「私ね、お従姉さま。これは秘密なのだけれど、好きな人がいるの」
「え、まあ」
クッキーを焼いているとき、アメリアがそんな話を始めた。
ゲームにはないやり取りだった。そもそも『私が』お菓子作りを提案した時点で、ゲームのシナリオと私の『いま』は変わってしまっているのだった。そこにようやく気付く。
「訊いていいのなら、どなたなのかしら」
アメリアは周囲をきょろきょろと見回して、私の耳元で打ち明けた。
「エルンスト……なの」
「家庭教師の?」
「そうよ」
エルンスト。銀色の長髪にメガネの家庭教師。アメリアとは結構年が離れているはずだ。
私はこのキャラの攻略にわりと苦労した覚えがあった。子どもだからと相手にしてもらえなかったのだ。けれど、そう見えるのは表面上だけ。ワガママに攻めていくと内心好感度がぐんぐん上がってメロメロになってくれるのだ。
アルベルト様がアメリアの眼中にないということは、私にとって喜ばしいものだった。まあ、アルベルト様は攻略対象じゃないから、アメリアがそう思うのも無理はない……いや、そのへんってどうなってるの?
私の提案でクッキーを作ることになるくらいだから、すべて変わっているのでは……?
「ねえお従姉さま、エルンストを振り向かせる、なにか良い方法はないかしら?」
良い方法と言われても……。
私は考える。たしか、エルンストは甘いものが大好きな、ものすごい甘党だったはず。ゲーム中にはアメリアの手料理にお砂糖をドバドバかけて泣かせるエピソードがあった気もする。
「……そうね、エルンストに好きな食べ物はないの? たとえば、いまクッキーを作っているでしょう? こんなふうに、好きな食べ物を作ってプレゼントするのも良いかもしれないわ」
アメリアは飛び上がって喜んだ。
「そうよ、エルンストは甘いものが大好き! とくにお菓子には目がないの。このまえのお茶会でも、お菓子をすごく気に入ってくれたみたい」
「だったら、このクッキーなんてどうかしら?」
私の言葉にアメリアは目を輝かせる。
「まあ、なんて素敵なタイミングなのかしら! ありがとう、お従姉さま。私、クッキーが焼き上がったら、これをエルンストに渡すことにするわ。お従姉さまは?」
「私? 私は……」
アルベルト様は甘いものお好きだったかしら。私は記憶を辿るが、アルベルト様は攻略対象外。そんなエピソードは存在していなかった。
(あ、でも、アメリアなら知っているんじゃ?)
なんたってアメリアは、この乙女ゲームの世界のヒロインだ。
「そういえば、アルベルト様って、甘いものはお好きなのかしら?」
私は咳払いをしながら訊いてみる。
「あらお従姉さま、アルベルトに“様”なんてつけることないのよ。でもそうね、アルベルト……私、あの人が何か食べているのを見たことがないわ」
「そうなの!?」
私はびっくりして思わず大声を出してしまう。
「ええ。毒見は毒見係がするし、アルベルトはずっと私の傍にいて……、ああ、時々いなくなるから、その時に食事を摂っているのかしら? その間は、護衛騎士団員が三人に増えるの」
三人も私を見ているなんて、窮屈でたまらないのよ、とアメリアは零す。
(贅沢な悩みね……。でも、次期国王なら当然か。そう思うとベアトリクスは不憫な立場だな。国王弟の娘というだけだからか、お供もばあやひとり、この別荘でアメリアからも従者をつけてもらえない……)
というか、それって。
(ベアトリクスって軽んじられてるわよね!?)
それは悪役令嬢にもなるわ。
クッキーが焼き上がると、アメリアはそれをピンク色でハートまみれの包装紙に包み、エルンストの元へ駆けて行った。後片付けもせずに。それを追いかけそうになったアルベルトに、私は思い切って声をかける。
「あっ、あの! アルベルト様! 甘いものがお嫌いでなければ、ぜひこのクッキーを受け取っていただけませんか!」
「え、私……ですか?」
アルベルト様はアメリアを追うことも忘れて一瞬ぽかんとした。
「はい、あの……みなさんに! 配るんです! こちらでお世話になっているので……!」
「ああ、そういうことですか」
アルベルト様は微笑んだ。私に向かって!
「ありがたく頂戴致します、ベアトリクスご令嬢。あとで大切にいただきますね」
そして一礼して、小走りにアメリアを追いかけて行った。
(や、やり遂げたわ……! アルベルト様に手作りクッキーをお渡しできた!!)
私はへなへなとその場に座り込んだ。ドレスが汚れるのも構わずに。
「べトリクスご令嬢、か。噂とはずいぶん違う、美しい性格の少女だな」
アルベルトの独り言は、ベアトリクスには届かなかった。