目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第4話 第一犠牲者

 壁が、ゴォン、と、材質がなんなんだかまるでわからない音をたてる。

 俺と相棒が驚いている間にも、二度、三度。なにかを確かめるように壁を叩いたそいつは、もう一度棒を振り上げた時にぴたりと動きを止めた。

 すると、その動作に呼応するように相棒が空を見上げた。刀の鍔を上げて、足をいつでも踏み出せるような体勢に、なる。それを見て俺も意味もなく手にぶら下げていた拳銃のセーフティを解除した。

 相棒の意図はわからない。だが、こいつが構えたら俺も構える。それは、暗黙の了解みたいなものだった。


「ひ、ひぃ!ぎゃあぁぁあぁ!!」

「!?」


 悲鳴が上がったのは、俺がセーフティを解除したのとほぼ同時だった。

 学級委員の女の後ろに立っていた小太りの男子の悲鳴。小太りの男子は地面を転げ回り絶叫をあげながら腹を掻き毟っていて、徐々に血が噴水のように内側から吹き上がり始める。

 それを見た相棒が、無言で抜刀しながら走り出した。


「き、きゃあぁあ!」

「な、なんだっ!?」

「山村!!」


 眼鏡の女が悲鳴をあげて距離をとり、最初の四人組は自分の腹の血溜りを掻き毟り必死になって何かを引っ張り出そうとしている小太りの男子を茫然と見つめるしかできない。

 しかしもう一人の女は必死に多分小太りの男子の名前なんだろう山村という名前を叫びながらのたうち回る身体にとり縋った。彼女だけは、何とかしてやろうと思っていたんだろう。

 だが残念ながらもう、手遅れだ。

 でっぷりとした黄色い脂肪が流れ出して、その奥の腹膜が破れて腸が毀れ出しているし、そこまで来てしまえばもし救急車を呼んだとしてもこの壁の近くには医療施設なんかは存在しない。

 恐らくさっき壁を叩いてしまったのがキーだったんだ。俺たちも、油断した。

 まさか、壁を叩くなんて思っても居なかったんだけども。


「廻、上だ」

「は、早いな……!?」

「な、なんですか! 貴方たちは!?」

「手を離せ。そいつはもう死んでる」

「死っ……」


 冷静な相棒の言葉に学級委員が愕然と言葉を飲み込むと、場は一気に静かになった。もう、山村も悲鳴をあげてはいない。口からぶくぶくと吐き出していた泡もいつしか止まり、地面を叩いていた痙攣もなくなった。

 死んだから、だ。

 【悪魔】の中には人間が視認出来ないくらいに小さな虫のようなのも存在する。そいつらをパッと発見するのは難しくて、俺や相棒だってきっと無理だ。

 そして、そういう小型の連中は大体壁と地面の隙間とか石の下なんかの、普通の虫が生息しているような場所に好んで隠れ住む。今回のもそういう奴等だろう。

 そして、壁を叩いたことで起こされて、一番肉がついて旨そうな奴を襲った。それだけのことだ。


「どうする。ゲートはまだ少し先だ」

「走らせろ」


 叫ぶように言うのと同時に、相棒が壁を蹴って上へ跳躍する。アイツがそう言うってことは、つまりは逃げるしかない……って事、か。

 あぁもう。

 俺は、困惑して座り込んでいる学生どもの尻をひっぱたいて立ち上がらせ、全速力で走るように指示を出した。

 突然の相棒の行動と俺の指示に、学生たちは何が起きているのかは理解をしていないだろう。まだ、学級委員の女の血に塗れた手を茫然と眺めるのが関の山だ。

 だがそれでも、わかってはいるはずだ。今走らないと、自分達もあの山村のようになる。

 今上空から墜落してきた、刀傷を受けて死んでいる巨大な化け物に食い散らかされてしまうのだ、と。


「そこの扉だ! 中にはいれ!」

「で、でもこの先はっ……!」

「どけっ!」


 半泣きで嫌々をするように首を振っている背の小さいのの背中を蹴飛ばして、一番背の高いリーダー格の男子が扉の中に全員を押し込む。

 ここから先は、当然だが分類的には【新宿】の中になる。地図上で見ればそこはまだ新宿区ではないけれど、今ではこの壁の中は全て【新宿】と呼ばれているから、まぁそんなものだ。

 その中に入るのに抵抗があるのは分かる。分かるが、ここまで来ておいて何を言っているんだという気持ちだってある。怖いのなら、嫌なのなら、最初からついて来なきゃよかったんだ。


「その建物の中に入れ!」


 壁の中に入った途端に変わった空気に怖気づいた学生たちをリーダーの男が引っ張って立ち上がらせ、俺が指示した建物に向かって走り出す。

 俺も、真っ赤に染まっている手を見詰めていた女を抱えて立ち上がらせた。すでに女の手の血は、乾き始めている。

 壁の中は、基本的には無音に近い。音が完全に無いわけではないが、この季節にはあの花びらがまるで雪のように音を吸い込んで遮断して、遠くまで音を届けてくれないんだ。そして、悪魔どもは目が退化している影響でよく音を聞いて動く。

 つまり、静かにして息を潜めていれば、見逃してくれる可能性が高い。

 こいつらが静かにしていてくれれば、だけども。


「このままここでじっとして。俺が戻るまで、音を立てるなよ。」

「……何処へ行くんだ?」

「相棒を置いて来てる。応援に戻る」

「い、行かないで下さい……っ」


 一番近くの建物の中に駆け込んで地下室に入ると、途端に外部からの音は遮断されてしまった。ここはまだそこまで花びらが来ているわけではないのだけれど、それでも地下という立地のお陰で音はあまり外部には漏れないだろう。

 だから相棒の応援に……と思ったんだが、必死に俺に縋り付いてきている学生どもを見ると、これでは無理そうだとため息が出てしまった。

 手を真っ赤にした女はまだじっと手を見詰めたままだし、気の強そうな眼鏡の女は何か細長いケースを抱えたまま小さく震えている。泣きながら懇願してきたのはさっきも中に入るのを渋っていた小さい少年だ。多分、一番年下。

 残る背の高い二人のうち一人は女の間で何かオロオロとしているし、唯一冷静に見えるのは壁を殴ったリーダー格の男だけ。それだって、強張った顔で必死に息を整えているような状況だ。

 こりゃあ、ほっといたらパニックになりかねない……

 俺は一度だけ溜息を吐くと、無言で立ち上がって入り口を閉じて施錠し、また学生たちの所に戻る事にした。

 相棒なら大丈夫だろう。この程度の悪魔に殺されるようだったら、俺たちは最初からここには来ていない。


「……んじゃ、まぁ。まずはお前さんたちの名前から聞こうか?」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?