「お前は俺を愚弄したいのか!」
地鳴りのような怒声が響き、足に衝撃が走る。立っていられなくて崩れ落ちるように座り込んでしまったが、助けようと近寄ってきてくれたのは侍女のシャンティだけだった。
「ご気分を害してしまいましたのならば申し訳ありません。ですが」
「この俺に口答えをするな!」
怒りに満ちた視線が、罵声が降り注ぐ。王子の足がまた動いたので、シャンティが動く前に私が前に出て二発目を受けた。床に蹲る私を見て溜飲が下がったのか、王子は取り巻きを連れてこの場から去っていく。
「シャルロット様、一旦お部屋に戻りましょう。腫れてしまう前に冷やさないと」
「いいえ。王様と王妃様への謁見許可をもらいに行ってきて」
「ですが、その足では!」
「これくらいの物的証拠があれば、流石の二人も動くでしょう。手当はそれからで良いわ」
「でも……そんな、真っ赤に腫れていては、歩くのにも差し障りが」
「あのまま王子の暴挙を野放しにしている方が危ないわ。愛人を沢山作るのは勝手だけれど、愛人達に良い様に金づるにされているのは王家の権威に関わる。その辺りの実情を伝えれば、二人も動いて下さるでしょう」
我が儘で、癇癪もちで、すぐに暴力を振るって、金遣いが荒くて女癖が悪くて……王子の汚点を上げればきりがない。結婚式当日の夜だって、薄気味悪い色彩の女など願い下げだと言い放った挙句私を放って愛人達と遊び惚けていたのだ。それが、私への侮辱である以上に自身の権威を貶めているという事に、どうして気づかないのだろう。
そんな身勝手な行動ばかりしていては、低俗な輩に舐められて好き勝手に搾取されるばかりだ。そんな状態で王子が王になれば、この国は間違いなく破滅へと向かう。
(……王子の破滅に巻き込まれれば、その妃もただでは済まない)
だからこそ、私が代わりに嫁ぐと言ったのだ。お姉さまは、きっと自身の夫となったあの男を改心させようと尽力するだろうけど、間違いなく徒労に終わるだろう。それどころか、利用されて罪を全部なすり付けられ、理不尽な重罪を課される可能性だってあるのだ。
痛みを気合いで堪え王と王妃へ王子の遊蕩ぶりを報告した後で、ようやく自室へと帰ってきた。これで、しばらくは二人が諫めて下さるだろう。
「……ねぇ、シャンティ」
「はい」
「アトラスから手紙が来たって言っていたわよね?」
「ええ、届きましたよ。シャルロット様宛に分厚い手紙の束と贈り物、私にもねぎらいの一筆を下さいました」
「そう。それは良かったわね」
「はい。手紙が束になっているのは、アトラスの孤児院の子達もそれぞれ書いてくれたからのようですね」
「贈り物って言うのは?」
「こちらの巾着袋です。持った感じは軽いですね」
「ありがとう」
そう言って、にこにこと笑っているシャンティから荷物を受け取り、巾着袋のリボンを解く。まともな味方がいないこの王宮で、彼女の笑顔にどれだけ救われた事だろう。
「何でしたか?」
「ハンカチだったわ。全五色」
「白、薄ピンク、薄水色、薄紫、ベージュ……端の処理もしっかりされてて色ムラもない。相変わらずの腕前ですね」
「披露宴で着るカラードレスの制作にも関わったと聞いたわ。染め物以外にも色々極めるつもりかしら」
「アトラスは上質な絹の産地ですし、関連産業も盛んですからね。今度ドレスを新調なさる時は発注してみては?」
「そうね、考えておくわ」
ハンカチを畳んで脇に避け、今度は孤児院の子達の手紙を順に確認する。全てに目を通し、小箱に仕舞った後……軽く呼吸を整えてからお姉さまの手紙を開いて読み始めた。
「……何だかんだ、仲良くやっているみたいね」
「そうなのですね。スカーレット様は前向きで一生懸命な御方ですから、大丈夫だろうとは思っておりましたが」
「そうね……私とは違って」
「何を仰います。シャルロット様も一生懸命な努力家ではありませんか」
「そう言ってくれるのは、貴女とあの人……お姉さまくらいのものよ」
それで十分だけれど。だって、褒められたいから頑張った訳ではなくて、周りに負けたくなかったから頑張っていたのだ。
どうせ皆結果しか見ないのだから、その過程を褒めてくれる人なんていないと思っていた方が良い。誰もが神様に愛されている訳ではないのだ。大半の人間が、救いの手なんて差し伸べられなくて毎日を足掻いている。それが嫌で抜け出したいと言うのならば、自分で道を切り開いていくしか方法はない。
自分からこうしたい、してほしいと働きかけて、主張して、ようやく話を聞いてくれる人や協力してくれる人が現れるかもしれない……世の中なんてそんなものだ。だからこそ、自分の事は自分で守って、自分の未来は自分の手で切り開いていくという意識でいないといけないと思っている。そうでなきゃ、守りたいものだって守れない。
「でも良かったわ。お姉さまが幸せならそれでいいの。やっぱり、アトラス伯爵に任せて良かった」
あんなお人よしじゃ王宮では生きていけない。あの心優しい姉が、王子その他の身勝手な仕打ちでボロボロに疲弊していく姿は見たくなかった。たとえ贅沢は出来ないとしても、穏やかに平和に暮らしていて欲しかった。
「……シャルロット様」
気遣わしげな優しい声で、自分の名前だけが紡がれる。こういう時に無駄な言葉を連ねるタイプではないから、受け止めて自分の中だけにしまっていてくれるタイプだから、彼女の前でだけは安心して本来の自分でいられるのだ。
「明日は来賓の相手だったわね。王子は当てにならないから、私がしっかりしなきゃ」
「ドレスやアクセサリーは私が見繕っておきますから、今日はお早めに休んで下さいませ。一日中歩く事になりますから……少しでも休めて、酷くならない様に備えておきませんと」
本当は予定を全てキャンセルしてほしいくらいですけれど、聞いては下さらないでしょうから。じとっとした目で見つめてくる優秀な侍女に、私の事を良く分かっているわねと言葉を掛ける。気遣いだけ受け取っておくわと続けた後で、足を冷やすための氷とタオルを追加で持ってくるよう言いつけた。