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第2話 記憶喪失の王子様に溺愛されてます?

 断罪予定日から一週間が経った日の朝。

 いつも通り、私はふかふかの天蓋ベッドの上で目を覚ます。優雅に紅茶を飲んでから、メイドに手伝わせ、身支度を整える。


 ワインレッドの髪をヘアブラシで綺麗にとかし、胸元が空いたブラックのドレスにルビーのネックレスを合わせて。うん、今日も完璧ね。


 断罪予定日が過ぎても、まだ私の首と胴体はしっかり繋がっていた。王宮から追放されることもなく、生まれ育った公爵家でメイドや使用人たちにかしづかれ、華麗な令嬢ライフを満喫している。


 かといって、断罪を申し渡したレオンが死んだわけでもなく、彼は今もピンピンしている。


 ただ……。鏡に映っている私の顔は、わずかに強張っていた。


 まさか今日も来るのかしら。

 そんなことを考えていたら、部屋に入ってきたメイドに『レオン殿下がいらっしゃいました』と耳打ちされる。


「通して」


 紫の瞳を伏せ、私はため息混じりに答える。

 お帰りいただきたいところだけど、そうもいかない。


 それからほどなくして、レオンが元気良く私の部屋に入ってきた。彼と入れ替わりにメイドたちが出ていって、なりたくもないのに二人きりになってしまう。


「おはよう、クロエちゃん!」


 今日も満面の笑顔を浮かべているレオン。

 姿形はたしかにレオンなのに、表情も行動も一週間前とは別人のよう。


 階段から落ちたレオンは打ちどころがよほど悪かったのか、なぜかあれから毎日公爵家の屋敷に通い詰めてきている。


 王子としての仕事はきちんとこなしているみたいだし、日常生活には支障はないらしいから、全ての記憶を失ったわけではないはず。それなのに、私に関する記憶だけが一部混濁しているようで、私への態度が180度変わってしまった。


「クロエちゃんの深紅の髪に合うと思って、お花をつんできたんだ! クロエちゃん、お花が好きだったよね」


 レオンは小さな白い花を見せ、それを私の髪にさす。

 私たちがまだ十歳にもならないぐらいの小さな頃、レオンはよくこうやって花を贈ってくれたわね。婚約してからは、一度もくれなかったくせに。


「もう子どもではございませんので、こんなものでは喜びませんわ」

「そっかぁ……。ごめんね」


 見るからにしょんぼりしてしまうレオン。

 そして、私の髪から白い花を取ろうとする。


「い、いらないとは申していません」


 不本意ながら、モゴモゴと伝える。

 そうしたら、レオンの顔がパッと明るくなった。


「もらってくれてありがとう! やっぱりクロエちゃんは優しいなぁ」


 レオンはわずかに身をかがめ、椅子に座っている私をぎゅーと抱きしめてくる。近い近い近い!


「ちょ、……と。朝からあなたは、いつもいつも……! 離れてくださいませ」


 こんなに近づかれたら、心臓が破裂してしまいますわ。

 ムッとした顔を作り、レオンの胸を押す。


 少しだけ離れてくれたレオンは、しょんぼりしていた。


「婚約者にハグしたらダメなの?」


 また先ほどのようなシュンとした目で私を見つめてくるレオン。うっ……、罪悪感が……。


 まるで昔のレオンに戻ったみたいで、冷たくできないのよね。今までの冷淡なレオンだったら、抱きしめてきた瞬間に平手打ちの一つでもしていたところだけど。


「ですから、何度も申し上げましたように、私たちはもう婚約を解消したのですよ」


 二週間前の舞踏会の記憶がないらしいレオンにあの日の夜の件を何度か説明したのだけど、いまいち納得していないのよね。レオンの中では、私は『溺愛している婚約者』ということになっているみたい。そんなの、絶対にありえないのに。ミシェルとでも勘違いしているんじゃないかしら。


 不思議そうな顔をしていたかと思ったら、レオンはキラキラと水色の瞳を輝かせる。


「じゃあ、また婚約しよう! むしろ、明日にでも結婚したい!」

「はい?」

「クロエちゃんは、僕と結婚したくない?」


 レオンは傷ついた子犬みたいな目で、私をじっと覗き込んでくる。だから、その顔には弱いのよ……!

 そんなに大きな身体をなさっているくせに、可愛すぎる年下ムーブはやめてもらってもよろしいでしょうか。


「いえ、したくない……というよりも、明日はさすがに無理ではないかと」


 私は目を泳がせ、無理矢理笑顔を作る。


「そっか、それもそうだね! でも、良かった。クロエちゃんに嫌がられてなくて」


 レオンは安心したように息をはき、こちらを見つめてくる。そんなに信頼しきった目で見られたら、良心の呵責が半端ないのですが。


 もしも私を嫌っていたという記憶が戻ったら、レオンは自分の行動を恥じて胸をかきむしり、そのまま自害してしまうかもしれないわね。


 やたら距離の近いレオンに居心地の悪い思いをしながらも、なぜか拒絶できなくて、ますますいたたまれない気持ちになる。


 愛しいものでも見るような目で私を見つめてくるレオンから必死に視線をそらしていた時。誰かが勢いよく部屋のドアを開け、ドタバタと入ってきた。


「く、クロエ様、申し訳ございません! 少々よろしいでしょうか」


 駆け寄ってきたのは、一ヶ月前に入ったばかりの新人メイド。


「何?」


 礼儀も品も欠ける彼女の行動にげんなりし、厳しい目を向ける。


「それが、その……。本日のお茶会に着用されるはずだった新しい水色の宝石がまだ用意できていなくて……。その、発注ミスで別の宝石が届いてしまって……」


 彼女はしどろもどろになりながら、自分のミスを打ち明けた。


 付き合いのある令嬢たちを招き、定期的に開催しているお茶会。ドレスコードを決めていることが多く、今日は『水色の宝石を身につける』と決まっていた。


 だから、用意するように彼女に命じていたのに。

 日頃からうっかりの多い彼女にはイライラさせられていたことも重なり、今回の大きなミス。さすがに我慢の限界で、あからさまにため息をついてしまう。


「あなたって人は……。準備はできているのか、あれほど確認したでしょう」

「申し訳ございません! 青色の宝石と間違えてしまっていて……」

「青ではダメなのよ!」

「そ、そうですよね。あ、でも、クロエ様は水色の宝石を他にもたくさんお待ちですよね? ……あ、アクアドロップのネックレスはいかがでしょうか?」

「何言ってるのよ! あのネックレスは二ヶ月前のお茶会でも付けたの! そんなに頻繁に全く同じものを付けていたら、他の令嬢から笑われるでしょう! 私に恥をかかせる気なの!?」


 ついカッとなってしまい、声を荒らげる。

 新しいものを身につけるというルールが明確にあるわけではないけれど、何度も何度も同じものを身につけていたら、よほど生活が苦しいのかと思われてしまう。


 婚約者や夫から贈られた指輪のように特別なものなら、別だけれど。そうでなければ、多少見栄を張ってでも、新しいものを用意するものなのに。


「本当に使えないわね」


 深紅の髪をかきあげ、舌打ちをする。


「大変申し訳ございません。うっかり勘違いしてしまっていて……」

「言い訳はけっこうよ。明日から来なくてもいいわ」


 怯えきっているメイドに対し、冷たく吐き捨てる。


「そんな……! どうかお許しください、クロエ様。私がクビになったら、家族が路頭に迷うんです。両親も病気で働けなくて……」

「もう何度も聞いたわ。だけど、あなたは短期間で何度も同じようなミスを繰り返すじゃない。さすがに面倒見切れないわ」


 きっぱり言い切り、すがりついてくるメイドを振り払う。そうしたら、メイドが膝から崩れ落ち、顔を覆って泣き始めた。


 この子も家族のために必死なのよね……。

 一瞬胸がチクリと痛んだけど、すぐに首を横に振る。


 泣かれても困るのよ。

 可哀想な身の上だと思ったから、大して才能もなくても雇ったのに、あまりにも使えないんだもの。私だって泣きたいぐらいよ。


 彼女から視線を逸らすと、レオンと目が合った。

 レオンは困っているような、咎めるような、何とも言えない顔で私を見ている。


 何なのよ、その顔は。

 記憶を一部失っているとはいえ、病気の両親を支えるメイドを捨てた私に幻滅した?


 もしも元のレオンだったら……。

『使えない者を切るにしても、言い方というものがあるだろう。奢った態度はいつか身を滅ぼす』だとかなんとか。

 たぶんそんな感じで説教してくるでしょうね。


 さあ、今のあなたは、どう出てくる?

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