甲高い声と低い声との応酬に、私は目を覚ました。
見上げた先はいつもの天蓋。どうやら私は与えられたいつもの客室のベッドで、横になっているらしかった。
室外の会話をよくよく聞くと、アメリアとアルベルト……の声。アメリアが喚き散らしており、アルベルトが謝罪しているのが窺えた。
(どういう状況? 私……)
そして思い出す。アルベルトに庭に連れ出してもらった際、私は灌木の枝で指先に小さな怪我をしてしまったのだった。アルベルトは私のハンカチを止血に使ってくれて、それから……の記憶がない。
怪我をしたはずの人差し指を見ると、ハンカチはなく、細く割かれた白い布がきつくぐるぐると巻かれている。この世界では私の思う包帯はないらしかった。
(大袈裟ね)
そうは思うが、血を見たあの瞬間、気絶するかと思った。というか気絶したのだった。
とにかく、アルベルト様は悪くない。アメリアを止めなければ。私はそう思い、だるい身体を起こしてベッドから抜け出した。
「アメリア、アルベルト……」
私が扉を開けると、アメリアはひどくアルベルトを詰っており、アルベルトは額づいて謝罪の言葉を述べているところだった。
「どうしたの?」
あまりな光景に場違いな言葉が出てしまう。
アメリアは大きな瞳を零れんばかりに見開いて、「お従姉さま!」と抱きついてきた。
「お怪我をなさったって聞いたわ! アルベルトがついていながら……なんて役立たずなの!!」
「アメリア、アルベルトは……」
「なにが騎士団長よ、肩書に自惚れていたのではなくって!?」
「……仰る通りにございます」
「違うの、アメリア」
アメリアは私から身体を離し、指先に巻かれた包帯を見ると卒倒しそうになった。慌ててアルベルトがアメリアを支える。
「なによ、こんな時だけ!」
「だから、アルベルトは悪くないの。茂みに手を差し込んだ私が悪いの」
アメリアをなだめて数分後。少し落ち着いたアメリアは、子どもの頃に覚えがあるわと呟いた。
「あのときは、じいやとふたりきりだったわ。私が悪かったの……。でも、それとこれとは話が別よ! ベアトリクスお従姉さまは大切な私の従姉でお客様なの!」
「申し訳ありません。弁明のしようもありません」
「もうやめて、アメリア。アルベルトは私にひまわり畑を見せてくれたのよ。私、とっても嬉しかったわ」
「まあ」
アメリアは眉をひそめた。
「アルベルト、あのひまわり畑までお従姉さまに見せてしまったの? せっかくあのあたりでお茶会を開こうと思っていたのに、計画が台無しだわ!」
「……申し訳もございません」
「アメリア、それは私が謝るべきことよ。ひまわり畑を見せてほしいってお願いしたのは私なの」
「それでも……!」
腹の虫がおさまらないようだったが、アメリアはそうだわ、と呟いた。
「では、お茶会は別の場所ですることにしましょう。もうすぐ季節の終わってしまう、とっても綺麗な花園があるのよ。香りもいいし、気分もすっかり良くなるに違いないわ!」
季節が終わってしまいそうな花……?
私はアルベルトが私を連れて行ってくれようとした場所のことを連想した。
(同じ場所のことかしら? けれど、これ以上話がこじれては困る。黙っていよう)
アルベルトの表情を窺い見るが、彼は黙っていて、表情からも何も読み取れはしなかった。
***
今日は十五日。八月ももう中旬だ。
「ここよ、お従姉さま、今日のお茶会の席は! 素敵でしょう?」
安静にと言われて五日も暇を持て余した私は、その白百合の園にいたく感動していた。
「本当に。素敵だわ、いい香りもする……」
「ええ、そうなの! だから今日の紅茶は、香りが控えめなものにしてみたわ。お花の香りを楽しめるように」
白百合の園はひまわり畑などに比べるとややこぢんまりとした大きさで、けれど白百合が数多く咲き誇っている。一輪一輪の花が大きいから、贅沢な空間に感じられた。
「それから、もちろん例のピンクのマカロンも用意したわ。ほかにもたくさんお菓子があるから、たくさん召し上がって元気になってちょうだいね」
「私は十分に元気よ。元気を持て余しているの」
そう言って私は笑った。ちらりとアメリアの傍に立つアルベルトを見ると、申し訳なさそうにしながらも、近くの百合にそっと視線を向けた。
ああ、やっぱり。
ここは、アルベルトが私を案内してくれようとした白百合の園なんだわ。私は察して、アルベルトに微笑み返した。
お茶会も半ばに差しかかった頃。
「白百合を近くで見てもいいかしら?」
私はアメリアに問いかけた。
「もちろんよ、お姉さま。……アルベルト」
そして冷たい声でアメリアはアルベルトを呼んだ。
「次はないわ。けれど、いまはお従姉さまを案内してさしあげて」
「はっ」
アルベルトは恐縮だといったふうにアメリアに頭を下げ、私のほうを見た。
「お願い、アルベルト」
頼むとまた笑ってくれる。
(こんなふうに笑う人なのね)
私はその笑顔をそっと胸にしまいこんだ。
背後ではアメリアが、クリストハルトとエルンストと、楽しげに話し込んでいる。
「改めて、申し訳ございませんでした、ベアトリクス様」
私に近付くなりアルベルトはそう言った。
「とんでもないわ、私が勝手に怪我をしただけだもの。アルベルトは何も気に病まないで。それより、白百合をもう少し近くで見たいの」
「わかりました」
アルベルトは大きな手で白百合の一輪をこちらに引き寄せてくれた。
大きな白い花弁、甘い香り。アルベルトが心配するといけないから、私は直接には白百合に手を触れなかった。すべすべしていそうな花弁に興味はあったけれど。
「……貴女は本当に、白百合のようなお方ですね」
突如アルベルトがそんなことを言う。
「白百合? まあ、そんなこと初めて言われたわ。私の髪色は漆黒だし、そんな美しい白に喩えてもらったことなんて」
「貴女様のお心映えが、です」
言葉少なにアルベルトは言った。少し頬が赤い気がする。それがうつってしまったようで、私は「ありがとう」のほかに何も言えなかった。
遠くから、アメリアがこちらを見ている。そんな気がした。