「そもそも、相手に何かしようって言うのが不確定要素だったのよ! こうなったら、わたくし自身が身を汚すっ! これが確実っ!」
最後のクッキーを口に放り込み、気持ちを切り替え、バンッとテーブルを叩いた。
「はあ、身を汚す? どのようなお考えで?」
「ふふん、プライベートな醜聞を狙います。今まで、淑女が身に染みてたのが仇になったわ。でも、爛れ乱れる不良娘としての座を狙います!」
相関図の中央、自分自身の似顔絵の隣に、新たな一文を書きなぐった。
「そうよ。次なる作戦は、恋っ! 愛っ! ラブロマンスっ!」
「緩い頭とは思っておりましたが、とうとうネジが数本、お飛びになられたようで」
「真剣ですわよ、わたくしはっ!」
失礼な感想に、眉をつり上げる。
「そう名付けて『
「お嬢様、そろそろ作戦名を付けるのやめませんか?」
「はあ? カッコいいじゃないの」
呆れた言葉は、よさが理解できない哀れなもの。イヅル、こういうところはセンスが皆無なのよね~。でも、見捨てないであげるわ。
「わたくしが殿方と逢瀬を重ね痴態を演じる。そんな醜聞が流れれば、潔癖症のバージル殿下は婚約破棄を叩きつけてくること間違いなしっ!」
「ほう。案外、いい線いきそうな策ですね。我が家の立場に影響しそうですが」
「向こうが、婚約者を放置してるのですもの。社交界で、パートナーすらしてくれない。さすがに愛想を尽かして、今まで無下にしていた恋文に目を向けるのも、おかしくなくってよ?」
「ふむ、実に絶妙なラインですね」
感心したように考えこむ、イヅル。あら、意外と好感触。
「大変、興味深い。して、そのお相手役は、どなたをお選びになるので?」
「んー、そこが問題なのよ」
腕を組み、相関図を睨む。
今この状況で、わたくしを相手に委縮する殿方だとダメなのよね。王家の婚約者相手に、委縮しない家柄?
「わたくしが誘惑して靡きそうな、ある程度野心のある家柄の御方。誰かいませんこと?」
「お嬢様。それでしたら、うってつけの人物が」
「まあ、誰ですの!?」
「シューベルト侯爵家の、ご嫡男はいかがでしょう? ライバルである、ツェツィーリア様の兄君です」
「なんですって!?」
シューベルト侯爵家の嫡男、ヒュプシュ卿。
アカデミーの卒業生。魔術にも長け、今は宮廷官僚として、将来を嘱望されているあの!?
「でも、宰相の息子ですのよ。さすがに危険すぎやしません?」
「危険だからこそ、面白い……ゴホンゴホン、効果的なのでは? 敵対派閥の嫡男との、禁断の恋。実にドラマチックではありませんか」
「むむむ。確かに、一理あるような」
「ヒュプシュ卿は、浮き名を流す美男子。野心家でもある。あえて隙を見せれば、可能性はあるでしょう」
わたくしの心はぐらぐら揺れる。確かに、これ以上ないくらい許されざる相手。バージル殿下もきっとブチ切れ確実。
ぽん、とわたくしは手を叩いた。
「よしやろう。さあ、やりましょう。さあ、ならさて。ヒュプシュ卿をどうやって呼び出すかだわ。……これは下準備がいるわね」
というわけで、早速作業ね。羊皮紙をあえて朽ち果てさせる薬剤はどれがいいかしら、筆跡の乱れはどの程度?
「あら存外、難しいわ。誰かに恋したことなどないものだから」
「なにをされてらっしゃるのです?」
「普通に手紙を出しても、罠だと警戒されて終わりですわよ。そこまでバカではありませんわ、あの御方」
「確かに今の状況で、容易く応じるようでは。シューベルト家の嫡男の名が廃ることでしょうね」
「でしょう? だから、こうするのですわ!」
作り上げて差し出したのは、二通の紙。
一つは、何の変哲もない役人に宛てた事務的な手紙と封筒。
「これは、なんでございますか?」
「わたくしの個人的な日記の、ほんの一ページよ。いえ、実際には違うけれど。そう見えない?」
わざと古びさせた紙の切れ端。インクを滲ませ、涙の跡まで偽装、乱れた文字でこう記されていた。
『ああ、神様。なぜ、わたくしは、この家に生まれてしまったか。ヒュプシュ卿。あの御方の、理知に満ちた藍色の瞳、逞しいお身体、お顔立ち。許されぬ想いだと、わかっているのにっ! ああ一度だけでも、二人きりでお会いしたい』
「これを、どこか宮廷の廊下辺りで拾わせたらいいですわ」
「もう片方の封筒は?」
「そのなかに入れておくのよ。シャーデフロイ家の書簡よ、封は甘くしておいてね。きっと見たくなるから」
なによ、その信じられないものを見たような顔は。
「『偶然、極秘の日記を手に入れてしまった』という体で、ヒュプシュ卿に読ませるのよ。きっと思うはずよ。『フン、手紙はたいした内容ではないが、うっかり日記の切れ端を入れてしまうとは馬鹿な女だ。だが、面白い。その許されぬ想いとやら利用してやる』と!」
イヅルは深ーいため息をつくと、心底感心したような呆れたような、複雑そうな声で言った。
「お嬢様の常人には思いもつかない、一周回って天才的な発想力には、このイヅル、もはや敬意を表するしかございません」
「ふふん、もっと褒めてよろしくてよ?」
「褒めております、最大級に。では、この“悲恋のポエム”は、この鴉めが、責任を持ってお届けいたしましょう」
「ポエム扱いするんじゃないのっ!」
フッと、憂いを帯びた表情を、浮かべたようにも見えたけれど。すぐに闇へと消えてしまった。
なんなのかしら。まあ、これが上手く行けば、相手の油断を誘えるわね。わたくしは報告を楽しみに待つ。
動きがあるまでは、日常を送るしかない。でも、まだまだ平穏には程遠い。
皆がわたくしとの関わりを避けるなか、数少ない例外はルチア。
「ビーチェ様~! 薔薇のジャムを作ってみたんです。よろしければ、味見を!」
「まあ、いただいてあげてもよくってよ。その……ルチア」
「はい♪」
キラキラした瞳で詰め寄られると、断れないのよね。
懐いてくる子犬を無下にはできない。ああっ、何度も嫌がらせをしようと思ったのにっ!
そして、もう一人。
「ベアトリーチェ様、おはようございます」
廊下の向こうから、騎士ローラント殿が、最敬礼をしてくる。態度には崇拝すら宿ってるように見えた。やめて。
「ええ、ごきげんよう。ローラント殿」
「周囲に異常はありません。ですが、なにかお気付きの際には、是非ともご指摘いただければ」
「……特になにもありませんわ。いつもご苦労様」
「はっ。殿下とベアトリーチェ様、御両名の安全。わが命に変えましてもっ!」
なぜこの方、好感度がカンストしているのかしら?
……主の方は、遠巻きでじっと見て来て、まるで近寄ってこないですし。
すると、わたくしの視線を追ってか、ローラント殿がため息をつくと、言いづらそうに切り出してきた。
「あのー、不躾ですが。よろしいですか?」
「構わないわ。多少、言葉を崩してもよくってよ」
「あっ、助かります。ベアトリーチェ様、何と言いますか。バージル殿下に話しかけたりは、もう、その、されませんので?」
なぜ、こんな不思議なことを聞くの。正直、意味が分からない。
確かに、最初の頃は少しでも仲良くなろうと思った。でも今さら、そんなつもりもない。
「おかしなことを聞きますのね、ローラント殿。わたくし嫌われているのは、十分わかりましたから。金輪際、二度と、絶対に、話しかけることはありませんわよ?」
「そう、ですか。……だから言ったのに」
「今、なにか今おっしゃいまして?」
「いえ、なんでもざいません! くれぐれもご自愛くださいね、ベアトリーチェ様っ!」
誠実そうだけど、なんだかちょっと暑苦しい方ね。
わたくしは軽く手を振って、立ち去ります。遠くに、殿下がいるけど関係ありませんわね。
「待ちなさいっ!」
続いて、わたくしを呼び止めたのは、ツィツィーリア様。相も変わらず、挑戦的な眼で睨みつけてくる。
けれど、取り巻きの令嬢たちは、恐れをなして近寄ってこない。
はあ、考えようによっては、ツィツィ―リア様は未だに態度が変わらない、とても貴重な方かもしれませんわね。
「言っておきますけどね、あたしはあなたのことなど認めてなどおりませんから! バージル殿下に相応しいのは、あたしなのだから!」
「ふう。そうツィツィーリア様」
「な、なによ」
わたくしはゆっくり近づいて、親愛をこめてにっこり微笑んだ。
「あなたは……そのままでいてくださいましね。変わらずに」
「――えっ!?」
囁くように。それはそれは甘~く、耳元でお声掛け。
なぜか、真っ青になって固まってしまわれたので「わたくし、こう見えてあなたのことを気に入っておりますのよ」とお伝えし、場を離れました。
なにかリアクションをくれても良いのに。
さてさて、数日後。
わたくしの
『麗しのベアトリーチェ。貴女の熱く潤んだ瞳が、俺の心を捉えて離さない。ぜひ一度、二人きりで、貴女の“本心”を伺いたいものだ。今宵、月が中天に昇る頃、アカデミーの古い温室で待っている』
差し出されたヒュプシュ卿からの手紙。流麗に綴られた文面に、隠しきれない優越感と下心が透けて見えるようだわ。
ふふん、見事に食いついたわね! 思惑通り、彼は『御しやすい駒』と完全に見くびっている!
「素晴らしい釣果ですね、お嬢様。まさか向こうからアクションをくださるとは」
「わたくしの脚本が、完璧だったということですわ!」
「それはもう。涙と笑いなしには読めない、実に感動的なポエムでしたから」
「だからポエムじゃないって言ってるでしょ! そして、笑うなっ!」
イヅルは、今日も今日とて涼しい顔でわたくしをからかう。
まあ、いいわ。ふふふ、こんな窮屈な生活もすぐにおさらばよ。というか、パパのお小言も増えて、身に覚えがないことばかり。本当におさらばしたい。