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第16話 アルベルトによる誘拐

 コンコンと、激しく扉がノックされる。

ばあやは傍で荷造りを手伝ってくれているから、ノックの主はアメリアだろうか。

「どうぞ、入って。鍵はかけていないわ」

 私が言うと、血相を変えたアルベルトがそこにはいた。

「まあ、アルベルト」

「殿方が……」

 ばあやが眉をひそめる。

「し、失礼。出直します」

 ばあやの言葉を受けて、アルベルトはすぐに扉を閉めようとする。

「待って、アルベルト。いいのよ、ばあや。それより……、ごめんなさい、アルベルトとふたりにしてくれる?」

 まあ、と驚きながらもばあやは部屋を出て扉を閉めてくれた。

「ベアトリクス様、本日お帰りになるとは本当ですか。三十一日までいらっしゃるとのお話では!?」

「……、そんな、驚くようなことじゃないのよ」

 私はできるだけ自然に笑ってみせた。

「お父様から手紙が来たの。帰ってくるようにって。それだけだわ」

「そうですか、閣下が……」

「ええ、本当に、それだけ……」

 思いもかけず、一筋涙が流れた。その次の瞬間、私は口を抑えられ、横抱きにされた。

「んん──!」

 声を出すことができないまま、私は庭へ、そして庭の外へと、一瞬にして連れ攫われてしまったのだった。

 アルベルトの手によって。


***


「ベアトリクス様。ご無礼を致しました。既に信頼のない身ではありましょうが、謝罪だけ、させてください」

 木のベンチに座った私の前に、アルベルトがひざまずいている。

 ひざまずいて──私がお守りを渡したときもそうだった、と思い出す。

「どうしたの、アルベルト」

「俺は──」

「私、家に帰るだけよ。何をそんなに憂いているの? こんな手段に出てまで……。アメリアが知ったらどうするの」

「俺のことはどうでもいい!」

 アルベルトは突如叫んだ。私はびくりと身を震わせる。

「……すみません」

 しばしの沈黙。

「ですがあなたには、どこか……死の香りがする。一目見た時からそう思っていたのです」

「……そうね」

 私は呟いた。

「私、ここに来てからずっと、死と隣り合わせだったわ。これ……見てもらえる?」

 コルセットのなかから手紙を取り出す。アルベルトはいつかのように目をそらさず、私がドレスをはだけるのを見つめていた。私は囚われているのだ。この粗末な小屋──アルベルトが修行の休憩用に作っただけの小屋に。


「……これは」

 お父様の一通目の手紙を読んで、アルベルトは絶句した。

「「エッセンス」なら、私が使っている部屋の、小机の奥に隠してあるわ。あの部屋にばあや以外が入ることはないから、間違って誰かが口にすることはないと思うの……見た目はただの小瓶だから、香水の類に見えなくもないし」

「ベアトリクス様は、これを実行に──」

「移さないわ」

 私は首を横に振った。

「そういう道もあったの。でもそれは、私が望んだことじゃなかったから。私にとっても、いちばん悲しい結末を迎える道だったから。けれどお父様は、それを許してはくれないみたい」

 二通目の手紙を読んでもらおうと思ったが、それは部屋に置いてきたと気付く。

「今朝届いた手紙は、実行を催促するものだったわ。だけど私にその気はないの。だからもう、お父様に諦めてもらうためにも、今日帰ることにしたのよ」

 それは、とアルベルトは言った。

「危険なことなのではありませんか」

 さすが、私なんかよりアルベルトはずっと政治や戦の機微に敏感だった。

「お命が、危のうございませんか」

 直接的な言葉で畳みかけてくる。

「いいの」

 私は口にする。

「決めたのよ。お父様は私を殺すでしょうけれど、その後しばらくは打つ手なしで動きが取れなくなるでしょうから。私が殺されて済むのなら、もう、それでいいの」

「泣いておられたではありませんか!」

 アルベルトの怒りに私は本当に泣き出してしまった。涙を抑えられない。私だって死にたくないし、アルベルトの傍にいたかった。けれど王弟の娘に生まれてしまったから、誰からも愛されない悪女だったから、もう仕方のないことだったのだ。

 私が死ぬ運命は、変えられなかった。アルベルトと親しくなれたことだけが、私にとっての幸福だった。

「ベアトリクス様」

 アルベルトは突然私を抱きしめた。

「貴女にはよくても、俺には許せないことだ。貴女には申し訳ないが、私は貴女の父親を──排除してみせる」

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