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第14話 包帯入りのお守り

 八月二十五日。

 先日のアルベルト(だけ)はマドレーヌを美味しそうに食べてくれていたが、あれは彼が甘いものが好きではないのか味覚音痴なのか……どちらにせよ、私に対して敵意や嫌悪を持っていないことを明らかにしてくれた……と、思う。

 私はようやく絹地に納得のいく刺繍を終えた。

 白い絹の布を折りたたみ縫い合わせて作ったポーチ──お守り袋──に、金の刺繍で花びらを盛り上げるように縫い上げた百合のあしらい。生まれて初めて刺繍を始めた二十日には絶対に無理だと思っていたこの図も、なんとか完成させられた。

 残った刺繍糸で、袋の裏に『Albert』と彼の名前を縫う。これで完成。我ながら、思っていたよりもずっと良い出来だ。

(そして、これからが本番よ、ベアトリクス)

 私はばあやに「用途は尋ねないで」と言って持ってきてもらった大量の白い清潔な布を、裁ちばさみで細く裂いては丸めてゆく。

(これからきっと戦になる。アルベルトはその戦で怪我をする……)

 それは私には変えられないことだ。まさか私が戦場に出るわけにもいかない。それこそアルベルトのお荷物だ。それでも、負傷を止めることはできなくても、その傷の悪化を止めることはできるかもしれない。

(どうか、包帯。ただ布を裂いただけの、けれど私が祈りを込めた包帯よ。アルベルトを救って)

 私は巻いた包帯を、少し大きめのお守り袋のなかに、祈りとともにぎゅっと押し込んだ。


「アルベルト。アルベルト?」

 私はアルベルトを探してとりあえずはとリビングを覗いた。アメリアのはしゃぎ声がしなかったので想像通りではあったが、そこにアルベルトの姿はない。

 アメリアの勉学の護衛をしているのかもしれないと彼女の私室にも向かったが、いない。

 アメリアまで見つからないので途方に暮れていると、厨房のほうから声が聞こえてきた。

「アルベルト、もうちょっとかき混ぜてちょうだい! 生クリームは多いに越したことはないもの」

「はい」

 アメリアとアルベルトの声だ。私はそっと厨房を覗いた。

「アルベルト、アメリア……? 私、入ってもいいかしら?」

「あらお従姉さま」

 アメリアの声は若干冷たい。

「いま、アルベルトとシフォンケーキを焼いているところなの。焼き上がりを待つ間に、添える生クリームを作っているのよ」

「また駆り出されているのね、アルベルト」

 ええ、とアルベルトは真剣に生クリームをかき混ぜながら答える。

「私が前例を作ったばかりに、ごめんなさい」

「お気になさらず、お願い致します」

「お従姉さまったら」

 アメリアは困り顔で言う。

「先にアルベルトをお菓子づくりの仲間に入れてあげたのはアメリアよ? お従姉さまが謝ることじゃないわ。それに日頃の感謝なら、お従姉さまより私のほうが先にしなくちゃならなかったんだから」

 暗に、恥をかいた、と言っているようだった。最近のアメリアが私だけに向ける表情や言葉は、ちくちくと嫌味をはらんでいる。

「そんなことないわ、私は三十一日でみなさんとはいったんお別れなんだから、急がないといけなかっただけなのよ」

 いったん、とアメリアが小声で繰り返したのを私は聞き逃せなかった。


 シフォンケーキが出来上がると、アメリアは自らトレイに載せたケーキと生クリームを持って駆けて行ってしまった。

「走ると転びますよ!」

 アルベルトが慌てて追いかける。

「待ってアメリア、私もお皿が重いのよ!」

 しかししばらくすると、リビングから歓声が上がる。アメリアは無事ケーキを運び終えたらしかった。

「私たち、ゆっくり行きましょうか」

 私は息を切らして、隣の走るのをやめたアルベルトに言う。

「そうですね」

 アルベルトは少し微笑んでくれた。


(そうだ、お守り)

 私は思い出す。

(いつ渡そうかと思っていたけれど、理由をつければ……)

 アメリアはクリストハルトと意中のエルンストに褒められるのに夢中だろう。私はアルベルトに囁いた。

「私、厨房に忘れ物をしてきてしまったわ。このお皿を運んでしまったら、また厨房に引き返したいの。まだ邸内に慣れていないから、着いてきてくれると助かるわ」

「ええ、わかりました」

 アルベルトは力強く頷く。

「最近では、アメリア様の護衛は騎士団副長のグスタフに任せておりますから。私はどこまでもお供できます」

「どこまでもって、厨房との往復よ」

 私はそう言って笑ったが、アルベルトの目はどこか本気だった。


 皿やフォークを届けて私とアルベルトは、私の「忘れ物」を取りに再び厨房へと向かった。

「じつは、忘れ物……ではなくて」

「なんとなく気が付いてはおりました」

 ごめんなさい、と私は謝る。

「秘密で、差し上げたいものがあって」

 私は胸元からお守りを取り出す。その瞬間目を背けたのがアルベルトらしいとも思う。

「アルベルト。これは私が手ずから作ったお守りです」

「えっ」

 アルベルトは驚いたように、差し出されたポーチと私との顔を交互に見やる。

「その……。詳しくはまだ言えないのですが。アルベルトは騎士でしょう? いまのお仕事はアメリアの護衛だけかもしれないけれど、この別荘から国元に戻れば、いろいろと大変なこともあるかもしれないと思って」

 近く起こるであろう戦のことを思い、私の胸は重くなる。

「もしなにか、どうしようもないという時になったら、その袋を開けてみて。もしかしたら、中の物が使えるかもしれないわ。だから、……持っていてほしいの」

「……はい」

 アルベルトは詳しくは尋ねなかった。

 ただ、「この刺繍は」とだけ訊いた。

「私が自分で施したの。人生で初めての試みだったから、だいぶ歪よね、ごめんなさい」

「とんでもございません」

 アルベルトはひざまずいてお守りを胸に、私の手をその手に取った。

「このような美しいもの、俺は生まれて初めていただきました。クッキーだって、あんな美味しいものは初めていただいた。あなたは俺にかけがえのないものばかりをくださる」

 少し微笑んだ顔。透き通るような碧い瞳は真摯で私の胸を打つ。

「わ、私……そんな、たいしたこと」

 そのときぴしゃっとした声が響いた。

「立ちなさい、アルベルト。お従姉さまに何をしているの? ……ね、お従姉さま、シフォンケーキが意外に好評で、もうなくなってしまいそうなのよ。早く行きましょう?」

 アルベルトはいつもの硬い表情に戻ってしまい、私たちは厨房を後にした。

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