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第7話 お菓子づくり

「ここのところずっと雨ね、ベアトリクスお従姉(ねえ)さま」

 アメリアは頬杖をついて憂鬱そうに呟く。

 たしかに、この真夏には珍しく八月二日から今日五日までずっと雨天だった。

「なにか、室内でできる楽しいことってないかしら? お従姉さまご存じない?」

 いや、私は休日雨天には家から一歩も出ずにうきうきで乙女ゲームをしていたから……そんなに憂鬱になることなんてなかったんだけど。だから、乙女ゲームとかどう?なんて言いかけてなんとか踏みとどまる。


「そうね……。お菓子づくりなんてどうかしら?」

 現代で女子力アピールといえば料理!

 料理でもまずはクッキーやマフィンなどのお菓子づくりが入門の定番な気がする。そう思って私はその提案をした。

 アメリアがぷっと噴き出す。

「お菓子づくり? お従姉さまったら本気でおっしゃってるの? それってお菓子職人の仕事だわ。それともお従姉さまはおうちでお菓子づくりをなさるの?」

 いや、私にお菓子作りの趣味はない。最後に作ったの、中学生のときに友チョコへのお返しにクッキーを焼いたときじゃないかな……。

 けれどいまの私は国王弟令嬢・ベアトリクス。

「もちろん、私だってお菓子づくりなんてしたことはないわ。けれど、したことのないことをするのって、なんだか楽しそうではないかしら?」

 ううん、とアメリアが考え始める。

「もちろん、アメリアの料理人たちに場所を代わってもらう必要はあるけれど……。晩餐の支度がまだなら、ね?」

「楽しそう!」

 アメリアは突如前のめりだ。

「あの美味しいマフィンやマカロン、私たちの手で作れたらきっと素敵ね! 何を作りましょう、お従姉さま?」

「簡単なのはクッキーやマドレーヌ……だと聞いたことがあるわ。職人たちだってまずはそのあたりから学び始めるそうよ」

 私はパティシエではないけれど、初めて作ったお菓子はクッキーかマドレーヌだった気がする。なので便宜上そう言っておいた。

「じゃあクッキーにしましょう? 楽しくなってきたわ! 私、厨房の手配をしてくるわね!」

 アメリアは一目散に駆け出して行った。

 そしていつからそこにいたのか……アルベルト様もアメリアを追って駆けて行った。

(びっくりした、いらっしゃったんだ……)

 アルベルト様はいつも影のようにアメリアに付き従っている。頭ではわかっているけれど、あまりの気配のなさに気付かないことも多い。

(推しなのにこの体たらく……!)

 私は文字通り頭を抱える。

(いや、でもこれってアルベルト様の研鑽の賜物よね。私みたいなのほほんとした現代社会人に気付かれているようじゃ、騎士団長なんて務まるわけないもの。本当にかっこいいわ……)

 私がアルベルト様に思いを馳せていると、軽やかな足音とともにアメリアが戻ってきた。

「お従姉さま! 厨房を借りましてよ! 一緒にクッキーを焼きましょう?」

 その背後ではアルベルト様が少しだけ困ったように微笑んでいる。

(やっぱりかっこいい……そしてアメリアを見るこの優しげな瞳! この瞳が私に向けられたなら……)


***


「なかなか難しいのね? うちのお菓子職人たちにもこんな時代があったのかしら」

 バター、砂糖の分量を計るだけなのに、アメリアは本当にお姫様らしく、まったくお話にならない。私もこの不思議な異世界での料理の経験はないから調理器具もどう使うのかよくわからなかったけれど、ちゃんと目盛りはついているからなんとかなりそうだった。

「アメリア、ここを見て。この線がきっと分量を表しているのよ」

「あら、本当だわ! じゃあ、お菓子職人のレシピを見て……砂糖を五十グラム……」

 ようやくバター、砂糖、卵黄を加えて混ぜる段になったと思ったら、アメリアは中身をかき混ぜつつ四方に飛ばす。

「やだ、ほっぺについちゃったわ、お従姉さま!」

「はいはい」

 手のかかる妹のような気がしてきた。

「こんな、力の、いることっ、わたし、したことが、ないわっ!」

 小麦粉を投入してかきまぜ始めると、泣きそうな怒り出しそうな様子。

「たしかにこれは力仕事よね」

 アメリアがまったく役に立たないので私がひとりで生地を混ぜる。疲れてふと息を吐き、背後を振り返るとアルベルト様と目が合ってしまった。

「アルベルト様……」

「はい?」

 アルベルト様が目を見開いてこちらを見る。

「そうよ、力仕事だもの、アルベルトならできるんじゃないかしら?」

 アメリアがまた無茶を言い出す。

「いえ、私は……」

「いいから、お願い」

 私はなんと言っていいのかわからず、黙ってふたりのやりとりを眺める。仲睦まじいな、とだけ、思った。


 クッキー生地は一瞬でできあがった。さすがアルベルト様。あとはこれを型抜きするだけだ。

(でも、型はないのかな? この世界)

 史実とも違う乙女ゲームの異世界だから、勝手がわからない。

「アメリア……型って」

 けれども令嬢なのだから、知らなくても問題ないか。そう思って尋ねようとすると、アメリアはまたどこかへ駆けて行った。慌ててアルベルト様が後を追う。

 ほどなくアメリアは一抱えもある型を持って戻ってきた。アルベルト様まで型を抱えている。

「お菓子職人長が、あるだけの型を貸してくれたわ! いまは流行らないからって使っていないものもあるんですって。これだけあれば、いろいろな形のクッキーが作れてよ!」

「素敵ね、型がこんなにたくさん。どれを使うか迷ってしまうわ」

 生地もそんなに作ってないし、おそらくアメリアのせいで分量はめちゃくちゃだし……と私が悩んでいると、アメリアは快活に口にした。

「全部使えばいいのよお従姉さま!」

 アメリアの無邪気な言葉に、私は元の世界のマリー・アントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」発言を思い出す。

ともあれ、ようやく私たちはクッキー生地を型抜きする段階にこぎつけた。

「ここからは乙女の時間だから、アルベルトは出て行って!」

そんな無情な言葉をかけられ、アルベルトは厨房の外で待機するはめになってはいるが……。

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