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第3話 悪役令嬢デビュー果たします

「――まず、わたくしの目的は『穏便な婚約破棄』ですわ」


 月明かり差し込む、夜の自室。

 絨毯には、イヅルが集めてきた悪女・毒婦に関する書物が、戦利品のように積み上げられていた。歴史書から、大衆向けのけばけばしいゴシップ小説まで、なかなかに壮観な眺めだわ。


「ところで、これらの書籍には何の意味があるので?」

「参考書だってば。何事も基礎研究が大切なのよ、基礎が」

「……お嬢様のその学習意欲は、素晴らしい長所でございますね」

「ふふん、そうでしょ?」


 たまに、素直に褒めてくれるわね。我が専属執事は。なぜか生暖かい目に感じるけど。

 ぼんやりとした魔力灯を頼りに、羽ペンを走らせる。びっしりと書き込まれた反撃計画プラン

 それをイヅルに、意気揚々とプレゼンテーションしたの。


「王家に“ビーチェでは到底、王太子妃は務まらない”と、心の底と絶望させ、婚約破棄を申し出させる。これが最も穏便で理想的な結末ですわ」

「ふむ。面白いアプローチですが、両派閥を争わせたい王家が、そう易々と手放すでしょうか」

「だからこそ、継続不可能なほどのスキャンダルを捏造するのよ! 品行方正を重んじる王家が眉をひそめるような、奔放で、制御不能な女だと誤解させればいい! 爛れ乱れる不良娘とかね、手段はいくらでもあるわ!」


 「制御不能なのは元々では? 爛れ乱れる不良娘?」と、心ない声が返って来るが無視。


「最初の標的は、もちろんバージル殿下よ。けれど、殿下はすでにわたくしを『シャーデフロイ家の腹黒い女』という色眼鏡で見ていらっしゃるわ」

「我が家への評価は、そうですね。『糞尿まき散らすハーピィの巣窟』というところでしょうか」

「あなた、本当に我が家に忠誠心ある!?」


 思わず羽ペンを置いて、つっこんでしまった。イヅルは「おっと失敬」と肩をすくめているだけ。絶対に反省なんてしてない!


「もうっ! つまり、下手に策を弄しても『ほら見ろ、やはり悪女だ』と、警戒心を強めるだけ。冷え切った関係では、効果的な一打を打てないのよ」

「流石でございます、バージル殿下の男心をお見通しですね」


 子供をあやす態度のイヅルにむっとしながら、わたくしは構わず続けたわ。


「そこで逆に思ったのだけど。もう、バージル殿下の感情が天元突破して、我慢できないレベルにしてしまったらどうかしら」

「はい?」

笑わずの王子アイスマンの顔が維持できなくらい、死ぬほど嫌われちゃえば、もう我慢できなくなって衝動的に婚約破棄したりしないかなって」

「そこまでさせたら、さすがにたいしたものですね?」


 なんで、そこで疑問形なのよ。ぶつわよ。


「でも、大抵の手段では通用しない。だから、視点を変えます! 殿下本人を直接狙うのではなく、彼が『守りたい、大切にしているもの』を脅かすことで、ポーカーフェイスの裏にある本心を引きずり出すの!」


 イヅルの黒曜石の瞳が、興味深そうにすっと細められた。「と、申しますと?」


「バージル殿下が何よりも大切にしているもの。それは彼自身の『正義』、王族としての『権威』。そして、もう一つ!」


 わたくしは、焼き付いて離れない、中庭の光景をなぞるように言った。


「おそらくは。きっと、あのルチア・ファン・ギャニミード男爵令嬢ですわ」

「ほう」

「あの方は、まるで陽だまりのような方。平民出身でありながら、その天真爛漫さで、殿下の心をいとも容易く解かしてしまった。きっと彼女は、貴族社会のしがらみから解放される唯一の癒やし、侵されてはならない聖域のはず。だからこそ、その聖域を穢す存在は、何よりも許しがたい。そうは思いませんこと?」

「―――素晴らしい」


 賞賛に、ぞくりとするほどの感嘆の色が混じる。


「ええ、実に素晴らしい脚本です、ビーチェお嬢様。では、具体的に、その男爵令嬢……聖域の乙女を、どのように“穢して”差し上げるおつもりで?」

「ふふん。よくぞ聞いてくれたわ!」


 わたくしは計画書の第一項を、ペン先でトントンと叩いた。


「作戦名『麗しの白百合に、消えぬ染みを』。決行は三日後よっ」


 悪役を望まれるなら、確かに全うして見せましょう!



***



 三日後の昼休み。

 アカデミーの中庭は、芝生の緑と生徒たちの楽しげな談笑で満ち溢れていた。色とりどりのドレスが、まるで花畑のように咲き乱れている。

 生まれ変わったわたくしは、漆黒のベルベットリボンでポニーテールを結び、背筋をまっすぐに伸ばして歩く。


(ふふん、見てなさい。やられっぱなしじゃないのよ、このベアトリーチェは!)


 そこにひそりと、専属執事イヅルが鼓膜を撫で声でさすった。


「あまり目立ちますと。計画に差し支えますよ、マイレディ」

「ひあっ!? いきなり、そんな声出さないでっ!」


 抗議すれば、イヅルが「これは失敬」と、愉しげに一歩下がる。心臓が飛び跳ねたわよ!

 そうそう、まだ目立ってはいけないのだったわ。

 わたくしは標的がテラス席につくのを柱の陰から、ハンターのように息を殺し待ち伏せた。


 ――いたわ!

 令嬢たちに囲まれながらも、どこか退屈そうにお茶を啜るバージル殿下。その隣で忠実に控える騎士ローラント殿。そして、招き入れられ恐縮する、本日の主役、聖域の乙女ルチア嬢!


 にやり、完璧ですわ!


「で、お嬢様。ブツのご準備はよろしいので?」

「ブツって言わないでちょうだい!」


 隣に控えるイヅルが、差し出したのは、一見すると、ただの高級そうなインク瓶。

 しかし中身は、シャーデフロイ家に伝わる特殊なインク。一度染み付けば、どんな優れた染み抜き師でも、決して落とすことのできない代物よ。


「そう、我が家の染み抜き液でも使わない限りは、未来永劫ね!」

「あまりに用途が限定的すぎるのですが、なぜこのようなインクの開発を?」

「ふふふ、ルートは完璧に頭に入っているわ。まさに完全無欠! ああ、わたくしの才能が恐ろしいわっ!」

「どうやら、聞いてはいらっしゃらないご様子で」


【作戦概要】

1. わたくしは偶然を装い、殿下たちのテーブルの側を通りかかる。

2. 足元の石畳の僅かな段差に、わざとつまづく。(もちろん段差などない。あくまで演技よ!)

3. バランスを崩したわたくしが、持っていたインク瓶を弾き飛ばす。

4. 放物線を描くインクが、ルチア嬢の純白のドレスに降り注ぐ!

5. 可憐なドレスに醜い染み。悲鳴を上げるルチア嬢。激怒する王子。「なんてことを!」と詰め寄る彼に、わたくしは「あら、わざとではございませんことよ?」と、扇で口元を隠して言い放つ。


 どう? 完璧な計画でしょう!

 あくまで事故として処理する。これぞ悪女としての様式美! 王道にして、至高の嫌がらせですわ!


「お嬢様の発想は、時折、木馬で遊ぶ無邪気なお年頃のそれと酷似しておりますね」

「イヅル、タイミングはわたくしに合わせなさい。あなたの仕事は、事が終わった後、この大舞台から主役を問題なく離脱させることですわよ」

「――御意に。その役目、完璧に果たして見せますとも」


 わたくしは深呼吸一つ、肺いっぱいに吸い込んだ草の香り。胸はドキドキしてる。でも、女優として仮面を被り、優雅に、大胆に柱の陰から歩み出た。

 一歩、二歩。大理石の床をヒールで叩く、軽やかな音。

 周りの生徒たちが、わたくしの登場に気づき、ひそひそと囁きあっているのがわかるわ。いいわ、もっと注目なさい! これから、あなたたちは歴史の目撃者となるのですから!


 さあ、テーブルまであと5メートル、3メートル。射程圏内!


(今ですわ! お覚悟を、ルチア嬢っ!)


 練習通り、しなやかに、わざとらしく右足を空中で踊らせ――。


「ふぎゃっ!」


 わたくしの体は、計画とは全く違う方向に傾いだ。

 そう計算にもない、本物の石畳の裂け目に、ヒールの踵を引っ掛けてしまったのですわ!


段差は・・・なかったですね」


 イヅルの声も、遠くに聞こえる。

 スローモーション、世界が回転。わたくしの手からインク瓶がすっぽ抜け、高く、高く、宙を舞った。


 放物線は、描かれた。

 でも、着弾地点は――。


 バッシャァァァン!!!


「「「「きゃああああああっ!!!」」」」


 悲鳴の大合唱。

 インクが降り注いだのは、純白ドレスのルチア嬢ではなかった。

 よりにもよって、我が国、最高峰の職人が丹精込めて刺繍したであろう、王家の紋章。黄金の獅子が燦然と輝く、豪奢な青い上着。


 ――つまり、ポカンとした顔のバージル殿下。胸元ど真ん中だったのですわ!


「…………うわ」


 最初に誰から漏れた声だったのか。チュンチュンという、小鳥の囀りだけが場違いでした。

 殿下の湖青の瞳レイクブルーと、わたくしの目が、バッチリと合う。


 美しいお顔が、みるみるうちに朱に染まっていく。

 ああ、まずいですわ。これは、計画にない。計画にない最悪のシナリオ!?


「ベ、ア、トリーチェ。貴様っ、一体どういうつもりだッ!!!!」


 その日、王立アカデミーにバージル殿下の怒号がこだました。


 わたくしの、記念すべき悪役令嬢としての初仕事は、標的を盛大に間違えるという、歴史的大失敗に終わったのでした。

 ――さすがに、不敬罪で断頭台送りまでは、想定していないのですわ!!?

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