちは何を考えているんですか! あの樹の研究は確かにウチの班の研究課題ですけれど、この中に入るなんて許されるわけがないでしょう!」

「来たくないなら来なくていいのよ。私たちは行く」

「許すわけないでしょう! 私は班長で、学級委員なのですよ!」


 先に来ていた連中の中に居る眼鏡を掛けたキツそうな顔の女、がキーキーと騒いでいる学級委員だという女を睨みつけていて、2人の間ではもう一触即発。

 その女どもの後ろには半泣きの男が一人ずつ居て、残りの男2人はすっかり我関せず。

 情けないな、と思わないでもないが、あれだけキツそうな女は俺でもノーサンキューだ。

 とりあえず分かったのは、あの学生たちはこの周辺の学校ではよくある、あの樹の研究を自由研究だか何かの題材にしているという事。連中は同じ研究班だか何だかで、中に入るかどうかで揉めているという事。

 若干メンバーの年齢層に幅がありそうな気がするが、そこを気にしても仕方が無い。入ろうとしたら実力行使で止める。今俺たちがしなければいけないのは、それだけだ。

 実際、こういう手合いの連中はよくいるんだ。

 中に居るかもしれない家族を助けに、とか。

 中がどうなっているのか調査をするために、とか。

 あの樹を絶対にぶっ倒すとか言う正義感でいっぱいのヤツ、とか。

 そんな理由で中に入っては、帰ってこない。それでもそういう馬鹿な正義感を持った連中は月に最低1組くらいは必ず居て、その結果行方不明者がどんどん増えている悪循環。


 いい加減悟ってくれないもんかね。あの樹が普通の人間の手に負えるモンじゃないって事を。


 そんなことを考えながら学生たちを見ていると、先頭にいた背の高い男子が女子たちの喧嘩を尻目に手に持っていた多分木の棒かなんかを振り上げ、徐に壁に向けて叩き付けた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?