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第4話 もう誰もいないから

『はじめまして。私がスカーレットよ』

 私が七歳の時に目の前に現れた、私の姉だという三つ上の少女の姿を今でも鮮明に思い出せる。チョコレートブラウンの色をした長い髪は緩く波打っていて、アメジスト色の瞳はキラキラと煌めていて、溌剌とした笑顔を向けてくれた。そんなお姉さまの姿を見て、この前お祖父さまが持って来てくれた宝石みたいだな……と思ったのも覚えている。

『あのね、初めましてだからプレゼントを持ってきたの。気に入ってくれたら嬉しいわ』

 そう言って手渡された、丁寧にリボンで結ばれた巾着袋。何が入っているんだろうと思って、わくわくしながらリボンを解いて……中身を出そうとした瞬間、隣にいたお母様が巾着ごと奪い取って床に叩きつけた。

 ヒステリックに叫ぶお母様のヒールに、何度も踏み付けられていた巾着。我に返ったお姉さまが何をするのだと言って取り返そうとしてくれたのだが、暴走したお母様は……お姉さままで一緒に蹴り飛ばし始めた。痛い、痛いと泣いているお姉さまと無残な姿になった巾着、誰も目を合わせてくれないメイド達……私が止めないとと思ってお母様の腕にしがみつき、必死に叫んだところでお姉さまの侍女とシャンティが来て助けてくれた。

 その後、シャンティが巾着を拾ってくれていたので、贈り物は無事私の元に届いた。チェリーピンクの髪とワインレッドの瞳という特殊な色合いの私でも使えそうな、濃い目のコーヒーブラウンのリボンだった。

「……もうそんな時間?」

 ドアの外で物音がしたので、意識が一気に現実へ引き戻される。目を開いた瞬間現れた、相変わらずの無機質な天井に思わず溜め息が漏れた。

 嘆いていても仕方ないので、起き上がってドアの方へと向かう。係から食事が乗ったお盆を受け取り、テーブルについて無言のまま食べ進めていった。

(……いつまでここにいなければならないのだろう)

 恐れていた事態が起こってしまった。王子はとある高級娼婦に入れ上げて、自身の財では足りなくなったからと言って国庫に手を出した。それを……花街通いを怒った私に手切れ金を渡して来いと言って渡されたのだ、国庫から横領したのは私の方だと言って、私に罪を擦り付けて自分は無実と言い張っているのだ。

 とはいえ、私が今まで王子の花街通いを黙認していて、後継ぎ問題になったり刃傷沙汰になったりしなければ口を出す気がないという態度でいるのは周知の事実だ。そして、王子が花街に入り浸って遊んでいる姿は沢山の貴族が目撃している。俺は王子だ、花街に金を落とす事で娼婦たちを養ってやっているんだ……聞くに堪えない下卑た理由で、自身の金遣いを正当化しようとした。流石に、こればかりは許容できないと言って王も黙ってはおらず、王子が無罪になる事はないだろう。

 だけど、無実であるはずの私の罪は晴れなかった。花街通いは黙認していても、自身を蔑ろにされて面白くなかったんだろうと嗤う輩が半分、王子の振る舞いが王家の権威に関わると危惧しての事だろうという同情的な意見が半分。だけど、皆、私も共犯なんだろう、いや、私が国庫に手を付けた張本人なんだろうという疑いは向けたままだった。シャンティまで疑われては堪らないと思ったので、王子の放蕩が目に余るようになったタイミングで無理やり暇を出していたのだけれど、その後の調査ぶりを見ている限り正解だったと言えるだろう。

(……あれだけ頑張ったのに、こんな悪手しか選べないなんて)

 自分の愚かしさに腹が立つ。私がもっと才知に溢れる人間だったなら。もっと賢くて、策略に長けていて、立ち回りや協力の取り付けが上手かったなら。大事な人を遠ざけ引き離す事で守るなんて、そんな真似しなくて済んだのに。

 努力はしてきた。学内や国内の試験とか、貴族の嗜みとしての美術品や芸術への知識とか、舞踏会でのダンスとか。他にも、貴族の令嬢なら知っていて当たり前と言われるしきたりやファッション、取引の仕方や帝王学、使えそうな知識は手あたり次第何もかも。だけど、きっと、それだけじゃ足りなかったのだ。

「……ひとりは、さみしいわね」

 優しく微笑んでくれた姉は他家の妻となった、一番傍にいてくれた腹心の侍女は自分から手離した。

 それなのに、今更、手を差し伸べてほしいなんて……助けてほしいなんて、言える資格はないのだ。


 ……だけど。

 ……それでも。


「だれか、たすけて……」


 こんな場所にいたままではいたくない。まだまだ知りたい事や、やりたい事や、行ってみたい場所が、いっぱいあるのだ。外に出て、色んな町へ行って、沢山の事に出会いたいのだ。だから、どうか。

 涙が後から後から溢れてきて、頬と枕を濡らしていく。泣いたって何も変わらないのは分かっているけれど。だけど、今だけは、一人で牢獄にいる今だけは。


 誰も見ていないから、泣いてもいいだろうか。

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