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第7話 閉ざされた新宿で

 真壁誠一郎の母は都庁職員で、たった一人で子供たちを育て上げた人だったという。

 真壁には妹が一人いたが、彼が高校に進学してすぐに病死した。

 その後、母1人子1人で互いを支え合いながら生きてきた、と。


──5月15日 深夜


 そんな話を聞かされて、今すぐに外に戻れと言える程、私は心無い人間ではなかったようだ。

 廃墟の中。私達は一番安全な窓のない地下の一室で眠る事にした。

 階段の上にある焚き火の仄かな明るさだけでは地下室全体は照らせないけれど、今はそれでいい。

 結局あまり食べなかった一条可奈子も、べそをかいていた三浦光輝も、何とか眠りにつけたようだ。

 それには、彼らの傍に寄り添っている梓と真壁の存在も大きいだろう。


 梓はリーダーでもなければ委員長でもないけれど、高校生の中では一番ハキハキとした子だ。

 肉を一欠とパン切れ一枚しか食べられなかった可奈子の事を案じて、自分から傍で眠った。

 三浦は、自分から真壁の傍で眠った。それに何も言わなかった真壁は、子犬を受け入れる大型犬のよう。


 心配なのは、久我山灯だ。

 彼女は未だに眠らず、木刀が入っているという細長いケースを抱えて焚き火の傍に座っている。

 交代で見張りをすることになっている迅はすでに自分のザックを枕に眠りに落ちているし、起きているのは私と彼女だけ。


「眠れないかな?」

「…………」


 灯は、話しかけても滅多に口を開く事がない。

 まぁ食事はちゃんと食べてくれたので可奈子よりは大丈夫かなとは、思う。

 けど、彼女は彼女で、何か理由があってここに居るのは間違いがなさそうだ。

 だってそうじゃなきゃ、使えるかどうかは別として武器を持参してなんて来ないだろう。

 自分で、なんとしても〝新宿〟を歩いてやるという決意が、多分あの木刀。

 高校生なのに、なかなかやる気満々な子だ。


「誰かを探してる?」


 こういう場合、真壁と同じように誰かを探している、という理由が一番大きいはずだ。

 灯は私の言葉に少し顔を上げたし、焚き火を反射する眼鏡の奥の目はよく見えないけど。

 きっと、間違ってない。

 彼女もきっと、誰かを探してる。


「家族? 恋人とか、かな?」

「…………家族よ」

「家族か……」

「あたしは、外に居て……戻れなく、なって……」

「……外、か」


 こくりと頷いた灯は、さらに強く、ぎゅうと木刀のケースを抱え込む。

 彼女の声は小さくて、ともすれば聞き逃してしまいそうにか細くて、今にも消えそうな声だった。

 けれど、悔しげに歪んだ顔から、その口から絞り出された言葉に、私は言葉を失ってしまう。

 両親と、祖母と、姉と、弟。

 彼女は端的にそうとだけ言ったが、私にとってその言葉は衝撃的で。

 けれど、すぐに「あぁ」とため息がこぼれた。


 想像したことがないわけじゃない。知らなかったわけでもない。

 〝新宿〟が今のようになる前には、〝新宿〟にはあの馬鹿みたいにデカい樹よりも【悪魔】による殺戮の方が大問題だった。

 最初の頃は【悪魔】という名称すらもつけられていなかったバケモノ。

 その存在は、まだ逃げるとか逃げないとか、そういうものを選ぶ以前の普通に生活をしていた人々を食って、殺した。


 一家全滅した話も聞いた。

 母親が赤ん坊の娘だけを抱え込んで、ギリギリでその子だけが生き残った話も聞いた。

 父親が子供を捨てて一目散に逃げて、子供だけを失った家族の話も、聞いた。

 そういう話の中で一番多かったのは、〝新宿〟が今みたいに高い壁で封鎖される事になったその瞬間に立ち会えなかった、学生の話だ。

 まさに、今の梓みたいな、苦しい環境が出来てしまった原因。

 それでも、あの頑丈で何で出来ているかもわからない壁は、急ピッチで製造が進められた。


 何としても【悪魔】をこの中に留めなければいけない。

 なんとしても、黙示樹の影響を〝新宿〟の外に出してはいけない。

 そんな思いからあの壁は製造された。全ては、命を守るため、だ。


 そしてたった1日だけ逃亡猶予が与えられた後に、壁は〝新宿〟を閉じ込めた。

 鳴り響くサイレンの音と、一刻も早くこの地域から退去するようにというアナウンス。

 あの瞬間はなんだか凄く異常で気持ちが悪かったなと、思い出す。

 自衛隊とか、警察とか、ウチの上司だとか。

 そういう「武器を持った人々」に何とか助け出されたのは、一体何割くらいだったんだろう。


 行方不明者は当然居た。

 自分から出てこなかったのか、出ようとして【悪魔】に食われたかはわからない。

 唯一ハッキリしているのは、この壁が建造されたのが去年の秋の初めだったからか、学生は比較的多く生き延びたという事。

 例えば体育会系の生徒は合宿だとか、長時間の練習だとか。

 そういうもので家を離れている時に、〝新宿〟は封鎖されたんだ。


 灯は、そうやって部活に励んでいる間に「戻れなくなった」1人なんだろう。

 そういう生徒のための保護プログラムは国がちゃんと発表していたはずだ。

 けど、その保護プログラムはあくまでも「対象となる学生」を保護するためのもので、家族との再会のサポートなんていうのは、保護対象外。だから、生き延びても家族と会えないことの方が多かった。

 しかも自分を保護してくれるはずの親戚とマッチングすら出来ず、施設に入る生徒も居た。

 あぁ本当に……胸が詰まるような話ばっかりだ。


「……馬鹿だと思う?」

「思わないよ」

「……分かってるのよ。もう1年よ。生きてるわけがない。わかってるわ。わかってンのよ。でも、諦められないんだから、しょうがないじゃないっ」


 灯は、ぎゅうと木刀のケースを抱き込みながら、膝の間に顔を押し付けた。

 泣いてるのかな。いや、それはないか。

 この子は、強い子だと思うから。


 何より彼女は、現状をよく理解している。

 今現在の〝新宿〟で、1年間【悪魔】から隠れて生き延びている人間が居るとは、思えない。

 もし居るのだとしたら、ソイツはきっと【悪魔】を味方につけているか、本人が【悪魔】なんじゃないかと思ってしまう程。

 それほどまでに、〝新宿〟の環境は過酷なのだ。


「……そうだね。生存確率は限りなくゼロに近いと思う。君が見つけるのは、死体の方が早いかも」

「それでもいい……それでもいいの。死んでいるか生きているかも分からずに待っているのが、嫌なだけなのよ……」


 灯は、膝に顔を押し付けて真っ直ぐに焚き火を見ていた。

 もし発見されたのが死体でもなんでもいい、だなんて、女子高生がしていい苦労じゃないだろう。

 それでも彼女は、曖昧な「行方不明者」ではなく、明確な言葉を欲しているんだ。

 そのために、自分の持てる全てを使って戦おうと、している。


 あぁもう、こんな状況じゃなければスカウトしたい所だ。

 彼女は、年齢にしてはあまりにも精神的に成熟しすぎている。

 それを言えば真壁も、梓もそう・・かもしれないから、覚悟の程も知れるってものだ。

 特に彼女はきっときちんと訓練を受けたなら、おお化けに化けるタイプだと思うだけど。


「それならそれで、ちゃんと休んでおいたほうがいい」

「…………」

「私と迅は、君たちを外に連れて行くと約束するよ、でも外までの間に何をどうするかは……完全に白紙状態だし」

「……!」


 パッと、灯が顔を上げる。

 彼女の中では、私と迅は無理にでも外に引きずり出す邪魔者に見えていたのかもしれない。

 まぁそれもあながち間違いではない、けども。

 それでも、私達だって鬼じゃない。

 どうしたって外を目指さなきゃいけない今みたいな状況でも、最終的にスッキリして外に出られるのであれば手伝ってやったっていい。

 そうやって思う程度には、私たちだって甘い部分はあるのだ。


「……ありがとう」


 灯は、初めてはにかんだような笑みを見せた。

 それは、私達が初めて見る、彼女の安堵の笑顔だった。

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