コンコンと、激しく扉がノックされる。
ばあやは傍で荷造りを手伝ってくれているから、ノックの主はアメリアだろうか。
「どうぞ、入って。鍵はかけていないわ」
私が言うと、血相を変えたアルベルトがそこにはいた。
「まあ、アルベルト」
「殿方が……」
ばあやが眉をひそめる。
「し、失礼。出直します」
ばあやの言葉を受けて、アルベルトはすぐに扉を閉めようとする。
「待って、アルベルト。いいのよ、ばあや。それより……、ごめんなさい、アルベルトとふたりにしてくれる?」
まあ、と驚きながらもばあやは部屋を出て扉を閉めてくれた。
「ベアトリクス様、本日お帰りになるとは本当ですか。三十一日までいらっしゃるとのお話では!?」
「……、そんな、驚くようなことじゃないのよ」
私はできるだけ自然に笑ってみせた。
「お父様から手紙が来たの。帰ってくるようにって。それだけだわ」
「そうですか、閣下が……」
「ええ、本当に、それだけ……」
思いもかけず、一筋涙が流れた。その次の瞬間、私は口を抑えられ、横抱きにされた。
「んん──!」
声を出すことができないまま、私は庭へ、そして庭の外へと、一瞬にして連れ攫われてしまったのだった。
アルベルトの手によって。
***
「ベアトリクス様。ご無礼を致しました。既に信頼のない身ではありましょうが、謝罪だけ、させてください」
木のベンチに座った私の前に、アルベルトがひざまずいている。
ひざまずいて──私がお守りを渡したときもそうだった、と思い出す。
「どうしたの、アルベルト」
「俺は──」
「私、家に帰るだけよ。何をそんなに憂いているの? こんな手段に出てまで……。アメリアが知ったらどうするの」
「俺のことはどうでもいい!」
アルベルトは突如叫んだ。私はびくりと身を震わせる。
「……すみません」
しばしの沈黙。
「ですがあなたには、どこか……死の香りがする。一目見た時からそう思っていたのです」
「……そうね」
私は呟いた。
「私、ここに来てからずっと、死と隣り合わせだったわ。これ……見てもらえる?」
コルセットのなかから手紙を取り出す。アルベルトはいつかのように目をそらさず、私がドレスをはだけるのを見つめていた。私は囚われているのだ。この粗末な小屋──アルベルトが修行の休憩用に作っただけの小屋に。
「……これは」
お父様の一通目の手紙を読んで、アルベルトは絶句した。
「「エッセンス」なら、私が使っている部屋の、小机の奥に隠してあるわ。あの部屋にばあや以外が入ることはないから、間違って誰かが口にすることはないと思うの……見た目はただの小瓶だから、香水の類に見えなくもないし」
「ベアトリクス様は、これを実行に──」
「移さないわ」
私は首を横に振った。
「そういう道もあったの。でもそれは、私が望んだことじゃなかったから。私にとっても、いちばん悲しい結末を迎える道だったから。けれどお父様は、それを許してはくれないみたい」
二通目の手紙を読んでもらおうと思ったが、それは部屋に置いてきたと気付く。
「今朝届いた手紙は、実行を催促するものだったわ。だけど私にその気はないの。だからもう、お父様に諦めてもらうためにも、今日帰ることにしたのよ」
それは、とアルベルトは言った。
「危険なことなのではありませんか」
さすが、私なんかよりアルベルトはずっと政治や戦の機微に敏感だった。
「お命が、危のうございませんか」
直接的な言葉で畳みかけてくる。
「いいの」
私は口にする。
「決めたのよ。お父様は私を殺すでしょうけれど、その後しばらくは打つ手なしで動きが取れなくなるでしょうから。私が殺されて済むのなら、もう、それでいいの」
「泣いておられたではありませんか!」
アルベルトの怒りに私は本当に泣き出してしまった。涙を抑えられない。私だって死にたくないし、アルベルトの傍にいたかった。けれど王弟の娘に生まれてしまったから、誰からも愛されない悪女だったから、もう仕方のないことだったのだ。
私が死ぬ運命は、変えられなかった。アルベルトと親しくなれたことだけが、私にとっての幸福だった。
「ベアトリクス様」
アルベルトは突然私を抱きしめた。
「貴女にはよくても、俺には許せないことだ。貴女には申し訳ないが、私は貴女の父親を──排除してみせる」