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第12話 秘密の相談事

 八月二十日。

 私はばあやに教わって、初めての刺繍に挑戦していた。

「まあ、お嬢様手ずから? 危のうございますよ」

 ばあやはたいそう心配したけれど、ここは譲れない。私はアルベルトに手作りのお守りを贈りたかったのだ。

 私は三十一日、この別荘の滞在日の最終日となるその日までに、アルベルトにお父様からの手紙と毒薬の話をするつもりだった。その話をしてもいいくらい、私とアルベルトの仲は深まっていると思う。

そ してゲームの筋書きどおりなら、国王と私のお父様がぶつかり戦が始まるはずだ。本来ならば、お父様は滞在期間が終わってなお連絡も寄越さない娘・ベアトリクスのことを不思議に思い、国王に安否を尋ねる。そして、ベアトリクスが自ら毒を呷って死んだことを知り国王に兵を向けるはずなのだ。……それまで連絡のひとつもしなかったくせに。


 アルベルトは国王とお父様との戦で怪我を負い、怪我そのものは大したことはなかったものの、細菌感染して傷が悪化、それが原因で命を落とす。

(でも、そうはさせない。アルベルトは私が守る!)

 私がこのままお父様のところに帰るという手もあるにはある。けれどここがゲームの世界だと気付いたとき考えたように、このまま私が帰ってしまえば、私の城での居心地はもっと悪くなるだろう。お父様からは不出来な娘だと、前より叱責が増えるだろうことは容易に想像がつく。こんな妹をもって恥ずかしいと、エトヴィンお兄様に蔑まれるのも目に見えている。

(それでも、いいのかもしれない……)

 私が叱責を受けようが、無視をされようが。そんな日々が永遠に続くとしても、戦にならずそもそもアルベルトが怪我をしなければ……。

(どうしよう。ここで相談できる相手なんていない。ばあやは卒倒して死んでしまいそうだし、他に私の味方なんてひとりもいないんだもの)

 どうしようもなく浮かんでくるのはアルベルトの笑顔。

(詳細は伏せて、相談してみるのはありかしら……)


***


 あくる日二十二日の朝食後、私はアメリアに声をかけた。

「ちょっとアルベルトと厨房を借りてもいいかしら?」

「かまわないわよ。けれど、どうしたの、お従姉さま? アルベルトと厨房なんて、なんの関係があるの?」

「秘密よ」

 私は微笑んで返した。

「いずれあなたにはちゃんと話すことだわ。楽しみにしていて」

 アメリアは気になってしかたないという素振りだったが、またもやエルンストが勉学の話を持ち出し、とぼとぼと自室へ向かっていった。


「ごめんなさい、アルベルト。またこんなことをさせて」

 私は厨房でマドレーヌを作ろうとしていた。

「いえ、お安い御用です。むしろ、頼っていただけて光栄です」

 アルベルトは白い歯を見せて笑ってくれる。

「この前のクッキー作り、あなたに助けてもらったから。お菓子を作ろうとしたら、あなたの顔が浮かんだの」

「ありがたいお言葉」

「アメリアはここのところ勉学にいそしんでいるから、ちょっとしたねぎらいをしたくて」

 そうですか、とアルベルトは微笑む。

「やはり貴女様は白百合のようなお方だ」

 アルベルトはお世辞を言うタイプでもないから、顔が熱くなる。

「また、そんなことを言って。そんなことより、この生地を混ぜてほしいわ」

「はい、ベアトリクス様」

 アルベルトは進んでヘラを握ってくれる。そんなアルベルトに、今日私は重大な話があるのだった。


「……ところで、ねえ、アルベルト。私、少し悩んでいることがあって」

「お悩み事ですか」

 驚いたようにアルベルトは私を見る。

「それは、私などに相手の務まることでしょうか?」

「あなたにしか話せないわ」

 私は憂鬱になりながら口にする。

「いいえ、本当は誰にも話してはいけないの。だから、詳細は言えないわ。それでも、聞いてくれる?」

 もちろんです、とアルベルトは背筋をのばす。

「たとえばね」

 私は切り出した。

「誰をも傷つけないけれど一生憂鬱に過ごす人生と、誰かを犠牲にして成り立つ幸せな人生があるとして、あなたならどちらを選ぶかしら」

 アルベルトは黙った。思案しているらしかった。

「俺なら……」

 『俺』。アルベルトの素の一人称だ。本気で考えてくれたことがわかる。

「いえ、そんな二択はありうるのでしょうか?」

「えっ?」

「申し訳ありません。ですが……誰かが一生憂鬱に過ごすことで傷つく者は、どこかに必ずいるはずです。誰かを犠牲にして完全に幸せな人生を送れるとも思いません。どちらにせよ、幸福も不幸も抱えることになると、俺は思うのです」

「そう……そうね」


 もう一度考えてみる。私がお父様の元へ帰ったとして、お父様はまたアメリアや国王を狙うかもしれない。私はいつだってアメリアに会う口実になれるから。私が使えないと判断されれば、エトヴィンお兄様を寄越しても構わない。お父様が私に本音を告げた以上、もう思惑は内心に留めておくだけのものとは思われなかった。

「いずれにせよ、避けられないのね……」

 戦は起こる。必ず。

「はい。俺は、そう思います」

 内容は異なるが、アルベルトはそう言った。

「だったら私……みなが不幸も幸福も抱える判断をするわ」

 それはアルベルトにとってはどちらの選択肢でもありうるものだったけれど。私は選んだ。少なくとも私が殺される可能性が、まだ見えていない選択を。

「貴女様が決めたのでしたら、それがいちばん正しいご選択です」

「……ありがとう」

 けれど、いずれにせよアルベルトは怪我をするのだ。

「ねえアルベルト、もうひとつ訊きたいのだけれど」

「はい」

「怪我の悪化って、どうすれば防げるの? エルンストに聞いたのだけれど、些細な傷から細菌が入って、命を落とすに至る……なんてこともあるらしくって」

「その節は、本当に申し訳ありませんでした」

 勘違いしたらしく、アルベルトは頭を下げる。

「違うわ、違うの。たしかにエルンストにはそう説教されたけれど。これは後学のために訊いておきたいだけなの」

 そうなのですか、とアルベルトは顔を上げる。

「まずは、止血です。化膿しないように、傷口を清潔に保つことも必要です」

「そう……。ありがとう、助かったわ」

 気遣わしげなアルベルトの視線には気付かないふりで、私はその手元のヘラをじっと見つめた。空気を変えたかった。

「! 申し訳ありません」

 アルベルトがマドレーヌの生地作りを再開する。

「いいの。とっても助かったわ。私、本当に迷っていたの」

「私でよければ、なんなりと」

「ええ……」

 いずれにせよ、アルベルトは怪我を負うことになる。

(止血……それから、傷口を清潔に。そんなの、包帯を持って歩くしかないじゃない)

 そして私は閃いたのだった。

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