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第2話 悪夢

「お嬢様、ベアトリクスお嬢様! ご無事でございますか」

 扉が激しくノックされて、私は目を覚ます。目に入るのはいつものベッドの天蓋。

 ひどく苦しい夢を見ていた気がする。息苦しくて、胸が過剰に上下している。けれどなんとか呼吸を整える。聞こえてくるのは、ばあやの声だ。

「入ってちょうだい」

 ベッドから上体を起こすと、私が小さい頃からつきっきりのばあやが、小走りで部屋に駆け込んできた。

「大丈夫でございますか。部屋の外まで聞こえるほど、うなされていらっしゃいましたよ。もう平気なのですか。ばあやは心配で心配で」

 近頃めっきり老いた気のするばあやは、顔をくしゃくしゃにして私に抱きつかんばかりだ。

「大丈夫よ、ばあや。たしかに苦しい夢を見ていた気はするけれど……もうなんともないの」

「さようでございますか?」

「ばあやは心配性ね」

 私が笑ってみせるとばあやはようやく落ち着いたようで、「あら、私ったら」と目尻にたまった涙を拭きながらそそくさと廊下へ出て行った。ほどなくして、銀色の小さなワゴンを押して戻ってくる。


 ばあやは私がまだ上体を起こしただけのベッドの隣にワゴンを止めて、洗顔用の水が入ったボウルを勧め、タオルを差し出す。

「ありがとう。今日の天気はどうかしら?」

「今朝は雨でございます。お嬢様が苦しい夢をご覧になったというのも、この雨のせいかもしれませんね」

 私が洗顔を済ませると、ばあやは銀のプレートを差し出した。

「お嬢様宛てでございます」

 プレートのうえには白い封筒がひとつと、小さな包みがひとつ。きっと包みの中身は小瓶だろう。そう思いながら私は手紙を手に取り、封蝋を見た。少し驚く。

「お父様からだわ」

 たしかに私はいま、お父様の元からは離れている。夏の避暑として、従妹の別荘を訪れているからだ。

(お父様が私に何の用だろう? お父様の傍にはエトヴィンお兄様もいるはずだし、私がいなくたって何の支障もないはずよ)

 私が考えている間にばあやは手際よくペーパーナイフを差し出してくれて、私はお父様からの手紙を開封する。封筒には紋も浮かび上がっており、便箋には間違いなくお父様の筆跡で、次のように記されていた。


『我が娘・ベアトリクスへ

避暑地での居心地はどうだ?

おまえの従妹・アメリアとはうまくいっているだろうか。

今日はひとつ、おまえに頼みたいことがあって手紙を寄越した。

重大な頼みだ。

ここから先は誰にも口外することはならぬ。

また、読み終えたらこの手紙は一片残らず燃やしてしまうように。』


──嫌な予感がした。

 アメリアは私のひとつ年下の従妹だ。お父様のお兄様の娘になるから、私の従妹。そしてお父様のお兄様は国王。アメリアは国王の娘。つまり王女。しかも第一子が国王となるこの国では、彼女は次期女王でもある。

 そんな彼女に、私は良い感情を抱いてはいなかった。

 プラチナブロンドの巻き毛は私の漆黒のストレートヘアとは正反対。大きな青い瞳はおっとりと輝き、それも私の少し吊り上がった赤い瞳とは対照的だった。

 アメリアは絵に描いたような、「誰にでも愛される美少女」だった。加えて次期女王。

 私は知っている。アメリアと私の両方を知る者たちが、次期女王がアメリアのほうでよかった、と囁き合っていることを。何も知らない民衆たちまでもが、そのように噂していることを。


「お嬢様?」

 ばあやの声が私を現実に引き戻す。

「あ……なんでもないの。それよりこの手紙。ひとりで読みたいのだけれど、いいかしら?」

 気付きませんで、とばあやは心底申し訳なさそうに頭を下げた。

「お父上からの私的なお手紙でございますものね。ばあやは引っ込んで参ります。お着替えの段になりましたら、またお呼びくださいまし」

「いいのよ。ええ、また呼ぶわね」

 ばあやは包みとワゴンをそのままに、部屋を出て扉を閉めた。そして私は、再びお父様からの手紙を開いた。


『この手紙とともに、小さな包みが届いたろう。あれの中身は小瓶だ。』

(知ってるわ、あれの中身が小瓶だってことなんて)

 そう思って、なんで知っているのかしら、と私は不思議に思った。それでもひとまず、手紙の続きに目を通すことにする。


『小瓶には「エッセンス」が入っている。

外国より取り寄せたもので、姪のアメリアにはきっと気に入ってもらえよう。

紅茶に二、三滴垂らして飲むのが良いそうだ。

おまえはアメリアの紅茶にだけ、「エッセンス」を二、三滴垂らしてやりなさい。

また、その姿を誰にも見られてはならない。

その役目を誰にも譲ってはならない。

もちろん、間違ってもおまえは飲まないように。』


「エッセンス」? 私は首を傾げる。

(なんのことだろう? けれど──これは、お父様からの”命令”だわ……)

 外国からわざわざ取り寄せた「エッセンス」。

 紅茶に混ぜて飲む──「エッセンス」の味をわからなくする。

 アメリアの紅茶にしか入れてはならない。

 その姿は誰にも見られてはならない。

(──毒殺)

 そんな考えが、私の脳内で雷のように閃いた。

(お父様は、アメリアを毒殺しようというの!?)


 たしかに私にとっても、アメリアは好ましい存在ではない。ばあやとお父様、エトヴィンお兄様しか、私には味方がいない。お母様は五年前──私が十二のときに亡くなってしまった。

 それなのに十六歳のアメリアは、たくさんの味方に囲まれている。

 父親である国王、母親である王妃をはじめ、母方の従兄にあたるクリストハルト、家庭教師のエルンストに、騎士団長のアルベルト、……数え上げるだけで羨ましく、腹が立ってくるほど多くの取り巻きに囲まれている。

 そして次期女王ということもあり、誰からも愛されている。


 けれどいまこの避暑地にいるのは彼らだけ。従兄のクリストハルト、家庭教師のエルンスト、騎士団長のアルベルト。最低限連れてきた、という面々だろう。

 それに対して私・ベアトリクスの供はばあやひとり……。

 私は家でも軽んじられている。そのことには気が付いていた。いくら従妹の別荘に行くだけだからといって、ばあやのほかに供もいないだなんて。

 お父様は私に護衛もつけてはくれなかった。お兄様とは顔を合わせた時に挨拶をするくらいの仲で、ろくに口を利いた記憶がない。野心家のお兄様にとって、何の役にも立たない私は蔑む対象なのだろうと思う。

 それにこのアメリアの別荘でも、私は従者のひとりも付けられていない。ここでの私の味方は本当にばあやだけ。しかも連れ回すわけにもいかないから、行動時はいつもひとり。

 伯父である国王には到着初日の昨日王宮へ挨拶に伺ったけれど、執務中だとかでろくに話も聞いてはもらえなかった。楽しんでくれ、なんて言葉もなかった。ただ尊大に、アメリアをよろしく頼む、と言った。


 私には何もないのに、アメリアはなんでも持っている──。

 この孤立無援の別荘で、私はそれを嫌というほど思い知らされていた。

 アメリアは無邪気に笑って、愛されて。比較して私は冷たい女と見られている。去ってしまうのを待ちわびられている。それをひしひしと感じるのだ。


(決めたわ)

 私はワゴンに乗っていた蝋燭に火を点け、お父様からの手紙をそっと炎に差し入れた。

(アメリアを毒殺する。これは私にしかできないことよ。お父様はきっと、いずれエトヴィン兄上を国王にするつもりだわ。だから私がアメリアを毒殺すれば、お父様もお兄様も喜んでくれるはず……)

 手紙が一片残らずなくなってしまってから私は小包を開けた。なかには、透明な液体が少量入った小瓶がひとつ。

 私は胸元に小瓶を隠すと着替えを始めたが、うまくいかずばあやを呼んだ。

(こんな服、着慣れていないもの)

 私はそう思い、何故そう思ったのかを疑問に思った。

 私は王弟の娘・ベアトリクス。生まれた時から王家の女性のはず。


「お嬢様。本日のお茶会ですが」

 着替えを手伝ってくれながら、ばあやが口にする。

 ちょうど今日は、アメリアがお茶会を計画していた。私の歓迎会という名目だ。本来ならばガーデンテラスで行うはずだったのだが、雨天により急遽室内で行われるようになったという。

 ちょうどいいわ、と私は思った。

 見晴らしの良い外よりも、室内でみなが部屋を出て行く機会があれば、その隙に──。

(今日は八月の二日。このアメリアの別荘に来て二日目、そして帰るのは三十一日。それまでになにがなんでも務めを果たしてみせるわ……)

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