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第2話 はじまりの手紙(二)

「また来てる……」


マンションの郵便受けを開けた美咲は、思わず小さく息を吐いた。

淡い桃色の封筒。可愛らしい花模様の便箋。差出人は、祖母・花子。

昨日も、その前の日も、まるで日課のように届いている手紙だった。


エレベーターの中で封を切る。ふわりと、少し古びた便箋の匂いが鼻をくすぐる。

今日の手紙には、こう書かれていた。





> 美咲ちゃんへ


昨日は元気そうなお顔が見られてうれしかったです。

おばあちゃんは、あのクッキー、また一緒に作りたいなあって思ってます。

おじいちゃんも楽しみにしてるって言ってましたよ。


あのころ、美咲ちゃんが転んで泣いちゃった時、すぐに立ち上がって「もう泣かない!」って言ったの、覚えてますか?

あれは、おばあちゃんの誇りの瞬間でした。


またお手紙書きますね。


おばあちゃんより







「……昨日は、会ってないけど……」


部屋に戻り、ジャケットを脱いだ美咲は、キッチンの電気ポットに手を伸ばした。

お湯が沸くまでの間、ダイニングテーブルの上に手紙を置き、ぼんやりと見つめる。


その文字は、丁寧に書かれているものの、よく見るとところどころ震えていた。

そして、「おじいちゃんが楽しみにしている」という一文が、胸に小さく棘のように刺さった。

おじいちゃんは、もう……十年前に亡くなっている。


コーヒーを淹れて、窓辺に腰掛ける。アパートの前の通りには、朝の光を反射する車が流れていく。

目の前の手紙を見ながら、美咲はスマートフォンを手に取り、母・恵子にLINEを送った。





美咲:

「またおばあちゃんから手紙がきた。昨日会ってないのに“会えて嬉しかった”って書いてる……」


恵子(返信):

「最近、毎朝書いてるのよ。たぶん、時間の感覚が少しずれてきてるんだと思う」


美咲:

「なんか、おじいちゃんのことも“元気にしてる”って書いてた」


恵子(返信):

「それもあるの。最近よく“お父さんと話した”とか言っててね……。でも手紙を書くの、やめさせられないのよ。書くことで落ち着いてるし、習慣になってるから」


美咲:

「読むたびに、ちょっとしんどくなる」


恵子(既読)




返事はしばらくなかった。


美咲はカップを両手で包みながら、手紙の最後の一行を指でなぞった。

「またお手紙書きますね」──


以前、祖母の家に泊まった時、花子が朝の光が差し込む窓際の机で、万年筆を持って何かを書いていたのを思い出す。

「お手紙っていうのはね、自分の気持ちを誰かに贈る“こころの贈り物”なんだよ」と笑っていた祖母の言葉。

あのころの文字はまっすぐで、凛としていた。


「……なんで、そんなこと、まだ覚えてるんだろ」


泣いて転んだ美咲を、祖母が抱きしめてくれたあの日のこと。

すっかり忘れていたのに、花子はまるで昨日のことのように書いてくる。


忘れていたのは、きっと、自分の方だ。


スマホのアラームが鳴り、はっと我に返る。出社の時間が迫っていた。

立ち上がると、美咲は手紙をそっと鞄にしまった。


その日、通勤電車の中、美咲は久しぶりにスマホを見ずに過ごした。

揺れる車内で、祖母の文字が頭の中に浮かんでくる。

「あのころ、美咲ちゃんが転んで……」


ふと、美咲は思う。


今週末、会いに行ってみようかな。


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