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第6話 塩味ワイバーン~ちょっと固いパンを添えて~

 ──5月15日、夜。

 迅は廃墟の中で見つけた水道の前で調理を始めた。

 私の水質調査キットで水質が「問題なし」と判断された瞬間に、嬉々として。


 ワイバーンを食べるには、まずその分厚い皮を剥ぐ所から始まる。

 本来しなければいけない血抜きは相棒──迅がすでに終わらせていたから、不要だ。

 問題は、ワイバーンの分厚い皮そのもの。


 ……だがその皮は、何の躊躇いもなく、迅がザクザクと皮を剥いでいく。

 しかも、かなり手慣れた様子で、だ。

 いいのかその日本刀そんな風に使っても……と思いはするが、かといって使えそうな刃物は迅の物くらいしかない。

 私の脇差しは、ワイバーンの皮剥きにはちょっと小さいのだ。


 頭と首の付け根深く刀を突き刺して、そのまま少しだけ下にずらす。

 少しだけ皮と肉の間に刃が入ったら刃物を抜いて、そこを手で掴んで思い切り──剥いていく。

 かなりパワーの要る作業だが、出来ない事はないと私と迅は知っていた。


 何しろ、私たちはワイバーンを食うのが初めてじゃない。

 〝新宿〟ではないけれど、以前参加した現場で必要に迫られて一番食べられそうな形状をしていたワイバーンを捕まえたのだ。

 あの時はほんとに、他に手段がなかった……と、思う。

 空腹と【悪魔】を食うことの狭間で揺れている間に、迅が捕まえてきたとも言うけども。


 その結果、私たちはこの形の【悪魔】を食べても人間は死なない事を知っている。

 し、案外不味くはない事も、知っちゃっているのだ。

 不本意ながら。


「嘘でしょ……前科があったんだ……」

「前科って言うなよ……あの時はしょうがなかったんだって……」

「今は? 今もしょうがないの?」

「しょうがない……の、かなぁ?」


 切り込みを入れた皮の端っこをグッと掴んで、思いっきり引っ張りながら下ろす。

 それだけでワイバーンの皮は簡単に剥ける。いっそ気持ちがいいくらいだ。

 しかも相棒の手際が驚くほどいいと来た。

 黙々と剥いでいき、ある程度剥いだら今度はその皮を火種に火を起こしている相棒を見守る。

 ワイバーンの皮は脂肪がたっぷりついているからよく燃える。そんな事を発見したのも、前に相棒とアレを食べた時だった。


 皮の外側は頑丈で、迅くらいの力と武器でなければすっぱりと切るなんて事は出来ない。

 だが、剥いだ皮の内側にライターの火を近づければ、そこから以外なくらいにパッと火が付く。

 しかも外側は頑丈なお陰で、薪やなんかを使わないでも土の上やコンクリートの上でそのまま燃えてくれるのは、結構有り難いものだ。

 きっとこんな事は、〝外側〟の人間は知らないだろうけれど。


 味の方はなんというか……鶏肉に近かった、と、思う。強いて言うのなら、だけども。

 ちょっと脂の多いまろやかな鶏肉というか……実を言うとワニ肉に似ている。

 なのだけど、高校生たちがワニ肉を食べた経験があるとは思えないので例え話には出来ない。


 食べ方は、結構豪快だ。

 迅が持っているコンバットナイフで細かく切ってから、パンに乗せて食べさせる。

 パンは、私が非常用食料として持っていたものだ。パンを皿にして肉を食べて、最後に脂の染みたパンを食べる。

 これがまた意外と美味くて、委員長以外の高校生たちは無言で食べていた。

 味付けは塩だけ。これも、いざって時の非常用として持っていたものだ。

 まさかこんな速度で使う事になるとは思わなかったけど、まぁ美味いからいいか……って気分になるくらいには、美味い。


 まずは肉だけを、指で摘んで一口。

 口に入れた瞬間に感じる塩味と、その直後にとろっと蕩ける脂の味は思っているよりもずっと美味い。

 臭みもなく、火を入れれば白っぽくなるその肉は、普段食べる肉とは見た目的にもそう変わらないのだ。

 だから抵抗なく食べられて、しかもちょっと火で炙る時間を長くするとカリカリになる表面が、また美味い。

 カリカリにすると、表面の焦げにじわっと浮かぶ透明の肉汁が、口の中で弾けて熱い。

 が、一度パンの上に乗せればパンがその脂を吸い取ってくれるのでいい具合に塩味だけが肉に残った。


 にんにくがあればきっともっと美味しかったんだろうなぁ。

 ちょっと悔しく思いながら遠慮なく肉を食って、最後に脂しみしみのパンを口の中に放り込む。

 これがまた美味いのだ。パンは元々非常用でちょっと固いやつだけれど、脂が染みればそんなの問題にならない。

 口に入れた瞬間にパンに染み込んだ肉汁がじわっと溢れて、パンの淡白な味と脂と塩の味がまるでスープにつけたかのように柔らかく、食べやすくなる。

 高校生たちも思っていたよりもちゃんと食べてくれていて、良かった。


 唯一、一条可奈子だけは肉の乗ったパンを持ったままぼんやりとしている。

 血で染まった手は、水道で洗ってはいるはずだ。

 だが、多分洗ってもなんとなくその感覚が残ったままなんだろう。

 初めて触れる他人の血液のぬるつきは、しばらく取れないものだ。

 私にも経験があるから、分かる。


「さて、じゃあお腹がいっぱいになったところで」

「……なんだ」

「いや。君等まだ学生だろ? ただ課題のためにわざわざここまで来たとは思えなくて」


 可奈子の事は一先ず放置しておいて、私は改めて高校生たちに話を振った。

 とっくに食べ終わっていた高校生たちは、私の言葉を聞いてちょっとピリッとした空気を出す。

 警戒しているんだ。

 多分、私たちに本当の事を言いたくない、とかじゃなくて、連れ戻されるかもしれない、という方の意味で。


 こういう場合、私と迅が彼らを「連れ戻す」かどうかは、微妙な所だ。

 元のドアはあの微小サイズの蟲のせいで近づくことも出来ないだろう。

 となると別のドアを探さないといけなくて、高校生たちだけでそこまで行かせる──なんて事は、流石に出来ない。

 この〝新宿〟で武器も何も持っていない学生を放置していくなんて、間接的な殺人だ。


 私たちの任務は〝新宿〟の調査だが、こうなっては仕方がない。

 せめて、一番近くの出入り口まで高校生たちを連れて行ってやるのが優先事項だろう。

 私はザックの中からマップを取り出すと、まだ肉を食っている迅にも見えるように床に広げた。


「私たちはここから、ここの扉を目指すつもりでいた」

「さっき入った所から、丁度対角線上ですね」

「うん、そうだね。でも、君たちが居るから、これは中断して一番近い……ここを目指す事になる」

「……近い」

「そうだね、近い。でも、武器も食料も持っていない君たちを連れて歩くには、それが限界なんだ」


 武器だけでなく食料についても言及する。

 と、一番地図に顔を近づけていた真壁誠士郎と三浦光輝が悔しげに顔を歪めた。

 高校生たちの持ち物は、久我山灯の持っている細長い竹刀ケースくらいのもの。

 飲み物どころか食料すら持っている気配はない。よくもまぁこんな持ち物で〝新宿〟に入ろうと思ったなと思ってしまうくらいだ。


 今回ワイバーンを食ってそれを実感したのか、高校生たちからの反応は薄い。

 一条可奈子も、手にしていたパンを少しだけ、齧った。婚約者を持つような家柄の子には、この食べ方だけでも慣れないものだろう。

 今後また【悪魔】を食べるかもしれない可能性を考えれば、一刻も早く外に出してやりたい。

 私の手持ちの食料だけじゃ、流石にこの人数は無理だ。


「……俺は、そう簡単に外に戻るわけにはいかない」

「真壁くん……」

「そう言われてもね……何かちゃんとした理由はあんの?」


 無言で肉を食いながらこちらを伺っている迅と、軽く視線を交差させる。

 真剣な表情をしているのは真壁誠士郎と、久我山灯だ。他の連中は、なんとも言えない表情をしている。

 この様子から察する事が出来る事と言えば、ちゃんとした理由があるのはこの2人だけで、他はそこまで重い理由はない、のかもしれない。

 実際、さっき可奈子は中に入ろうとしていた連中を止めに来ていたようだった。

 彼女は完全に、「巻き込まれた側」の人間だ。


「俺は……」


 ぐっと、真壁が眉間に深いシワを刻む。

 その表情には、深い怒りと苦渋が滲んでいた。

 全員17歳だとは聞いていたけれど、真壁のソレはまるで17歳とは思えない、老成したものを感じさせる。

 隣で心配そうにしている三浦とは、真逆の感じだ。


「……俺の母さん、都庁で働いてたんだ。あの花が咲いた日、たぶん、あそこに居た」

「──!」


 やがて吐き出された彼の苦々しい言葉は、その場にいた全員に衝撃を与えた。

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