「お嬢様、ベアトリクスお嬢様! ご無事でございますか」
扉が激しくノックされて、私は目を覚ます。目に入るのはいつものベッドの天蓋。
ひどく苦しい夢を見ていた気がする。息苦しくて、胸が過剰に上下している。けれどなんとか呼吸を整える。聞こえてくるのは、ばあやの声だ。
私はしばらくぼうっとしていた。
夢。
苦しい夢。
夢──?
「ばあや、私は無事よ。だからちょっと待って」
ベッドから上体を起こして私は告げる。私が小さい頃からつきっきりのばあやは、部屋の外で気遣わしげに、はいと返事をしてくれた。
(夢……? 本当に?)
ひとりで考えてみれば、夢の内容を思い出すことができた。
私はお父様からの手紙と小瓶を受け取り、お茶会で従妹アメリアの紅茶に小瓶の中身──毒薬──を入れようとする。そしてそこを騎士団長アルベルトに取り押さえられ、毒を呷って死ぬ……。
(私、覚えがある)
はっとする。この夢を見たのはこれが初めてではない。そしてこの夢の内容は……『夢ではなかった』。
私はこの筋書き通りの行動をして、毒で死ぬ。そして目が覚めるとその日の朝に戻っているのではないだろうか。
「ばあや、いるなら入ってきて!」
私は急いでばあやを呼んだ。私の考え通りなら、ばあやはお父様からの手紙と小包を持っているはず。
ばあやは小走りで部屋に駆け込んできた。
「大丈夫でございますか。部屋の外まで聞こえるほど、うなされていらっしゃいましたよ。もう平気なのですか。ばあやは心配で心配で」
「ばあやは心配性ね」
私がなんとか笑ってみせるとばあやは落ち着いたようで、「あら、私ったら」と目尻にたまった涙を拭きながらそそくさと廊下へ出て行った。ほどなくして、銀色の小さなワゴンを押して戻ってくる。
「ばあや、その銀のプレートは何?」
待ちきれなくて洗顔の前に私はワゴンのうえのプレートに言及する。
「これは、お嬢様宛てでございます」
プレートのうえには白い封筒がひとつと、小さな包みがひとつ。私は思い出す。昨日この包みを見たとき、『きっと包みの中身は小瓶だろう』、そう思わなかっただろうか。
私は手紙を手に取り、封蝋を見た。
「……お父様からだわ」
お父様からの手紙の内容は変わらなかった。
送った毒薬をアメリアの紅茶のカップに入れて毒殺しろと、遠回しにそう書いてあった。それから、『ここから先は誰にも口外することはならぬ。また、読み終えたらこの手紙は一片残らず燃やしてしまうように』。この文言も変わらなかった。
私は確信する。手紙という証拠がなければ、私がアメリアの毒殺に失敗しても、お父様は咎められずに済む。これは遊び半分の賭けであって、私がどうなろうがお父様にはどうでもいいのだ。
(そうはさせない)
私はベッド脇の小机の引き出しの奥のほうに、開けないまま小包を押し込んだ。手前には、他人が触るのを遠慮するはずの下着などをぎゅうぎゅうに詰めておく。
それからコルセットの下に、手紙を滑り込ませた。
(絶対にこの手紙は燃やさない。私の潔白を証明する証拠だわ)
***
「それでね、今日のひまわりはすっかり雨にしょげているけれど……きっと明日になれば綺麗に咲くと思うの。だって、愛する太陽の顔を見られるんですもの!」
室内で行われたお茶会の席。
アメリアは夢見るような調子で言う。それを見守り微笑む、アメリアの従兄クリストハルト・家庭教師のエルンスト・騎士団長のアルベルト。
(昨日とまったく同じだわ)
私は確信した。昨日はばあやの声に深く考えることなく起きてしまったけれど、落ち着いて考えればそうとしか思えなかった。
このあと私はアメリアを毒殺しようとして騎士団長アルベルトに捕まり、毒を呷って命を落とす。
これが、昨日からの続きではないのだとしたら。延々と巡回していた事態だとしたら。私は怖くなる。
(早くこの流れを断ち切らなければ……)
毒殺なんてしなければいいのだ。しかしそのまま帰れば、城ではもっと居心地が悪くなるだろう。お父様からは不出来な娘だと、前より叱責が増えるだろうことは容易に想像がつく。こんな妹をもって恥ずかしいと、エトヴィンお兄様からさらに蔑まれるのも目に見えている。
(どうすればいいの……?)
混乱する私の耳に、能天気な声が飛び込んできた。
「お従姉さま、このマカロンおすすめよ。とくにこの……ピンク色! 見た目もとってもかわいいし、甘くてほっぺが落ちちゃいそうなの!」
私はそっとそのマカロンを見た。たしかに、昨日はとても美味しいと感じたのだった。そしてまた思った。現代でもアフタヌーンティーなんかが大人気だけれど、本場のものは比べものにならない……。
(……現代?)
現代って何?
私の頭はいよいよ混乱する。
現代?
アフタヌーンティー?
本物?
「う……っ」
私は頭を押さえた。痛くて痛くてたまらない。
「お従姉さま!? しっかりなさって、私、頭痛のおくすりを持ってくるわ!」
アメリアが飛ぶように部屋を出てゆく。
「アメリア!」
「アメリア様!」
「アメリア様」
アメリアばかりを気遣う三人の男たち。
──私はすべてを思い出した。